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みとりながら生と死を学ぶ

(2018年8月26日毎日新聞より)
いのちをぜんぶ使い切るって、何だろう。とても幸せな感じがするが、病院という「安全優先」の場所では難しいのかもしれない。甲府市の在宅ホスピス医師、内藤いづみさん(62)は20年以上、「使い切る」ことを模索してきた。簡単ではない。でも、家族らの支える意思と医療・介護側の理解があれば可能なのだと、現場で学んだ。


甲府市のその一戸建では、上山公一さん(圓)の親が50年前に中古で買ったという。沈み込む廊下を通って居間に入ると、電気式ロウソクの台の 向こうに、毋、たみ志さんの遺影があった。笑顔がそっくり。看護師3人とケアマネジャーが次々と集まってくる。「ごめん、ごめーん」。最後が内藤先生たった。
ここ2年ほど、在宅ホスピスのことを知りたくて、私はこの分野の先駆者である内藤先生の「追っかけ」をしてきた。車に乗せてもらって、末期がんの患者の回診や遺族に会いに行くのに同行したり、東京都内の仏教系大学の講義を聴きに行ったり。主宰するホスピス学校」で、JT生命誌研究館の中村桂子館長を招いて対談するのも聞いた。
昨年9月、「急だけど、『デスカンファ』します。来ます?」と声がかかった。医療現場の「カンファレンス」なら、関わっているスタッフの情報共有のためにされることは少しは知っている。

でも「デス(死)がつくと、どうなるのだろう。反省会のようなものか。 「行きます」と言うと、甲府市の住所と集合時刻だけ告げられた。
たみ志さんは10日前に、遺影のあるこの部屋のベッドで亡くなったという。享年94。
公一さんは数カ月間、ベッドの横で寝泊まりして毋の最期に寄り添った。「大変だったねー。「よく頑張ったよ。看護師に声をかけられ、公一さんは、母の思い出や自宅での「みとり」にたどり着くまでの経緯を話し始めた……。

毋は終戦後、甲府盆地で取れた野菜を抱えて東京に行き、自転車で行商していた。
だから足腰が強く、父が亡くなってから20年以上も、ひとり暮らしができたのだと思う。亡くなる数日前まで、トイレも自分で行けた。認知症が少し出てきて息子は時々隣県から様子を見に来ていたが、毋は4月に大病院で検査を受けて、膵臓がんと肝臓がんが見つかる。検査の医師が「こりゃあと2、3ヵ月ですね」って笑いながら言った。コノヤローと内心思う。

病院でできることはもうないらしい。家で緩和ケアをしてもらえるところを探し回って内藤先生にたどり着いた。自宅を2世帯住宅に改築する時期と重なり、公一さんは决めた。母と最期を過ごそう。

愛想のいい母は病院で「いい顔」を作っていた。息子にはわかった。でも、家に戻って本当の笑顔になった。たぶん、訪問看護師が普通に関わったから。聞いたことのない昔話が、どんどん出てきた。
息子は「在宅ホスピスケアハンドブック」をむさぼり読む。

死に向かう体の変化、呼吸が弱くなるプロセス。弱ってきているのに、なぜ筋力トレーニングみたいな動きをするのか……。わからないことだらけだった。そのうえ24時間、付き添うのはつらい。ふらふらになった。もう無理だと何度か思ったが、看護師から励まされて踏みとどまった。

ある日、夜中の2時ごろに母は、ぱっと跳び起きて「みんな来てる」と言い姶めた。
死んだ父の名を呼び祖母に呼びかけた。このこともハンドブックにあり、「そのまま受け入れて」と書かれていた。
もうすぐかも、と覚悟した。

その日。内藤先生が数時間前に来て、血圧を測りながらい母の耳元で「よく頑張ったね、もういいよ」って言ってくれた。夜、弟が来て、久しぶりに刺し身を食べてうとうとしていたら、弟が「あれ、息してないよ」って気づいて……。

内藤先生は、クリニックを構える甲府市と同じ山梨県の南部、六郷町(現・市川三郷町)の出身。本ばかり読んでいた文学少女だったのに「人と向き合う医師という仕事がしたい」と、大学は医学部を目指した。1986年、学生
時代に知り合った英国人と結婚し、夫の仕事の都合で渡英。
そこでホスピス運動のことを知る。「現代ホスピスの母と呼ばれるシシリーーソンダースに会い、直接話を聞くこともできた。
「ホスピスは建物ではありません。人を支える哲学です。」
ソンダースから聞いたその言葉は宝物だ。「治す医療」から見放された患者の心と体の苦痛を取り除き、その家族を支えるのが自分の使命だと信じた。

そのあと家族で帰国し、95年に甲府市で開業した。
保守的な土地柄の山梨では、偏見との闘いだったろうう。
「病院が一番」という意識が根強く、親戚が突然出てきて「家で最期を」と決めたごとに猛反対することもあった。「ドクターデス」と言われて、悔しくて泣いた。そのとき慰めてくれたのが、親しくしていた故・永六輔さんだった。
 「あなたほど明るく死を語れる人はいない。在宅ホスピスという分野は、いのちを学ぶ重要な取り組みみだよ」
そう、みとりながらいのちを学ぶのだ。この言葉も内藤先生の宝物になった。

たみ志さんは最後の2か月間、点滴だけで何も口にしなかった。それでも、オシッコもウンコも出た。自分の力を使い切って燃やしの切ったのだ。病院では、静かに見守るだけというのは、まずありえないと思う。遺影を前にして語り合うことで、みんなが死の実相を学んだ。「下の世話までやれたし、いい勉強をさせてもらいました。そう話す公一さんに死亡診断書を渡しながら内藤先生はこう言った。
「はいこれ、卒業証言よ!」


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