講演報告

開催報告 2019年10月 札幌

台風19号を追い越して、無理を覚悟で札幌へ行きました。
連続14回目のばらのおうち文庫主催の講演会。

講演会の様子
函館には伺うことができませんでした。
残念でした。
函館のみなさまには申し訳なかったです。
特設書籍コーナー
ばらのおうちの臨時書籍販売コーナーも素敵です~
そこで買ってくださった本を読んでの感想も届いています。
嬉しいです。
書籍コーナー
札幌からの帰りは東京から甲府の交通網が遮断され難儀しましたが到着と同時に、看とりが待っていました。
そのお話しはいずれまた~

参加者からのご感想を2つ紹介させていただきます。

内藤いづみ先生の講演会をきいて
今回初めてご講演を拝聴いたしました。何気なく参加したのですが、主催者の高橋洋子さんが、「子ども文庫で、なぜ看取りに関する講演会をするのか、それは、死というものが生まれるということにつながっているからです」と初めに言われたときに、「オレンジガール」という児童文学(ヨースタイン・ゴルデル作)を思い出しました。生まれるという運命を与えることはいつか死を迎えるという運命も同時に与えているのだというようなことを、亡くなった親が子に手紙で伝える場面が出てきます。物語のこの言葉はとても強く心に残っていました。そして、ああ、そうか、内藤先生のお話は、このことなのだと、講演会の意味を身に引き寄せて理解しました。
内藤いづみ
先生のお話は、力強く、大丈夫よと言っていただいているような抱擁力のある、心が元気になるようなお話でした。介護・看取りという、大変な体力勝負で、精神も擦り切れる現実の場でありながらも、内藤先生の励ましと、伴にそこにいてくださるという安心感が、どんなにか看取り・看取られる方々の支えになっていたか。スライド写真で紹介された皆さんは、そのことが私たちにも伝わるような充実感・達成感・幸福感に満たされた明るい表情でした。本当に、人生の最期の「卒業式」なんだよというお言葉のとおりでした。亡くなった父・祖母・義父母はあのように看取られていたなら、どんなに幸せだったろう・・・と思いました。
51年前、私の曾祖母は私が生まれて間もなく、家で私の母に看取られて逝きました。その時のことをいつも聞かされて育った私には、家で看取るということに、あまり現実的な難しさを考えていませんでした。けれど今、私たちは、選択という覚悟と意思をもって臨まなければ、50年前には普通にあった看取りができないのだと、改めて気づきました。母をどのように看取るか、自分や夫はどのような最期を望むのか、後回しにせず、思いを形に近づけられるように、考えておく必要があるのですね。
帰りの車中、一緒に参加した17歳の末娘に感想を聞いたところ、娘は「ママ達は、あんな幸せな最期を、選べば迎えられるかもしれないけど、私はおばあさんになった時、一人ぼっちかもしれない。結婚できるか分からないし、年金も足りないかもしれないし・・・」というのです。この現実に絶望しているような悲観的な娘の感想は、私たち夫婦の心に重く沈み込んでいきました。先生が冒頭で言われた、「人生を分かち合える誰か」がまだ見つからない娘にとっては、望んでも得られないことのように思われたのでしょうか。これは私たち家族の問題なのでしょうが、自分たちの最期を考えることは、残してゆく子の最期や、残される人たちが生きる社会のあり様を考えていくことなのだと、卒業式までの宿題を与えられた思いです。
このように考える機会をいただき、感謝しています。来年もまたお話を聞かせていただけることを楽しみにしています。        
ばらのおうち文庫会員 山﨑聡子さまより

内藤いづみ先生にお会いして
「内藤いづみ先生」、「内藤いづみ先生」、とにかく「ばらのおうち文庫」の高橋洋子さんが念仏のように唱えるのだ。
 去年の講演は、残念ながら流れてしまった。今年は実家の墓じまいとぶつかった。ご縁がないのかしら、と思ってた。ところが、調整していくうちに墓じまいが一日ずれた。でも締め切りはとっくに過ぎている。無理だろうと連絡はしなかった。なのに、洋子さんが突然テレビに映ったのだ。HBC北海道放送「今日ドキッ!」の街歩きで、「ブックカフェ塁」に取材が入った。なぜ洋子さんの出勤日?なぜいつもは観ていないはずのテレビを観てる? 不思議に思いながら、出演おめでとうのメール。ついでに、おそるおそる「もう無理ですよね」と聞いてみた。思いがけず「OK」のお返事。10月14日、信じられない気持ちで平岡樹芸センターに向かう。運転はあまり得意じゃない。一応地図は確認したものの、だいたいこの辺、近くなったら誰かに聞こうと当てずっぽうに進めた車はまっすぐ会場へ。気づいたら、室内なのに樹木の匂いが濃く漂う満員の会場に座ってた。
内藤いづみ
「情熱大陸を観てください」の指示があったからちゃんと観たけど、正直に言うと、猫好きの私は「よそのうちの猫に好かれる人」というところが一番印象に残ってしまった。講演も、広やかな人だなあ、平らかな人だなあ、なぜこんなに輝いているんだろうと見とれているうちに終わってた。
 なにせ翌日は五時起き、札幌から160キロ離れた増毛町での墓じまいだ。終わったらすぐに帰って準備をしなきゃと思ってた。でも、不思議のご縁はさらに続き、糸に引かれて「ばらのおうち文庫」へ。迷いながら4冊に絞った本にサインをいただき、帰宅したのが午後七時。一刻の猶予もないのに、気になってつい本に手をのばした。止まらなくなった。あっという間に2冊目の半分まで突入し、いくら何でももう間に合わないと後ろ髪ひかれながら本を閉じた。無理だとわかっていても、そのまま墓じまいに連れて行きたかった。
 いやあ、驚いた。美しい文章なのに、どこにも嘘がない。文学的にも高い。この手の実践記録は、どこかしら帳尻合わせ、美化した作りものの匂いがするが、それがまったくなかった。本物だと思った。こんな本物、世の中にいるのか。
 立場上、学びとして読むことはある。多くの示唆をもらったことも。でも、文に惚れる。それは、あんまりないことだ。
 軽やかで、すべてを笑顔に変えられるキラッキラ輝いていると思ってた人は、人生の深淵を見つめる深い眼を持っていた。それまで受けていた印象とは、まったくの別人。いづみ先生と私の本当の出会いは、本を開いた瞬間だった。
 まだ3冊しか読んでないけど、ご自分を指す「医療者」という言葉が好き。「医者」という言葉は固くて遠い。でも、「医療者」と言われると、急に温かい血が通い出す。自らにその言葉を課すいづみ先生の、人生の終わりを迎える術を持たない人たちにあくまで寄り添おうとする徹底した念いと細やかな配慮がこの言葉一つに表れる。
 それと、「ていねいに暮らす」は響いた。ずっと仕事を続けてきたから、いろんなものをはしょってきた。時間短縮を最優先に、見ないように後回しにしてきた気がする。時には我が子さえ。いきなり弱点を突かれた。「ていねいに」、今私に一番必要な言葉だ。でも、いづみ先生はなぜそれができるんだろう。
内藤いづみ
 他にも色々聞きたいこと、お話ししたいことがたくさんある。
 夢の話が好き、とおっしゃる。私も夢でよくいろんなことを教えてもらえるから、いつかその話もしてみたい。
 最後に一つだけ。
 どこか、愛の血管が詰まっているような気がしてならなかった。この歳で、まだ愛を探してる。だから、書き続けているようなものだ。
 人には誰しも光と影、裏と表、人に見せたくない部分がある。
 いづみ先生を見ていると、その影さえも光に照らされているような気がする。不思議なことだ。ご自分の影は、いったいどこへ置いてきたのか。
 どんな人も拒まない目に受け入れられ、同じ空間で心に触れられ、本の中から語りかけてくる言葉を聞いていると、抱えてきた血管の詰まりが解けていくような気がする。
 寝る前はパソコンから離れていづみ先生の本を読もう。読む点滴。そっと沁みてくる言葉を抱いていると、安らかに眠れそうな気がする。
「いづみ先生」、「いづみ先生」、今度は私が念仏を唱えそうだ。
有島希音さまより


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