往復書簡

井上ウィマラ・内藤いづみ往復書簡Vol.5


魂の狭間で 井上ウィマラ(往)
 内藤先生からの紹介で、昨年の晩夏から今年の初めまでの半年間ほど、月一回くらいのペースで関わらせていただいたご夫妻とのスピリチュアルケアについてのご質問ですね。このケースは、私にとっても、いくつもの意味で思い出深いものになりました。
 初回の面接では、ご夫妻のお話を伺ってから、二人でお互いのお腹に手を当てて呼吸を感じてもらうエクササイズをやってみてもらいました。最初に1時間ほどお話を伺っているときには看取る側の旦那さんが中心となって話されたように記憶しています。そろそろ終わろうかと思った頃に、患者さんであった奥さんが話を始められました。そうした会話のダイナミクスからも、言葉を超えて命を感じるような触れ合いを体験していただきたいと思ったのです。
 2回目の面接では、奥さんの生まれ育った家族との関係を中心にお話を伺いました。4センチほどの丸と四角に切り抜いた紙のコマの上に、女性の名前は丸いコマに、男性の名前は四角いコマに書いて、幼少期から成人してゆくまでの間で思い出の深かった場面を中心として、その時の家族関係が浮かび上がってくるように、思い出話をしながらテーブルの上に紙のコマを配置してゆきます。そうして出来上がった配置を眺めて、その時の本当の自分の気持ちの中では、もっとこういう配置の方が楽だっただろう、幸せを感じただろうというふうに、コマを動かしてみてもらいます。これは、私が作った「コンステレーション方式」という手法です。
コンステレーションとは、星座や配置を意味します。ユングは自由連想の研究に基づいて『家族的布置(ファミリー・コンステレーション)』という論文を書いています。ユングは、この論文の中で、親の無意識的な感情や行動の習慣が子どもに一番深い影響を与えると述べています。親や教師が口で何を言っても、子どもや生徒には伝わりません。子どもや生徒に伝わってしまうのは、親や教師が無意識的に繰り返している感じ方や言動のパターンなのだということです。その布置の思想が家族療法に受け継がれ、バート・ヘリンガーによってシステム論的家族布置という心理療法の革新的なスタイルが作られました。私の方式は、ユングやヘリンガーの教えてくれたことを、自分ひとりでもできるように工夫したものです。
3回目の面接は、西日の差す寝室で行いました。彼女は、いろいろな不安を語り、旦那さんへの思いを語りました。この頃、旦那さんの妹さんにも末期がんのあることがわかり、奥さんは旦那さんの気持ちを察して、幾重にも心配している様子でした。私は、奥さん自身が告知を受けたときの気持ちを思い出してもらい、義理の妹さんが告知を受けたときの気持ちを想像してもらいました。するとそこには2つの葛藤する気持ちが語られて出てきましたので、差し込む夕日の中で、両手で指を組んで2匹の狐を作ってもらい、壁に映る2匹の狐の影絵でもって、葛藤する2つの気持ちを演じてみてもらいました。2匹の狐は、いろいろに遣り合いながら、最後には抱き合ってひとつになりました。その後、仕事から帰ってきた旦那さんに加わってもらい、ベッドの上で旦那さんのおひざで無言で3分間の膝枕をしてもらいました。「3分間て、こんなにも長いものなのですねぇ」という奥さんの言葉が印象的でした。
脳梗塞で奥さんが言葉を失っていったのはその後でのことだったかと思います。入院した病院の緩和ケア病棟にお見舞いにゆきました。病室に泊り込んで寄り添っている旦那さんのお姿に感心しながらも、「時々距離をとって休まれることも大切ですよ」とお話したように思います。
自宅に戻られてからの面接では、言葉で会話することがほとんどできませんでしたので、私は仏教瞑想で使う慈しみの祈りと懺悔の祈りを紙に書いて、歌うようにして唱えて聞いてもらいました。いつもはこうした宗教的な雰囲気を伴うことはしないのですが、そのときにはなぜかやってみようという思いが働いたのです。たぶん、奥さんと旦那さんの二人の魂の間で、慈しみと懺悔ということが最後のテーマになるだろうという気がしたのではないかと思います。後から、内藤先生が旦那さんと一緒にその祈りを読んでくださったことを聞いて、よかったなあと思っています。旦那さんにとっても、奥さんが言葉を失ってしまったことは大きなショックのようでした。私は、その無念さを受けとめながら、「もしかしたら、神さまが言葉以外の方法で触れ合いなさいというメッセージかもしれませんよ」とお話しました。
最後の面接では、旦那さんが水飲みで奥さんに水を飲ませている場面で、上手く飲めずに零れてしまっていましたので、脱脂綿に水を含ませて、吸ってもらうようにしてみました。奥さんは一生懸命に水を吸って、その間、差し出している私の腕の上腕の肉をつかむようなしぐさをしました。無意識的なその動きに、私はなんとなくおっぱいを吸っている赤ちゃんの動きを連想しました。別れ際、旦那さんと二人になったとき、私は唇の感覚の大切さを説明しながら、時々脱脂綿で唇を濡らしてあげみるように伝えました。そして、最後の看取りの場面での息合わせの仕方についても説明しました。死にゆくときの意識のあり方についても、チベットの死者の書や仏教のアビダンマ心理学に基づいた説明を簡単に話したように思います。それから1週間ほどして、奥さんは旦那さんに看取られて亡くなられたのでした。
以上が、私とご夫妻との交流のあらましです。

ウィマラさんへ 内藤いづみ(復)
私が迅速にお便りできず、時々間が空いてしまいましたが、お忙しい中書簡の交換を続けて下さりありがとうございました。今回がひとまず最後の書簡になります。
私が迅速にお便りできなかったのにはいくつか言い訳があって、色々な仕事を同時にこなしている、という物理的な時間の無さも大きな理由のひとつでした。
在宅ホスピスケアという、川の流れに沿うように、いのちの流れに自然に寄り添うホスピスケアを行うためには、いのちに対する豊かな感性を養うのと同時に、医療的な技術も知識も必要です。
そして、仕事を続けるための体力と気力。
25年経って私もやっと、あまり相手に緊張感を与えずに、全力で向かい合えるようになりました。
一昨日は、子供の大学入学式の日でした。朝3時半に緊急コールが入り、暗い夜道を往診に出かけました。初めていのちの看取りを体験する家族は緊張しています。
私のすることは、本人が苦痛なくいられるようにすること。そして、本人と家族を「大丈夫ですから。」と励ますことです。
85歳の患者さんは、苦痛の様子はなく、表情は落ち着いていました。しかし、もはや血圧は測定できないほど低くなっていたので、危篤であることを家族に伝えました。
不思議なことに、はっきりと意識はありましたから、私が「よく頑張りましたね。」と言うと、静かに頷いて下さいました。それから2時間後、眠るように安らかに亡くなったのです。本人の希望通り、家で看取れたことを、家族と私たちは幸せに思いました。その後、私は慌てて支度をして、東京へ子供の入学式のために出かけたのです。
もし、仕事が長引けば、「ごめんね。」と子供に謝って式は欠席になったでしょう。子供と夫は「ああ、またか。」と残念に思うか、「仕方ないなあ。」と諦めてくれたかもしれません。ずっとそんな思いを家族に味わせながら、20年間、我儘に我が道を歩んできました。自分のしたい勉強をしてきました。患者さんや仲間や仕事から学ぶことはたくさんあります。しかし、私たちが人生(いのち)の意味を学べるのは、一番身近な人たち(家族)からだと最近つくづく思います。家族は仕事や修業の上下関係ではないのです。生のぶつかり合いです。こちらの都合のいいようにはできません。命令や服従では動かない関係です。相手の人格に忍耐と許しと愛で、じっくりとゆっくりと付き合いながら学び合う、大切な関係です。
ウィマラさんがげん俗したのもそういう感じなのでしょうか?仏教教義や学習ではなく、自分の身近な人から学ぶ、という道をお選びになったのかしら?
(正直、家庭を営むということは、おそらく修行よりも辛いこともありますよね。)ですから、私も手を広げすぎず、じっくりと患者さんと付き合うのと同時に、家族との生活を何とか夫の協力で両立してきました。私にとっては両方共とても大切な存在です。
また、この書簡がスピリチュアルという、捉えることの難しいテーマであることも時間のかかったひとつの理由でした。教えて頂くと、「なるほど。」と分かった気がするのですが、しばらくすると忘れてしまうのです。メメントモリ(死を想え!)と教えながら、普段は“死”のことなどすっかり忘れてしまうことに似ています。ただ、スピリチュアル(魂)という言葉は、最近とても耳に届くようになりました。魂の希薄な時代だからこそなのでしょうか?
世界的ベストセラーの『ライラの冒険』では、ライラの住む世界では、魂はダイモンという動物の形で、人間と離れず行動しています。ダイモンはその人によって色々です。半分冗談でダイモン占いをしましたら、私のダイモンは虎でした。魂が無くなったら生きていけないライラの世界の物語は壮大で、心がせつなく震え、そして勇気とひと筋の希望を与えてくれる、すばらしい作品でした。久し振りに寝食を忘れて6巻を読みふけりました。まだでしたら、ぜひウィマラさんもお読み下さい。私たちの魂とは何だろう?と改めて原点に戻り、不思議な思いがします。
最後の回ですので、ぜひウィマラさんが深く学んだ、ヴィパッサナー瞑想法について、教えて下さいませんか?
少しでも、私たちの心がストレスから解放され、安らかで逞しく、強い気持ちで人生を学んでいけるために・・・自分自身の魂に出会えるために・・・
長い間、ご協力ありがとうございました。