エッセイ

たすきカフェ

こんなたすきのつなげ方もあるのだなあ~と勝手にひとりで思うことがありました。

独り暮らしで自立していた高齢のお母さんの具合が悪くなり、県外から息子さんが一時的に移住して、最期の日々に付き添いました。
私のホスピスケアチームがサポートしたとはいえ、最期の日々に寄り添うことは甘くありません。本人も息子さんもよくがんばりました。
お母さんの手を時には握りしめながら、息子さんは立派に看取りました。そして息子さんは自分の暮らしに戻っていきました。

そのお家は可愛らしい狭さでした、その側をその後私は自転車で通りかかると無人でひっそりとしていて、当たり前ですが看取りの時の活気やいのちの息づかいは全く消え去っていました。
家もまたいのちの響きと供に、昇天したかのように感じました。

私はこんな俳句を作りました〜
秋露に いのちに寄りて朝に夕
菊こぼれ 看取りし家に 影消えて
半世紀 暮らした住まい 音も逝き

この地域は空き家も更地も多く、このお家もそうなるのかなあ、と一抹の寂しさを感じていました。
ところが、ある日トンカンとリフォームの音が響き始めたのです。
カフェになるという噂でした。
近所のお年寄りたちはワクワクして興味津々。
新しいニュースが少ない地域ですからね。
やや長くかかってカフェはオープンしました。
今のところ週に三日間しかオープンしないので私はなかなか行くチャンスがなく今日、やっとうかがいました。

丁寧にリフォームされ、和のテイストの気持ちのよい空間になっていました。
コーヒーはかなりのこだわりで点てられます。
なにより、あのお家が再生し、生まれ変わったことに私はほのぼのと幸せになりました。
こんな、いのちのたすきの繋ぎ方もあるのです。

繁盛を祈りました。