ホスピス記事

死は必ず訪れる、だけど忘れていてもいいんです

佼成出版社「やくしん」2023年7月号より)日本で在宅ホスピス医の先駆者としてこれまで4000人以上のいのちに寄り添ってきた内藤医師に、生と死についてお聞きしました。

やくしん2023年7月号

在宅ホスピスとは、どのようなことをされるのでしょうか。

 医師や看護師が患者の自宅を訪ねて終末期医療(ホスピスケア)を施すのが在宅ホスピスです。病院で治療をしても治る見込みがない状態の患者さんの中には、「自宅で最期の時間を過ごしたい」と望まれる方がいます。その方たちのために、薬で痛みを取り除きながら、心にある苦しみや迷い、不安にも寄り添っていくのがホスピスケアです。友達との会話とか家族との食事とかペットとのふれあいなど、自宅に戻ればこれまでの生活があって、普通にその人らしくいられる。患者さんの多くはそれを望みます。だから命が終わる時までその人らしくいられる状態を調えていくのが私の役目だと思っています。

死はあちら側の世界に生まれ直すこと

 この道を選んだのは、二十八歳の時、ある女の子との出会いがきっかけでした。彼女は二十三歳で、末期のがん患者さんでした。当時は本人へのがん告知はほとんどされず、彼女は自分の病気も知らされずに、華奢な体のあちこちに管がつながれてふうふう苦しんでいたのです。彼女と親しくなって、病室で映画や恋の話を楽しんでいる間にも日に日に食欲がなくなり、髪は抜けていきます。ある日彼女が言いました。「私もう、家に帰れないのかな、父も母も私と話すのを避けているみたい。せめて一晩、家に帰れませんか?」。なんとかしてあげたいという一心、「私が絶対サポートします」とご両親に約束すると、お二人も私を信用してくださって。当時、在宅医療も確立していないなかで、経験もない新米が無謀ですよね。彼女はなんとか家に帰ることができて、ビデオを見たり、本を読んだりして過ごして、とても喜んでくれて。でもしばらくして亡くなりました。「背中が苦しい」と言う彼女の背をお母さんはさすって、そのまま母親の胸に抱かれて逝ってしまった。生前、彼女は言ってくれたんです。「正直に言うと、病気と闘うことに疲れちゃったの。一生懸命してくださった方に叱られますね。でも死ぬのは怖くない。私には内藤先生がいるから」。この言葉はいまも私を支えてくれています。

著書に、死を怖いとは思わなくなったとあります。

 理由はいくつかあるけれど、一つに、死は、あちら側の世界に生まれ直すことだと思えるようになったからだと思います。お母さんが赤ちゃんを産む時って、助産師さんが「頑張れ、頑張れ、もう少しよ」と励ましながら背中や腕をさするじゃないですか。患者さんが亡くなる時も、私や看護師、見守る家族が総出で「ありがとう、ありがとう」「よく頑張ったね」と言って体をさするんです。似ていませんか?
 以前、患者さんやご家族に許可を得て看取りの様子を映像に収めたことがあって、妊婦さんたちの集まる講演会でその映像を上演したら、特に、自然分娩で出産した方が「似てます」「同じです」って共感してくださってね。死ぬということは、あちら側の世界に生まれ出ることで、私の役目はお産婆さんのようなもの。こちら側の世界にはいるけれども、患者さんが苦しまずにあちら側に生まれるように手助けをしているんだと、最近は自分に襷(たすき)をかける気持ちで臨んでいます。もちろん誕生する先は、生きている私たちが知らない世界。そこに生まれていった患者さんしか分からない世界ですけれども……。

信仰的なお話も患者さんにされるのですか?

 患者さんが最期を迎える時、ご本人やご家族との信頼関係がある場合は、「これからが峠です。あの世に誕生するっていう大仕事だから、頑張ろうね」と私から引導を渡すことがあります。私自身は、何か信仰しているわけではありませんが、患者さんが亡くなった後、どんどん表情が安らいでいい顔になるんですよ。
そのこと一つとっても、あちら側の世界ってあるのかもしれないと思わされます。患者さんの中には、信仰をされている方もたくさんいますよ。信仰によって死を静かに受け入れている姿や、あの世や天国の存在を信じることで死への不安が薄らぐ様子を見ていると、「信仰があるって幸せなことだな」と感じます。自分を支えてくれる宗教や、信仰的な気持ちはあったほうがいいと思いますね。私自身、大いなるものの存在や、その存在を敬う気持ちはこの仕事を続けてきて強くなっています。

どうすれば後悔のない生き方ができるのでしょう。

 名残りお惜しむのが人間じゃないですか。人はそんなに悟れないですよ。患者さんの中にも峠を迎えながら何度も持ち直して、介護していた家族が疲れ果ててしまったというケースもありました。ご家族がとても大事に介護をされていたから、居心地が良すぎて逝きそびれたんでしょうね(笑)。
 先ほど女の子の話をしましたが、彼女を往診した時、「先生私ね、結婚したら子どもは二人がいいな」と言ったんです。自分の余命を感じとっているふしがあったから、なんでそんなことを言ったんだろう、私を試しているのかなって、気持ちを測りかねて。長年心にひっかかっていました。でも最近、患者さんのおばあちゃんがその答えをくれました。いよいよというその時、私はおばあちゃんに、「そろそろだからね。いますごく病気が重くなっちゃったのよ。分かる?」と言いました。認知症のある方でしたが、「分かる」と言う。

昨日今日とは思はざりしを

そこでこう尋ねてみました。「いままで私の患者さんになってくれてありがとう。いまどんな気持ちですか?」。
すると、おばちゃんはこう言ったんです。
「こういう時がいつか来るとは思っていた。だけどそれがいまなんだね」
 どこかで聞いたセリフだなと思ったら、在原業平の辞世の句でした。「つひに行く道とはかねて聞きしかど……」。いつかは死ぬのだと知っていたけれど、昨日、今日のことだとは思いもしなかった。人間の共通認識というか、だからそれでいいんだと思ったんです。がんで逝った女の子も、余命が短いという重い事実を忘れられたから、女の子の心に戻ってあのセリフが出てきたんでしょう。重い事実をいつも抱えていたらしんどいし、楽しくないですよね。「一日一日を後悔なく過ごそう」と思うことは大切だけれど、常に心がけようとしたら、これもしんどいことですよ。忘れていられるから、のびのびその人らしく生きられるんじゃないかしら。忘れるという行為は、逃げるわけではなくて、私は、「神様からのプレゼント」だと思っています。これは患者さんだけでなく、全ての人に当てはまることです。時々は命は限りあるものだと思い出す。すると、生きていくことへの感謝の気持ちが芽生えて、周囲の人にも優しくなれたりしますよね。でも、普段はそのことを忘れて、ごく当たり前の幸せを享受していけばいい。そう思っています。