往復書簡

井上ウィマラ・内藤いづみ往復書簡Vol.2


悲しむ力と育む力 その3 井上ウィマラ(往)
 ウィマラという名前は、今から20年ほど前にビルマのテーラワーダ仏教で出家したときに師匠から頂いた名前です。
インドの古代の話し言葉でテーラワーダ仏教(日本では小乗仏教と呼ばれています)の経典言語であるパーリ語で、穢れ(マラ)を離れた(ウィ) 人という意味になります。
日本に伝わる大乗仏教の出発点となった『維摩経』に出てくる維摩居士のユイマというのがウィマラです。
師匠は弟子の性格を見てその努力目標として名前をつけるのだそうです。僧籍を離れた今もこの名前を使っているのは、十数年にわたる海外での修行時代にウィマラとしてしか私のことを知らない親友が多く、自分にとってもウィマラになってからの人生の方がずっと親しみのあるものに思えるからです。
還俗してから改めて師匠にこの名前を使うことの許可を求めたとき、師匠は「ウィマラという名前はいい名前だ。私も気に入っている。
これからは自由にダンマ(仏法)を説くということだな」と微笑んで認めてくれました。
今では、人生の穢れと思われるものから学ぶことの大切さを忘れないためにこの名前を使わせてもらっていると思っています。
 さて、スピリチュアルケアとは何かという質問を内藤先生から頂きました。私は、スピリチュアルケアとは人生の危機に直面している人に共感的に寄り添いながらその危機を成長への機会として生きることができるような流れを促進する対人援助だと思っています。そのためにはケアをする人と受ける人が共にいのちの輝きに触れる必要があります。スピリチュアルとは、そのいのちの輝きに触れることをさす言葉だと思います。
 スピリチュアルという言葉の語源は「息」を意味するラテン語のスピラーレです。
すばらしいアイディアが浮かぶインスピレーションも実はこの息(スピラーレ)によって私たちに吹き込まれてくるものです。日本語でも「息して生きる」と語呂が合います。呼吸は、私たちの身体と外界を結び、生まれてから死ぬまで私たちの身体にいのちを吹き込み続けてくれるものです。私たちはその息を使って言葉を発し会話します。呼吸は息遣いとしてコミュニケーションを支えてくれます。
「息を合わせる」、「息が詰まる」などという息を使った言葉遣いが多いのもそのためです。
 そしてケアという言葉には「思いやる」という意味があります。相手のことを思いやって世話することです。ですから、スピリチュアルケアでは、人生の危機に直面している人のことを思いやって、その人の息遣いを感じ取って、その人が本当の自分に触れいのちの輝きを思い出すことができるように息を合わせて共に歩むことが必要になります。
 スピリチュアルケアはホスピス運動の流れの中から浮かび上がってきました。
ホスピスという言葉は、もてなす人(ホスト)ともてなされる人(ゲスト)の両方を意味する不思議な言葉です。ですから在宅であれ施設や病院であれホスピスではもてなすことともてなされること、世話することと世話されること、与えることと受け取ることが循環してゆくことが大切なのです。誰かの世話をすることで貴重な何かを受け取っているのだということが自覚されるやりとりが実現している場所がホスピスなのです。
ですから、ホスピスは場所や建物に依存するよりは、そこで起こっているやりとりやコミュニケーションの原理に関わるものなのではないかと思います。
 そうしたやりとりの中で、その人が自分自身の大切なものに向かい合って、本当に望んでいるものを選び取ってゆけるような人生の流れを促進するようにすることをファシリテートすると言います。ファシリテーションとは自然な学びの流れを促進する術のこと、ファシリテーターとはそのような流れを促進する人のことです。
そして、チャプレンとはキリスト教の教会や病院や施設などの礼拝堂に所属して信者さんや患者さん一人ひとりの存在に耳を傾けながらその人が人生の危機を成長へのチャンスとして生き抜いてゆくためのお手伝いをする牧師さんのことをいいます。
もともとはキリスト教の言葉ですが、仏教徒である私が内藤先生のクリニックで非常勤ではありますがチャプレンの仕事をさせていただくことになったときには、こうした寄り添いの役割をする人としてお役に立てればと思いその名を拝命しています。

その4 悲しむ力と育む力 内藤いづみ(復)
本当に暑い夏でした。
一番の暑さのお盆の頃、私は84歳の女性のいのちを、向こう岸へ送り届ける仕事をしていました。
こちらの世界と向こうの世界を隔 てる川のイメージは、実は東洋だけに限られた話ではないのです。
イギリスで現代のホスピスの始まりとされる、セントクリストファーホスピスを20年前に訪れた時に、そこに掲げられたシンボルマークを見て驚いた思い出があります。
聖人クリストファーが船頭のように、渡し舟を漕いでいる形でした。
「なるほど。」と今になると改めて深く肯くことが出来ます。
私の友人の詩人、里 みち子さんの詩を紹介します。

わたし舟
岸のほとりで
   佇むひとが
対岸(向こう)いくのに
   橋がない
わたしでよければ
   わたし舟
ちょいと送って
   いきましょか
岸に着いたら
   名も告げず
ただのひとこと
   「おげんきで」

前回は、スピリチュアルケアについて分かりやすい説明をありがとうございました。
スピリチュアルという言葉は、この頃日本でよく耳にする流行り言葉のようですが、各人それぞれのイメージで分かった気になっている言葉かもしれません。
見えない世界、科学で説明出来ない世界へ引かれる若者も増えてきています。
医療でも、ホスピスケアの啓蒙が進むのにつれて、スピリチュアルケアとして重要な分野になってきたのは、とても嬉しいです。
ウィマラさんと交流を持つようになり、人と関わっていくこと、つまりコミュニケーションの方法などを色々と学ばさせて頂いて有難いです。
実は、病む人、苦しむ人に、どんな気持ちでどう向かい合い、どう分かり合うのかという基本の姿勢と方法を、日本の医師たちは医療教育で十分に学んでいないのでは、と私は感じています。
がんの「告知」も含めて、人生の危機に立つ患者さんたちにとって、私たちは善き伴走者になっているのかと反省します。
先日、20歳のかわいい女子医学生が私のところへ東京から見学に来ました。
「私ではなく、人生の危機を乗り越えながら、ここに通院している患者さん方の傍にいき、お気持ちを伺ってごらんなさい。」
患者さん方は、それはオープンにたくさんのことを彼女にしゃべって下さいました。
私の小さいクリニックは、外来に進行がん患者さんが集まり、少しデイホスピスのような形になっています。皆さん前向きです。
ホスピスケアの啓蒙を20年続けて変わったこと、それは「人生を歩みぬく」と決心した患者さん方のポジティブな姿勢。そして、ホスピスケアを「お手伝いします!」と献身してくれる力量ある看護師さんたちが、各地で育ったことです。
ある患者さんは彼女にこう言ったそうです。
「今までお医者さんに、上手く気持ちが通じなかった。心の奥の苦しみに気づいてもらえなかった。でも女医さんの方が、分かってくれそうな気がする。なぜなら、家庭を持っていのちを育て、きっと男の先生よりたくさんのことをそこで学ぶはずだから―。」 
家庭より、専門職で成果を上げることを選んだキャリア志向の先輩たちに囲まれていた彼女は、その言葉にはっとしたそうです。彼女がどんな医師に育つか楽しみです。
「育む力」それはたくさんの時間を忍耐強くかけて生まれる力。いのちのケアは急がない。まさしく、スローライフの代表です。
赤ちゃんの頃、幼児の頃、そんな小さな頃の親との関わり方が人生に大きな影響を与えることをウィマラさんは、今まで私に教えて下さいましたね。
そこで起きた傷(トラウマ)はどう癒されていくのでしょうか?