ホスピス記事

私の友だちでいてくれてありがとう

向上2024年2月号「随想 感謝を伝える」より。

向上2月号表紙
 私は20年ほど前に編集者であるMさんに出会えた。
 数年間暮らした英国から家族とともにふるさとの山梨県甲府市に戻り、「ホスピスケア」という人生の最終章を過ごすための選択肢について社会に伝え始めた頃だった。当時の日本ではあまり知られていない新分野のホスピスケアは、医療活動でありながら、「生と死」を考える社会の成熟度と文化力を反映するものだった。

 医療界では通常の、権威ある組織の一員として、下積みからコツコツと積み上げていくという古いしきたりを私は無視し、講演活動などで、直接当事者たち(患者さんや家族)に「ホスピスケア」について伝えた。

「いのちの主人公が決めていいのです。本人が情報を得ること。いのちの最終章を支える方法(ホスピスケア)があります」と。それは若さゆえのエネルギーに満ちた声だったと思う。メディアにも多くとりあげられた。

 突然のそんな声に当然、大先輩たちからは反発を招いた。しかし、いじめる人がいれば、助けてくれる人もいる。突進する私を見守り、応援してくださる方々も出てきた。長野県の茅野(ちの)市で地域医療活動を広げる鎌田實(みのる)医師、松本市で古いやり方と戦う僧侶・高橋卓志さん。このお二人と私で鼎談(ていだん)をすることになった。わがままでマイペースな私たちの話をⅯさんが素敵な本にまとめてくれ、『ホスピス最期の輝きのために』が出版された。

 その後、私の人生初の単著『あした野原に出てみよう』が誕生した。永遠の別れのあと、どんなに悲しくても、どんなに辛くても、いつの日にか自分を取り戻し、野原に出て風に向かえる日が来る。そんなメッセージが伝わる私の代表作となった。「医者になり、作家にもなる」、それは14歳だった私の夢でもあった。Mさんはそれを叶えてくれた方だ。

 2年前、彼は重い病を得て、積極的な治療を選び、入院生活を始めた。コロナ禍で面会も許されず、孤独の中で抗がん剤治療を受け続けた。
 そんな日々、病床で「書くこと」は彼の尊厳と生きる力を守り、ブログを毎日発信した。治療は一進一退。そんなある日、彼から電話がきた。
「いづみさん、おれ、これからどうなるんだろう?」

 落ち着いた声だった。友人として私は答えた。
「いつまでそこにいるつもり? 治療はもうきりを付けた方がいいと思う。そこに居るかぎり、大切な人たちに会えない。まるで幽閉されている政治犯みたいだ。」

 政治犯と聞いて彼は苦笑した。それが突破口となったのか、退院を決意し、知り合いの在宅ホスピス医も見つかり、彼は森の中の家に戻った。風に触れ、鳥の声を聴き、友人たちと笑い合った。私もお見舞いを約束した。

 ある明け方、メールの着信音で私はすぐに目がさめた。Mさんの奥さんからだった。「もう、あぶないかもしれない。」

〈生きている間に会えないかもしれない…〉
内心ドキドキしながら、私は電車を乗り継いで長野県北部の彼の元に急いだ。在宅ホスピス医の私は、プロとして患者さんが安らかに旅立つための責任感を背負っているから、どんなに親しい間柄でも臨終の場でワンワン泣くことはない。でも、でも、友人のMさんなら許されるだろうと、ハンカチをたくさんポケットに詰め込んでいた。

 旅路は遠く感じた。やっと山荘の入り口にたどり着き、扉を開けた。まだ息はある。しかしうめき声が苦しそうで、囲む人々も不安でいっぱいで泣き暮れていた。

 私のスイッチが入った。
〈どんな最期の時でもその人の役に立つことはできる。内藤いづみが今こそ働かなくては友になった意味がない〉
この感覚は、昔のお産(さん)婆(ば)さんが襷を(たすき)かけて妊婦の側(そば)に駆け寄るのと似ているのかもしれない。いのちの始まりと最期のケアは実は似ているのだ。産婆の見たてと自信ある手腕と励ましの力。在宅ホスピス医の実践と慈愛の力。

「Mさん。こちらの世界へやってくる時のお手伝いとあちらの世界へここから飛び出すときのお手伝いは似ている。どちらも誕生なんだと思う。」

 私はMさんと奥さんにそう伝えた。主治医に連絡し、薬剤などの調整をさせてもらう許しを得た。やがてMさんの息づかいも平穏なものになっていった。私は覚悟して耳元でこう話した。彼にはしゃべれる力はもうない。

「Mさん、よくがんばったね。こうして家に戻れてよかったね。大好きな人たちがまわりにいるよ。私の友人でいてくれてありがとう。さあ、向こうに行くときがきた。天国の入口の扉を開けて、飛び出して行こう」

 奥さんもこれからが夫の人生最後の最大な仕事であると覚悟を決めたのだろう。みんなに声をかけた。
「これから夫は大仕事にとりくみます。励ます人だけ残って。泣く人は帰って下さい」。それからは、励ましと感謝の言葉で病床があたたかさで満ちた。夜を越えて明け方、彼は昇天した。

 一年経って、奥さんは時に泣きながら遺稿集を作った。
「彼との約束がある。私がいつか天国に行ったら、彼は天国一丁目のカフェで大好きなコーヒーを飲みながら私を待っていてくれるって。」
 彼女はほほえんでそう言った。