ホスピス記事

ひとつの歴史

2023年6月13日 山梨日日新聞「きょうの歴史」より。

山梨日日新聞の記事

山梨ホスピス研究会が発足し、甲府で記念集会が開かれた。(1992年=平成4年)

開かれたホスピスをめざして〈山梨ホスピス研究会の発足〉

日本に帰ってきて、私はホスピスについての啓蒙運動をコツコツと始めました。
まず山梨ホスピス研究会を設立しました。
「山梨ホスピス研究会」発足記念集会は、1992年6月13日、山梨県立文学館芸術ホールにおいて開催されました。この日が迎えられたのは同研究会の発起人一同十数人の熱意によるものと言って過言ではありません。この会の発端は、私が「山梨日日新聞」に、イギリス滞在六年間に体験した英国ホスピス事情を16回にわたって掲載したことに始まります。私は英国のホスピスの在り方になぜ感銘したのかを、私の日本でのガン終末期医療の実情とプレイバックさせながら報告しました。ホスピスの必要性を訴えることを現代医療への挑戦と受け取ってもらいたくなかったからです(つらい思いをした遺族の方々はどうしてもそういう反応をしがちです。)

現代医療とも密接に協力し会うことによって、患者さんにとって今一番ベストのことは何か、どうやってそれを可能にするか、という点を真剣に考える医療を広く各界に提案したかったのです。
そして、私の連載の終わるころ、有志が集まり、この会の発足に向けて準備が始まったのです。20人の会員でスタートしました。まず一番の課題は、山梨という土地に住む人々に、「ホスピス」という言葉を正しく理解してもらうことだと一同が納得しました。それが県下に広まって初めて、市民運動としてのホスピス運動が展開されることでしょう。私たちはこの運動が、英国のように自分たちの権利としてのホスピスを自分たちで作る運動にまで高まることを期待しました。
研究会の目的は次のとおりです。

1ホスピスの社会啓発
2ホスピス・ケアの学習と研究、実践
3ホスピス病院・病棟建設計画の推進

記念集会は私の基調講演に始まり、映画監督羽田澄子氏がご自身の映画「安心して老いるために」制作の過程で考えた老人問題で締めくくられました。
羽田氏のお話では、「老人」を「ガン患者」と置き換えてもまったく違和感がなく、お互いに問題の本質は同じという点を確認できました。いわば「安心して老いるために=安心して病気になれるために」ということです。

この日の参加者は県内中心に400人、ドクター、ナース、宗教家、教育者、ボランティア、役人、学者、ソーシャルワーカー、カウンセラー、保健婦さん、そして生と死を真剣に考える人々と多種にわたり、この人々がそのままホスピス作りになくてはならない人々であることを痛感しました。なぜなら、ホスピスは患者さんたちを閉じ込め管理する閉鎖した場でなく、社会に向かって大きく開かれ、こういう大勢の人々とともに、可能性を求めて関係者をサポートしていく活動の場であると私は理解しているからです。
当日の会員は148人になりました。