往復書簡 がんの痛みを和らげる 第2回
薬剤師の石田さんと内藤先生との往復書簡形式の記事、第二回となります。
石田さんへ
お返事ありがとうございました。
天候不順でここ山梨も、涼しかったり暑かったり体温調節が難しく、体調を崩す人が多くなっています。そちらはいかがですか?
ご存じのように山梨はフルーツ大国で、いちご、さくらんぼ、桃、ぶどう、柿など、採れたての味は格別です。こういう天候の中で農家の皆さんは随分苦労しているだろうな、と感じています。
石田さんと“痛み”について語り合うのが目的の今回の書簡です。ふたりの共通の師の、元埼玉県立がんセンター総長の武田文和先生と私は、知り合って14年目です。
何しろ3人目の子供を産んで、授乳中の時期に初めて講演をご一緒しましたので、子供の年齢と同じ、その年月は絶対忘れません。
そう!その末娘も今年、前期青春期?の中学3年生になります。
石田さんも武田先生と長くお知り合いだと思っていましたが、つい最近の出会いだったのですね。私と石田さんも、そう長いお付き合いではありませんが、ずっと前からの古い知り合いのように感じます。
波長が合う出会いは、長さではなく、理解の深さをもたらしてくれますね。
恋もそうでしょう?一瞬に永遠が宿る、というように。
え? 話が逸れそうなので“痛み”に話を戻します。
痛みというのは不思議な現象です。身体の痛みひとつ取っても、本人にとって自己表現であることもあるし、たとえば、誤解を覚悟で紹介すると、
「軽い痛みは自分の生きている証拠で愛しい。手放したくない。」
と私に打ち明けたがんのサバイバー(乗り越えた人)の友人もいます。
心の痛みは更に難しいし、社会の一員としての自分、家族の一員としての自分の位置を失うことの痛み。更にもっと簡単には分からないスピリチュアルな痛み、これは、この書簡で井上ウィマラさんとたっぷり意見交換しました。よろしければお目通し下さい。
ホスピスケアでいうところのトータルペインは、人間の複雑さと相似しています。
がん患者さんに一番辛いのは、身体の痛みではあるけれど、それも含めたトータルペインに目を向けなければ、患者さんの人生に向き合ったことにはならない、ずっとそう感じてきました。ホスピスケアや緩和ケアがここまで社会的に普及する道のりで出会った尊敬できる先輩たちは、人間のトータルな痛みに向かい合うすばらしい人格者たちでした。
シシリー・ソンダース女医、武田文和先生、そしてオーストラリアのマドック教授。
マドック教授がいらっしゃった(まるでおっかけみたいですね)南オーストラリアのフリンダ―大学のセミナーに出席したこともありました。
痛みに向かい合うためには、いのちに対する哲学、文化力、冷静な判断力、医療知識、体力、そして温かい手が必要だと思います。
学生たちには、こう教えています。
「3つのHを鍛えて下さい。どれが欠けてもダメ!」と。
① Head 知識
② Heart 温かい心
③ Hand 役に立つ実践的な技術
少しおばさんくさい言い方をしてしまうと、失う辛さや、他人の痛みや悲しみ、苦しみに共感することができる人が大人なんだということ。
だから私たちにとっても痛みに向かい合う学びの道のりは、自身の成長の物語でもあるのです。
私は20年前にイギリスから帰ってすぐに、ホスピスの啓蒙活動を甲府で始めました。真新しい分野だったので初めは変人扱いでした。その時私に助けを求めてきたFさん(45歳)の手記を少し長くなりますが紹介します。Fさんは最期まで自分らしく生き抜き、家族と一緒にいたい、という希望をお持ちでした。Fさんは、直腸がんで人工肛門になっており、肺にも転移していたのでした。
「私が今の病院で内藤先生に診てもらうようになったのは、かなり前に読んだ新聞記事と、あとは偶然の巡り合わせだった。
このころ、山梨の新聞に内藤先生のホスピスに関する記事が載った。
イギリスでは大勢の人たちがチームでボランティアも一緒に参加している場所がある。
専門家のグループが診察し、末期がんの人たちの痛みを和らげたり、心の痛みから救ってやる所がある。山梨にもそういう形のものを作りたい。というような記事だったと思う。
私は将来もしも末期がんになるようなことになったら、この先生の所へ行こうと思った。普通の病院でTさんのような目に合されたらたまらないと思った。
私が平成元年に最初に手術をして半年くらい経ったころ、私にその病院を紹介してくれたTさんが死んだ。この人も直腸がんだったが、がんが脊髄に転移して、苦しみながら亡くなった。病人は激痛を訴えていた。
私は、痛み止めはしてもらえないのかと医者と看護婦に聞いた。すると、痛み止めをあまり使うと腎臓が悪くなり、生命を縮めるからということだったが、この人は部屋の中に風が入っただけでもすごく痛がっていた。
私は患者の痛みを放っておく医師に怒りを覚えた。こんなことを言ったらいけないかもしれないが、どうせあとわずかな命、腎臓に悪いも何もないではないか。どうして患者の痛みを取り除いてやらないのか、私には分からなかった。
痛みはその人から人間らしさを奪い尽くす。これは、体験した者にしか分からない。
7月も終わるころ、お尻にできたがんのところがだんだん痛み出した。
初めのうちは大したこともなかったが、痛みは次第にひどくなり、夜眠れなくなっていった。
ちょうどオリンピック中継をしていたので、私はなるべく家族に気づかれないようにテレビを観たりして痛みを紛らわせた。
痛みはさらに強くなった。
それは激痛というほどではなかったが、昼夜絶え間なく続く痛みは、私の生きる気力を削いだ。」
私は、彼に繰り返し話していました。
「痛みは絶対がまんしないでください。どんなことでも正直に私に言ってください。」
Fさんは答えました。
「僕も最初はそうしていました。苦しい、痛い、ここがつらい・・・。その反応はどうだったと思いますか?看護記録に
『この患者は文句が多い。がまん強くない』。
それを知って僕はどんなにつらくてもナースに何も話さなくなりました。」
私は続けました。
「Fさん、あなたはとても意思が強い頭のいい方です。だから分かってほしいのです。緩和ケアでは痛みをコントロールするために本人が主体的に参加してくださらなければ成功しません。私はあなたの痛み、苦痛を95パーセント取り除きたいのです。あなたは痛みで夜眠れなくなりました。今から除痛のプログラムをスタートします。服用後の反応をすべて私に報告してください。何も隠さないでください。私も一生懸命やります。だからあなたもがんばってください。」
いつも、物静かなFさんの顔に力がみなぎったような気がしました。
私の講演を聞いて下さって、モルヒネに対する鎮痛のすばらしさを理解していることも大きく幸いしました。何よりも主治医の私にモルヒネに対する偏見がまったくありません。
私はイギリスでこの薬の効果をこの目で見てきた強みがあります。多くの患者さんたちが痛みなく最期まで人間らしく生きていらっしゃいました。
「副作用があります。まず便秘、初期の眠気、たまに吐き気があることもあります。でもFさん、これは前もって全部予防できます。だって起きることが分かっているのですから。ですから副作用は心配ありません。」
Fさんはおっしゃいました。
「先生、ぼくは心配なんてしていません。最初の日から先生におまかせしています。」
毎日、Fさんの家に電話して様子を聞き、24時間ごとにモルヒネの量を増やし、嘔吐、便秘、眠気、すべての場合を予想して薬を処方しました。一日モルヒネ100mgでほぼ完全に痛みが消えました。一日10錠。朝5錠、夕5錠。
6日目で95パーセントの痛みが消えました。
「快適です。痛みがないのがさびしいくらいです。」
と彼は冗談を言って笑いました。
再びFさんの証言です。
痛みがまだ続いていたころ、私は親しい友人4人で歓談していた。友人のひとりが誰ともなく、「あなたは自分が幸せだと思うときはどんなときですか?」と聞いた。
ひとりが、「そうね。朝目が覚めて、出社のために起きようとして、気がついたらその日が日曜日で、まだいくらでも寝ていられる、そんなとき幸せを感じる。」と答えた。
私も思い当たり、心の中で「なるほど」とうなずいた。私は?今の私はどんなときだろう。私は考えた。
そうだ。何もないとき、そう何も感じないときだ。どこも痛くなくて、どこも苦しくないとき。そんなときが私の幸せなときだった。(内藤いづみ著『あした野原に出てみよう』オフィスエム刊から)
出会って半年後、Fさんは家族と向かい合いながら、安らかに天国へ旅立ちました。しかし、20年近く経った今でも、まだまだ痛み止めへの偏見は大きく残っており、医療者の3つのHも鍛えられたかどうか確かではありません。
石田さんは薬剤師として、勇気を持ってこの分野に携わって下さっています。治療を受ける側への情報提供に役立つ『もしもしがん手帳』と武田先生との共著『がんの痛みよさようなら』は具体的でとてもいい本ですね。
私のホームページでも紹介しましたが、ぜひもう一度、改めて中身をここで披露して下さいませんか?よろしくお願いします。
お返事拝見致しました。私が内藤いづみ先生とお知り合いになれたのは、日本にがんの痛み治療をもたらした元埼玉県がんセンター総長の武田文和先生※の温かい配慮があってのことです。武田先生も内藤先生もいつも私を応援してくれ、感謝の気持ちでいっぱいです。
内藤先生から私と波長が合う・・・とのお言葉をいただき、内藤先生に憧れておりました私としてはとても嬉しいことです。
●がんの痛み●
内藤先生は、既に長い間がんの痛み治療に取り組まれてこられて、たくさんの難関や困難があったのだと思います。今はがんの痛み治療は徐々に広まっていますが、もうがんの痛みはなくなったのか、というと残念ながらそうではないといわざるを得ません。私などは最近足を踏み入れたばかりですが、未だに患者さんの苦痛の訴えを聞いています。
がんの痛みの原因
『がんの痛みからの解放―WHO方式がん疼痛治療法― 世界保健機構 編、武田 文和 訳 金原出版』より
今年平成20年3月にこんな相談いただきました。
「父ががんの痛みで転げまわるほど苦しんでいますが、軽い痛み止めしか処方されていません。痛みをとってほしいと先生に訴えたら『もうこれ以上痛みに対しての治療はない』と言われました。」と。
また同じく今年5月にも別の方から「父はがんの痛みがあって、痛みでうなり、体は震え、もう見ていられません。麻薬を使ってでも治療してほしいと担当の先生に訴えても『痛みの原因がわからないので麻薬は使えない。麻薬を使うと命が縮まる。』との回答でした。」とのこと。お話を聞きながら椅子から転び落ちるくらい驚きました。
平成20年の今起こっていることなのかと耳を疑いたくなりました。一つの病院はがん診療連携拠点病院で、もう一つは全国的にも有名な大学病院でした。周りにいる医療者の誰一人としてその状況を打破する人はいないのか、と悲しい思いに苛まれます。
こういった相談が舞い込んでくる度、WHO方式がん疼痛治療法※の普及が大切である、がんの痛みがある時点で痛み治療は開始する、医療用麻薬に対する誤解と偏見をなくすなど、医療者を含めて一人でも多くの人に知ってもらわなければならないと思いを新たにします。武田先生も内藤先生も講演、本、テレビ、新聞、雑誌で伝えいらっしゃいます。私ができることはホームページや講演でお話する範囲でそれほど幅広くはありませんでした。
※WHO方式がん疼痛治療法
鎮痛薬の使用法
『がんの痛みからの解放―WHO方式がん疼痛治療法― 世界保健機構 編、武田 文和 訳 金原出版』より
徐痛ラダー
●「がんの痛みよ、さようなら!」●
そんな中、武田先生が「がんの痛みよ、さようなら!」という本を作る際にご一緒することができると聞いた時、はじめて本という媒体で思いを告げることができると思いました。その時の嬉しさとドキドキは忘れません。本はいつでも見返すことができ、著者がいなくても代わりに語ってくれます。誰が読んでもわかりやすいよう簡潔な文章になるように努め、読んだ人が勇気を得て、がんの痛みに向うことが増えるような本にしたいと取り組みました。本の前半はがんの痛みとその治療について解説、後半は実際に受けた患者さんの質問をもとにQ&A集を作りました。私は本の執筆者の中で唯一の薬剤師ですから責任重大と思い自分の経験以外に友人の薬剤師らからもインタビューをし、患者さんの質問を集めました。薬剤師への質問は例えばこんなものがありました。
医療用麻薬は血中濃度を保つために投与する時間が決められていますが、寝ている時間も目覚ましをかけて起きて服用するのですかといった質問がありました。
これまでとても痛かったために、痛い時に服用するレスキュードーズが頻繁に必要なのではとお考えになり、1日何回まで大丈夫ですか、どんどん飲んで大丈夫でしょうか、といった質問があります。定時に飲む薬があれば痛みは消失あるいは軽減されることをお伝えし、レスキューは1時間くらいあけて痛みがとれなければもう一回分服用して下さいと伝えます。
日常よく処方される痛み止めの薬は胃が荒れますので、それと同じように胃が荒れるのではと疑問に思う人もいます。
医療用麻薬を飲み始めたら痛みがなくなったので、もう飲むのをやめたいと仰る方がいましたが、医療用麻薬を投与しているから痛みが感じなくなったのであって、痛みがなくなったのではありませんから続けて治療が必要ですとお伝えします。
これらの質問には本の中できちんと回答しています。
薬局には、診察中先生に聞きにくくて、と質問を抱いたままの方、医師から説明を受けずに不安を抱えた方が来られます。そして薬剤師に質問する内容はとても素朴であり、多くは不安と誤解と偏見が根底にあります。WHO方式がん疼痛治療法を基本に説明し、医療用麻薬に対する誤解と偏見をなくすようお話すればすぐに理解していただけます。患者さんは痛みを取り去りたいので、すんなり受け入れてもらえます。
一方、先にご紹介した相談にあったように、医療者側の理解不足、誤解や偏見が見受けられますので、是非この本を読んでほしいと思います。
●もしもしがん手帳●
私が日ごろ患者さんとご家族などから寄せられるさまざまな悩みや質問で、どの治療を選択すべきなのか、あるいはもう治療せずに余生を過ごした方がよいのか、といったがん治療の選択に関する相談、医療者への不信感、家族との食い違いによる悩みといった人間関係に関する相談が数多く寄せられます。そしてその回答に対する考え方は同じで毎度同じような回答しているなと感じていました。ならばそのような問題が起こらないようなシナリオをある程度お示しすることで回避できるのではないかと考え考案したのが「もしもしがん手帳」です。情報編と治療編に分けました。
情報編は「セカンドオピニオンはどこへいけばいいのですか?」「在宅医療って誰が何するのですか?」「どこの病院のどの先生がいいのですか?」「緩和ケア病棟ってどこにあるのですか?」といった質問を解決するために、ご自身が調べた情報、人から聞いた情報、新聞などに載っていた情報を一箇所に書き留めるページを作りました。他に命が限られているとすればどう過ごしたいかを書き込むページも設けました。この情報編はずっと持ち続けて必要なときに見返し、新たな情報を書きこんでいきます。常に新しい情報が盛り込まれた手帳になります。
もう一方の治療編ですが、こちらは実際にがんと診断された時から使うものです。相談の中で医師から受けた説明を部分的に理解しているため不信感をつのらせるケースがあるので、それを回避するために説明をまとめて書き留めるページを作りました。時間が経つと忘れてしまいますし誤解している場合がありますので、確認することに役立ちます。可能性のある治療法については全て聞いてほしいため記入欄を設けました。手術と抗がん剤の説明だけ聞いたとしても「放射線治療の可能性は?」と聞いてほしいからです。
そして選んだ理由とその時の自分と家族の気持ちなどを記録しておくページを作りました。どういう治療を選ぶかは1人で決めずに必ず家族や親しい人達の意見を聞きながら決めてほしいからです。なぜそう思うかと申しますと、将来がんが治癒した場合は問題ないのですが、残念ながらそうでない場合過去を振り返って「あの時はこうすればよかったのに」と言う人がでてきます。テレビや新聞で関連する話題が出てくるたび「本当にあの決断でよかったのか」と後悔する場合もあります。選択時の記録を後から見直して、または記録を見せて「この時の状況、あの時代ではこの選択でよかったんだ!」と確信を持ってほしいと思っています。過去の時点で最善の選択をしたと思わないと先へ進めません。振り返りのページになればと願って作りました。
また、多くの方にとって初めてがんが見つかった時は晴天の霹靂で、ぼーっとした状態の中で病状と治療法の説明を受け、治療をするならと治療の日にちを伝えられます。がんや治療について知識をつける間もなく説明されると、自分で調べてから判断しようという余裕がなくなります。薦める方法をとりあえずやってみよう、となることが多いのです。「セカンドオピニンをとってみませんか?」と言っても「いやもういい。初期のがんだし。」といわれます。でも最初の治療ほど考えてほしいと思っています。副作用が少ない方法はないか、後々の生活を考慮し機能が温存できる方法はないのか、先行した抗がん剤の種類により後で使う抗がん剤に制限がないか考えてほしいです。後悔先に立たずといいますが、がんの治療にはその時期や回数が限られていますので、情報を集めてセカンドオピニオンの意見を聞いて判断してほしいと思っています。
治療に入った後は記録を残すための日記ページ、そして定期的に検診を受けるときの日記ページを作りました。診断がついてから、治療を決める前、治療中、そして治療後の検診までの範囲を1冊に記録します。再発や転移が見つかった場合は、もう一冊新たに追加します。
作成する際にイメージしたのは、母子健康手帳でした。参考にしようと区役所にもらいに行きました。対応してくれた方は私が妊娠したのかと間違われましたが(笑)。がんと診断される前から情報編に情報を記録し、がんになったら治療編に記録していく。病院を変わっても、在宅へ移行してもずっと持ち続ける自分で書いたカルテのようなものです。決断に、気持ちの整理に、記録に役に立てればと願っています。
●がんの痛みをとることから●
内藤先生のお薦めを受け井上ウィマラさんとの往復書簡をすべて拝見しました。スピリチュアルケアとはあるときはこうだ!と思っても別のときには変わっていたりして、自分自身でも整理がつかなかったのですが、なんとなくわかりました。それでもなんとなくですが。
井上ウィマラさんの往復書簡とは話がそれますが、がんの緩和ケアの現場でもスピリチュアルケアという言葉をよく耳にします。がんの緩和ケアの中でスピリチュアルケアをする前に、がんの痛みをとり、身体的な不調を緩和し、生活に不安を残さない状態を整えるという大前提があります。痛みや不安のない中ではじめてスピリチュアルケアが活きてくると思います。
まずはがんの痛みがなくなるように。そのきっかけが作れたらと思います。