エッセイ

産まれるいのち、旅たついのち

8月初めから、95歳の女性患者さんに看取りの体制で集中して関わってきた。

元気だった時は、私に会うと、

「先生に会うのが楽しみ。先生に会うと胸のつかえがパーと飛んでいきます。楽になります。先生の福々しいお顔がだいすき!」

と、身振り手振りで、こちらは少しくすぐったくなることを言ってくださるのだった。

8月初めから具合が悪くなり、デイケアに通う体力に戻れなくなった。
食べれなくなった。
賢く介護してきた娘さんは、母が老衰で体力が落ちて人生の最終章に至ったことを悟った。
姉と妹を呼び、3姉妹での介護が始まった。
この女性は元気な時に、延命治療お断り!という書面を書いていた。
みんなでそれを見ながら、改めて確認した。
口から本人が望むものを食べてもらう、と。
すぐに口からは水分だけになった。
私は癌の末期の方の看取りが多い。ターミナル期に入ると変化が速い。
私たちも、その変化に寄り添い、苦しみを和らげることに集中する。
ターミナル期が2、3日の事も多い。
この方も終わりの日が近いと思い、集中して関わった。
心配になる家族の求めで、朝に夕に夜中に往診で駆けつけた。
確かに、危篤になりそう、と思える時もあった。
しかし、本人の望むだけの水を口に含んで、ほとんど薬も使わず、何度も
奇跡的な復活を遂げた。
彼女のいのちの宇宙で、微妙にホメオスタシスが整えらる感じだった。
本人のいのちのエネルギーに、忍耐力で私たちも家族も向かいあった。
はっきりと言葉を出すこともあった。ありがとう~という言葉が多かった。
(実際、最後の日に、訪問看護のうちのスタッフに、小さな声で、ありがとう!サンキューと言ったのだ。)

越せないと思われたお盆を過ぎた。たくさんの身内も会いに来れた。
3姉妹の不眠不休の介護も続いた。
盆の前後、本当に暑かった。みんな、よく頑張ったと思う。

静かに、ゆっくりといのちの時間を紡いでいった。私たちもそのペースに段々慣れてきた。こんなにゆっくりといのちに向かい合うことはあまりないように思われた。

たまたまのタイミングで、うちのスタッフのナースが友人の助産師の関わる自宅出産の支援に入った。
妊婦と赤ちゃんの産みたい、生まれたい!という気持ちが一つになり創られる誕生の奇跡。

家族や、助産師たちの助けを借りて、赤ちゃんは午後8時に産まれた。
輝くいのちの塊の赤ちゃんの写真を私も見せてもらった。
何だか、この日、いのちの旅たちもあるような気がした。
そして、実際に夜10時くらいから、様子が変わってきた。

家族に覚悟は出来ていたが、別れの悲しみは別のもの。そこを私たちも見逃していけない。
慰めながら、支えながら、夜中の何度かの往診を重ねて、いよいよ本当に旅たちが訪れたと、わかった。
この方らしく、ゆっくりゆっくり、この世に別れを告げた。

午前5時。
3姉妹と私たちが彼女のいのちを囲めたこの3週間。
証明されてはいないが、誰かが言っていたことを思い出した。
自然の営みであれば、いのちは潮の満ち引きに関係して、誕生は潮の満潮時に。
旅たちは引潮と重なると。

まさしくこの日の誕生と息を引き取る時はその時間帯だった。
いのちに寄り添えたことを感謝して私は帰路に着いた。
明け方の空を眺めると、秋の雲になっていた。
いつの間にか、夏は過ぎつつあることに気づいた。

駐車場に着いた。
百合の花がまるでファンファーレを鳴らすラッパのようにこちらを向いて揺れていた。
産まれることも、旅たちも敬虔なる祝祭だと私には思えた。

高橋さんのフェイスブックでこの記事に関連する話が取り上げられました