米沢慧さま

内藤いづみと米沢慧の新養生訓 第一回

始めに。

米沢慧さんとの往復書簡はこれで3回目になります。
1回目は山梨日々新聞紙上に掲載された往復書簡。
まずはファックスでのやりとりでした。夜中にファックスをカタカタ送りました。
1996年に始まり、1999年3月に終わりました。そして1999年6月に
「いのちに寄り添って」(オフィスエム発行)という書籍になりました。
私はいつだって、真剣勝負を信条としていますが、この往復書簡にも時にはキリキリした緊張がみなぎっています。
今でも読み応えがあります。

本

鎌田實先生のブログでのご紹介

2回目は、私のホームページに掲載の往復書簡です。
2009年10月に「いのちのレッスン」(雲母書房)にまとめられました。
ホームページは幸いなことに、優秀な管理人とのご縁に恵まれて、私の情報の発信基地として動いていました。
新たな繋がりも広がりました。
しかし、私自身は電脳世界に距離を置いていました。近づかなくて大丈夫、と考えていました。
2020年の今、私も情報伝達に、いわば強引に?電脳世界を利用しなければならなくなって、必要ならば、テレビ対談だってできるようになりました。
そういう状況に敢えて、「いのち」について、もう一度言葉で、問いかけ合います。
3回目の往復書簡です。

米沢慧さんと初めて出会う方のために、簡単なプロフィールを用意しました。

米沢慧

米沢慧(よねざわけい)●1942年島根県奥出雲町生まれ。評論家。岡村昭彦の会世話人。長寿社会のケアを考えるFT(ファミリー・トライアングル)ケアネット代表。いのちを考えるセミナー・ワークショップを各地で主宰。著書に『「還りのいのち」を支える』『ホスピスという力』。『自然死への道』。『看護師のための明治文学』など多数。

大きなタイトルは、「内藤いづみと米沢慧の新養生訓
1回目は 前書きとなります。
一ヶ月に一度の往復を目指しています。
ご感想をぜひ、お寄せください。
2020年 7月

米沢さんへ 第一回往信

生病老死、そのうちで特に「老について」書簡を交換しませんか?とお話ししたのが半年前でしたね。
60歳を過ぎて、老いが実感として私にも迫ってきました。
在宅ホスピス医として、お年寄りとの交流も、看取りも日常的に多い仕事ですが、自分が還り(かえり)の道を歩んでいるという実感と、どう折り合いをつけていくのか少々悩んでいました。

その時、長年のお付き合いもあり、大正大学へ昨年ゲスト講師としてお招きした米沢さんを思い出しました。
講義も面白く、対談も鋭く、米沢さんは知り合った頃と全く変わりないというか、老けた印象が全くありませんでした。
それが本人曰く、もう直ぐ80歳とは!いつの間に?(笑)と驚きました。

私はエリザベス*キュブラー*ロス医師の言葉を思い出しました。
彼女は60年近く前に、世界で初めて、死にゆく患者と向かい合い、正直な思いで面談をした精神科医です。アメリカの病院でのことでした。
その内容が、「死ぬ瞬間とその過程」という著作になり、 世界中でベストセラーになったのでしたね。世界はびっくりしたのでした。

死にゆく人に語らせる?初めてのことでしたから。
癌の告知をしない時代に、充分なコミュニケーションもなく孤独で入院している末期癌患者に、ロスは聞くのでした。
「あなたは今どんな気持ちですか?教えてくださいますか?」と。
予想に反して、患者たちは堰を切ったようにロスへ語り出したのです。
何に困っているのか、死は驚異なのか?何が怖いのか?
そして、「話したかった、何でも聞いてくれ、」と。
ロスは言いました。
「体験している患者さんは一番の先生なのだ。知りたかったら聞いてみれば良い、必ず答えてくれるはずだ」と。
それを思い出したのです。
私の先で、老いを体験している米沢さんに聞いてみれば良いのだ。学識豊かな米沢さんは私の先生なのだ、きっと答えてくれる、と思いました。

私は内外の老いに関する本を集め始めました。
国内の大作家、流行作家、タレント、評論家などたくさんありました。
確かに私はその時、どう老いていくのか、何らかの悩みがありました。
漠然とした一人称の死の影が遠くに見えました。体にも老の兆候を感じました。

なぜ・そんな言い方をするかというと、何を悩んでいたか今、はっきり思い出せないのです。
コロナ禍を体験して、いやまだ過去形にならない現在、甘っちょろい、悩みなど霧のように消えてしまった、そんな感じです。
集めた本の大半はどうでもいい内容に思えました。
下にあげたいくつかは、もう一度手に取ってみようと感じるものです。

  • 養生訓 貝原益軒
  • 70歳の日記 74歳の日記 メイ サートン
  • 死すべき定め 死にゆく人に何ができるか アツール ガワンデ
  • 暇なんてないわ 大切なことを考えるのに忙しくて ル グウイン
  • ゴリラの森 言葉の海 山極寿一 小川洋子
  • 死にゆく者との対話 鈴木秀子

そうでした。思い出しました。養生訓です。江戸時代の医師、貝原益軒の
よりよく生き抜くアドバイスに私は興味が湧き、令和の新養生訓をご一緒に考えられないか、と思ったのです。
多くのお年寄り達は、それぞれの状況で頑張ってはいますが、健康神話と
長寿伝説と、最先端医療の発展と命の絶対主義の間で我を失ってはいないかと感じてならなかったのです。

もっと、肝の座った、冷静で、的確な養生訓の元、安心して暮らす道筋は
ないのだろうかと。
衰えていく機能をメンテナンスする医療がもっとあってもいいはずだと。
アンチエイジングではなく、ウイズエイジング。
そんな思いがありました。

このコロナ禍では、ギラギラした命の輪郭を目の前にして働く日々でした。
極限状態ではありませんでしたが、ひょっとすると流行拡大も予想され
どちらに転ぶかわからない、
という不安定な状況で、頭は冴えて、体は消耗し、確かではない情報を掻き分けて毎日を送りました。
消毒に明け暮れる毎日。予防に奮闘する毎日。
それでも、この時だからこそ、在宅での看取りは手放す事はできませんでした。
瞬間の死(デス)ではなく、死にゆくゆっくりとした過程を囲むことの
大切さが改めて身に染みました。
命の重さが増したようにも感じました。
連日のニュースでは、入院面会の厳しい制限や、死に目に会えない悲しい状況が報道されました。
家で看取る覚悟が関わる者達、本人や家族に増していきました。
感染予防に神経を使いながら、私たちも頑張りましたよ。

自粛の中、空いた道路を往診車は朝に晩に走りました。
その様子の一部は自主撮影の番組になりました。(NHK BS うたう旅6月16日放送)

不要不急!必要火急?
人生に必要なものは何か?問われる毎日でした。米沢さんはどんな毎日でしたか?

自分の人生の蓄積で得た感性が告げる本物。それがクリアに見えた気がしました。
そういうものしかいらない、と思いました。
死にゆく時に似た感情かもしれないとまで思いました。
全てが、必要火急?エッセンシャルか?という判断基準で自分のふるいにかけられたのです。

私はもしもコロナウイルス陽性になり、隔離される場合、持っていく小さな赤いスーツケースを4月に用意しました。
当時の報道では、陽性者は否応なく引き立てられるかのような隔離対策でした。
一刻の猶予もないような緊迫感。
家族に頼んで用意なんてできないだろう、今自分で用意しておこうと決めました。
病状は軽症で読書三昧の入院生活から、人工呼吸器に繋がれて意識がないレベルまで大きな差がありそうでした。5%の重症例、亡くなる場合もあります。
軽症で本が読めたらいいなあ、と思いつつ2冊本を選びました。感染症関連の「ペスト」や専門書は、その時読みたくないだろうと思いました。
軽いノベルも嫌でした。
絵本か?詩集か?
私は遠藤周作の厚い対談集と三木成夫の「内臓と心」という本を選びました。
着替えと、常備の漢方薬、軽い鎮痛解熱剤(すぐに薬が渡されない事態もありそうなので、自分で診断して自分で処方、相当野戦的ですね)、パジャマ、 部屋着、下着、好みの紅茶、緑茶のティーバッグ(抹茶をたてる余裕はないだろう)、日記帳、筆記用具。家族の写真はいつも持っているハンドバッグへ入れておく。携帯ラジオ。
これを詰めて、スタッフにも簡単に何なのか伝えクリニックのわかる場所に起きました。
米沢さん、不思議なのですがこれをすましたら私の気持ちが静かに収まりました。
今のところ日本での感染の事態は予想より悪くなく経過しています。
私は、赤いスーツケースの中身を夏用のものに入れ替えました。
覚悟の衣替え!!

近況が長くなりました。
令和の養生訓に至るには時間がかかりそうです。お付き合いください。

米沢さんのこの4ヶ月の様子も教えてください。

内藤いづみ

内藤いづみさま 米沢慧 第一回復信

今回、3度目になる往復書簡のテーマは「老い」。とりあえず、手探りするかたちで自らをさらすことから、というわけで「老いをいきる」とか、「老揺期(たゆたいき)」という言葉も用意して始まったのですが、直後から私たちはコロナ禍に入ってしまいました。
「三密を避ける!」という暮らしの日々から真逆の「マスク」生活になりました。
わたしは2月末の京都の講演をさいごに3月の昭彦の会、4月は諏訪ゼミに30日の柳田・山崎・米沢の鼎談(「老いを生きる」)、神奈川集会と相次いで中止に。
そして5月の福岡ゼミは、自宅の仕事場からの初のテレワークZOOMで休憩をはさんで3時間。PPTのスライドを使っての「コロナ禍でいのちを考える」でした。

いつもは20人前後ですが、オンライントークの今回は40人ほどだったといいますが手応え・臨場感は伝わったかストレスが貯まる試みでした。
ちなみに、わたしのコロナ関心は「味覚、嗅覚が消えた?」、つまり、五感の危機はいのちの危機である! を伝えておきました。

そんな私の仕事に比べたら、内藤いづみさんのこの間の仕事は目を見張るものでしたね。
①小冊子「2020年、今を生きる」は、いのちの転換点にたっている在宅医ならではの緊急発言として、「いのちの際、瀬戸際のところで、人の身になる」は力がありました。
また、「人生であった出来事すべてを忘れるのが死です」ということばは、わたしが25年前に聞いた最初の内藤いづみ語録「老衰が加速する先に死がある」と重なっています。
今回は2つの映像を拝見しましたが、2つの顔が伺えたのしませてもらいました。
②もう一つ、「コロナと共にいきる」のユーチューブ映像と対になったメッセージとして、わたしは③の「うたう旅~骨の髄まで届けます~の構えのない「在宅医療」の映像に感銘しました。在宅医―患者―看護師の絶妙なトライアングルと、即興歌詞の妙(ほんとに即興?)です。

「老齢」を寿(ことほ)ぐ

さて、主題を「老い」にもどしてみますと、どうやら新コロナ禍で、ウィズ・エイジングを考えるという緊迫した流れになってきました。
初回は私の「いま」を伝えるために高齢者の免許更新講習にふれました。今回は年明け、賀状を落ち着いたころで届いた「老い」の構えにふれたものを紹介したいとおもいます。
近年は友人知己からは喪中はがきが目立ち、賀状は減少です。「母、享年102歳」「父98歳」等の記述にはもう驚きませんが、同世代からは「妻」や「夫」、兄妹の死が伝えられ、「80歳を前にして夫と老人ホームに居を移し終の住処とします」という転居通知を兼ねたものから、「高齢になり本年をもちまして新年のご挨拶を失礼させていただきます」の類も。それぞれに身終いの気配が漂っています。

創めること

年明けに手作り絵本『老老介護「いろは歌」』という一冊が届きました。
長野県諏訪市の平林英也さん(85歳)からの届け物でした。
わたしが20年ほど続けている諏訪湖半での勉強会「いのちのセミナー」(年4回)に通っている方で、5年前に亡くなった妻はるよさん(89歳没)との晩年の交歓日記を絵本にしたものでした。
かつては優秀な精神科ナースだったというはるよさんの、認知症発症後の介護の日々が「いろは歌」の形式で記録されたものでしたが、綴られていたのは、介護のつらさではありませんでした。
冒頭ページの「い」は、朝、一日の始まりです。

夫「おはようございます」
妻「今日はよろしくお願いします」

(平林さん)この挨拶に続いて「夫婦の生年月日」「結婚記念日」に「住所」を毎朝、家内に言わせます。それは「今日」もいのちを与えられ、生きていることの証を、少しでも味わってほしかったためです。家内は、朝の挨拶のとき、よく言いました。
「お互いに、どこも悪いところがなくて、よかったね」
このことばを口にする家内は、幸せそのものでした。
二人の気持ちがひとつになり、”You are My Sunshine”をよく歌いました。

「れ 礼を言う妻のこころは、感謝の泉」とか「ゆ 豊かなこころは、忘却から」とか。平林さんはいいます。「わたしは、老老介護こそ〈新老人〉の生き方だとおもってやり遂げました」と。
〈新老人〉とは「次の世代若い人に、いつか来る人生の午後(老年期)のモデルになる」生き方が求められていること。これは105歳で亡くなった日野原重明さんが立ち上げた「新老人の会」の活動理念で、平林さんもその会員になっていました。

会の具体的なスローガンは、
①愛し愛されること
②創(はじ)めること
③耐えること。

なかでも、②は、何歳になっても「(なにかを)創めること」を忘れないこと。そして③の「耐えること」は人生の生き方が問われるものです。「耐える」という経験によって感性が磨かれ、不幸な人への共感と支える力が備わるというものでした。(「新老人の会」は75歳以上をシニア会員、60歳以上をジュニア会員、20歳以上をサポート会員として、日野原さん100歳のときには合計10万人に達した)。
平林さんは、この三つのスローガンをアタマに刻んだといいます。老老介護を「創める」ことは老人の「新しい生き方」に導くものにちがいないというわけです。それが〈新老人〉の生き方ではないか。それも「始まる」ではなく「創める」ということばに励まされて造った「いろは歌」。いまも連れ合いといっしょというわけです。そして、右耳が遠くなった平林さんは、勉強会では私の右隣が定席になっています。

無事であること

もう一つ、紹介したいのは、1月も半ばを過ぎた頃に届いた、瀬戸内海の因島に住むK女からの「ご無事で…」というメールです。K女は高校時代のクラスメートで、当時はあかるい笑いの絶えない読書好きの人でした。20年ほど前に偶然私の著作を知ってからはがき、メールが届くようになりました。
「ご無事で新年を迎えられた由。うれしくおもいます。この歳になると流石に次々といろんな事がありました。身内の死去や病気や怪我に心休まりません。7〜8月に危険な肺炎にかかり命の駆け引きをしましたが、相変わらず持ち前のしぶとさで復活しました。今は腰の問題を抱え年末にMRIをして一ヶ月ほど。でも、無事です(笑)。
毎日家の周りにくる野鳥に癒されています。
デッキにヤマガラ・シジュウガラ・メジロ・シロハラ・ツグミ・ヒヨドリ・ジョウビタキ・イソヒヨドリが常時きて賑やかです。トラツグミも姿を見せラッキーでした。ぶとカラス・ほそカラスや雀の群れもホオジロも来ています。
今年はキジバトが玄関前の大きなトネリコの木に二度営巣し、見守るうち雛鳥の姿も見ましたが、周辺に居続けるハシブトカラスに襲われたらしく、巣立ちまでを見届けることは出来ませんでした。これは悲しい出来事の一つでした。まずは鳥談義でご挨拶を 又」
お子さんはなし、大学の先生だったご主人の郷里で密やかに暮らすK女の日々が、鳥や木々の名前の記述によって伝えられてきました。二十歳代から病いと戯れ、宥めてきたという人ならではの眼差しです。そして「無事」という一言は、いのちの情景を精一杯つたえられることばだとおもいました。
紹介したような「老い」の生き方を見失わないで、書簡をつなげたいとおもいます。


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