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深呼吸して決心 さあ新しい道へ

120512_02.jpg私の小さなクリニックは出会いの広場でもある。進行がんという人生の最大の危機を迎えた人や、患者さんのご家族、子育ての悩みや老老介護の苦しさを相談に来る人がふじ内科クリニックという広場で一息つき、決心して新たな方向に進み始めて下さる。私たちがいのちの最期までお付き合いすることもある。


私かイギリスで学んだホスピスケアは、現在日本では緩和ケアという分野として発展しているが、20年前は一般的な理解が乏しく、がんの痛みの緩和も十分ではなかった。
大野さん(仮名)46歳は、そんな時私の広場に訪れた患者さんのひとりだった。
当時はがん告知も進んでいなかったので、「僕は直腸がんで、肺転移もあります」と本人が初対面で切り出した時には驚いた。「先生、僕はとてもうれしいんです」と言う言葉にはさらに驚かされた。
「先日、先生の講演を聞いたんです。進行がんの僕の最大の心配はがんの痛みでした。3年もこの病気と闘ってきて、がんの痛みで苦しみぬいた友人をたくさん見てきた。がんになったことは諦めるけれど、あんな苦しみの日々だけは耐えられない。痛みによって自分が壊れてしまう。先生はがんの痛みは緩和できると言いましたね。救われました。家族のために働ける。これからの日々をよろしくお願いします」
大野さんは心からほっとした様子でそう言って、その日から最期を迎えるまでの6ヵ月の間私の患者さんになったのだった。
大野さんの希望ははっきりしていた。
 ・自分の身体に起きていること(情報)は自分が知りたい。
 ・自分で考えて、決定したい。
 ・がんの痛みは必ず取ってほしい。
 ・家族と一緒に居たい。
今なら当たり前のこれらの希望は、20年前には必ずしも簡単に叶えられることではなく、その厳しい現実を大野さんは体験していたのだった。やがて、がんの痛みが出てきたので、段階的に鎮痛薬の経ロモルヒネ製剤を導入し、がんの痛みを抑えることができた。
「先生、痛くない! 約束通りだ。ありがとう」
大野さんは最愛の奥さんと中学生、高校生の娘さんに囲まれてうれしそうだった。
「痛みがないから僕は僕でいられる。妻にありがとう、君と一緒で幸せだったと言えました」
大野さんの病気は6ヵ月の間に少しずつ進行した。やがて、最期の時が近づいてきた。娘さんたちは穏やかなお父さんのそばに安心して付き添っていた。
大野さんの誕生日がきた。
「ワインで乾杯しましょう!」と私が提案した。
グラスに注がれたワブ赤い色がキラキラと輝き、囲む者たちの目に映った。
「おいしいなあ」
結局、ワインを一番堪能したのは大野さんだった。
その一週間後、皆に囲まれて静かに旅立った。
さて、20年後のふじ内科クリニックの図書室で『ぶらっとピアノコンサートが開かれた。ピアニストは大野さんの長女。プロのピアニストとして活躍中。縁ある方々がふらっと寄ってピアノを聴いていく。どの方々も病や愛する人を失った苦しみを抱えている。ピアノのポーンという響きが胸の奥に届く。皆は涙ぐむ。娘さんが語る。
「父は最期まで穏やかで幸せそうでいきいきしていて、私たちは父の死があまり信じられませんでした。父が最期に飲んだワインの赤い色を今でも思します。同じ赤ワインを美しいと感じ、心から『おいしい』と思うこと。ピアノの響きに心が満ちて、喜びや幸せを感じること。父ができなかったことを私たちが体験し、幸せを積み重ねていくこと。それが亡くなった人への供養ではないか、と思うようになりました」
彼女もまたある日、野原に出て深呼吸し、風の音に、太陽の輝きに、花の香りに触れ、支えてくれる父の力を受け止め、新しい自分を見つけたのだと思う。
大切な人を失い、心に苦しみを抱いた時、思い切り泣き、そして『あした野原に出てみよう』。きっといつの日か新しい自分に出会うことができる。