エッセイ

宙(そら)と対話する土地

101128_02.jpg2010年10月23日の講演「宙をみて いのちを想う~オーロラとともに」を行った山梨県立の科学館の学芸員、高橋真理子さんが書いたオーロラのエッセーです。


1.アラスカという土地のカ
アラスカ……こうつぶやくだけで、胸か高鳴っていた時期があった。その高鳴りの導くままに、一人アラスカの大地に降り立ち、星野道夫に会った。私はそのとき二〇歳。「架空のアラスカ」に強い思いを抱きながら、困惑と不安と期待にまみれる私を見て、彼はこう言った。「漠然と「いいな」と思っていることは大切にしたほうかいいよ。それかどういう意味を持つのかそのときはわからなくても」。「ぼくは、みんなが就職するときに会社を選ぶのと同じようにアラスカを選んだのだと思う」。
 彼が何故アラスカを選んだのか、そんなことをここで考察せずとも、きっと他の多くの方々が書いていらっしゃるだろうし、また私の拙い文章で彼にとってのアラスカの意味など大それたことを書けるわけもない。しかし、敢えて言うならば、「誰のためでもなくそこに存在している、わけのわからない広がり」……そんな存在の意味のなさの中で途方に暮れる広がりの前で、自分の存在の意味を何度も問い直す。そういう作業を彼はずっとしてきたのではないだろうか。そのために彼はアラスカを直感的に選んだのではないか。土地の力に引かれるままにして。アラスカのどこまでも広い風景を目の前にしながら、かみ締めるようにつぶやく彼の声、「大きな風景だねえ」。そのどこまでも優しさと謙虚さを湛えたあの声が、まるで自分の存在を確かめているかのように聞こえるのだ。今でも耳の奥で。
2.北への憧れ
私にとってすべての始まりは、高校三年生のときにたまたま目にした薄い雑誌のカラー記。星野道夫とオーロラ研究の世界的研究者の赤祖父俊一氏かフェアバンクス郊外の湖のほとりで焚き火をしながら、オーロラやアラスカの自然について語っているものだった。そのわずか四ぺージの記事は、もともと思い込みの激しい私に、近い将来オーロラの研究をするのではないか、と思わせるのに十分な要素を含んでいた。すでに北への漠然とした憧れはあった。その記事が、憧れを目標に変え、北から自分が呼ばれる幻聴を作り出し、そうして私は大学を北海道に選んだ。オーロラを研究しようと意気込んで行った大学だったか、そこではオーロラなど地球の高層空間の現象に関する研究はやられていなかったことを、入学式の翌日に知ることになるのだが……。
 北海道に移って間もないころ、『アラスカ 光と風』(六興出版)に出会う。星野道夫の「思い」の持ち方、アラスカヘの行き方、オーロラを待つ話、すべてか琴線に触れ、アラスカに恋焦かれるようになった。正確に言えば、星野道夫を通してのアラスカに。
そして、私にとってアラスカか本当に何かの重みを持ちうるのかを碓かめるために、彼に手紙を書き、そしてアラスカヘ行った。
その土と風を感じ、星野道夫という人間そのものに触れ、赤祖父先生にも会い、待ちに待ったオーロラの乱舞に驚愕した。たしかな重みがあった。そして、一つずつ高くなっていく壁を思いながらも、オーロラ研究への道を選択することになる。オーロラ研究という営みと、アラスカに住むということは全く別の事柄だと認識しつつも、それをごちゃまぜにして、オーロラ研究をするためにアラスカに住むという「夢」が存在していることがそのときの私には大事だったのだ。
 何故北に憧れるのだろう。私にとってはこれは理屈ではなく、土地の力を感じるからとしかいいようかない。北海道の土地が教えてくれた、私にとって大きな意味を持つ自然の一つは、雪のすごさである。すごいというのは量だけのことではない。一晩にしてすべての汚いものを覆ってしまう速さ、その順に訪れる独特の静寂、雪が降る前兆の確かなにおい、青空の下の本題のように一斉に咲く雪の花の美しさ、自分の髪に降りてくる結品の愛らしさ、天を仰ぎ見るときの、吸い込まれそうな雷と闇のコントラスト……。これらを、自分が全くコントロールできないという切なさか、美しさと同時に畏れを感じさせる。こんな風に自然に対して狂おしいほどの感情を抱いたのは、北海道の持つ土地の力が、私の奥底まで響いたからだと思う。
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 極北のオーロラに憧れたのもまた、似たような理由かもしれない。天を切り裂くような光の渦、音もなくものすごいスピードで天を覆い尽くす光のその輝きと巡さ、これかすべてを超越した美しさと恐ろしさでなくてなんであろう?「この町の人々にとって、オーロラは珍しいものではない。にもかかわらず、天空を生き物のように駆けめぐる冷たい炎に、私達は足を止められ、何か大いなるものの存在へと心が吸い寄せられてゆく。以前、冬の山でたった一人でオーロラを見上げていた時、あまりの光の強さと雪面に反射した光で辺りか一瞬、昼間のように明るくなった。それは美しいというより、畏怖を感じる体験だった」(『長い旅の途上』)と星野道夫は記す。大いなるものの存在、北の自然は「おおらかな」というよりは、「凛としている」という表現のほうかずっと似合う。優しいというより、厳しい。それゆえにますます人を惹きつける。「きれいっていうより、こわいよね」という言葉は、彼のロからも何度か聞いた。彼は満天の星についてこうも言う、「夜空を見上げて星を仰ぐとは、気の遠くなるような宇宙の歴史を一瞬にして眺めていること。が、言葉ではわかっていても、その意味を本当に理解することはできず、私達はただ何かにひれ伏すしかない」(『旅をする木』)。当時は、星野道夫にとってのアラスカの魅力と、私自身にとってのそれを何度となくオーバーラップさせながら、北の自然に惹かれる日々であった。
 3.オーロラと自然科学
 また来よう、と決意した私は、日本の大学院でオーロラの研究をはじめて二年が経過した一九九四年、再びアラスカーフェアバンクスの地において、学会発表を行っていた。少し夢をかなえ、少し成長したかのように見える自分か誇らしかった。その発表をした夜、オーロラは初めて見たときよりも激しく、ピンク色もともなって舞っていた。
 オーロラは、太陽から飛来する電気を帯びた粒子と地球の持つ磁石が相互作用して起こる極域特有の自然現象である。太陽からの粒子は、地球の磁場がバリアとなって簡単には地球に入り込めないが、比較的入りやすい場所もあり、それか極地方にあたる。
その粒子が地球の大気(酸繁や窒素)にぶつかり、特有の光が放たれる。このようなオーロラ光のメカニズム、さらにオーロラ全体の動きの様相、それか強く現れるときの宇宙空間の条件など、多くのことがこの三~四○年に解明されてきた。いわゆる「科学的に」オーロラの説明がされてきたのは、観測技術か飛躍的に発達し、人工衛星によって宇宙空間から地球を眺められるようになってきてからだ。それまでは、地上から見ることのできる、全体からすればほんの一部の現象をつなぎ合わせ、全体の動きを想像するしかなかった。今は研究者の誰もが認める概念になった「オーロラ・サブストーム」(突発的に激しいオーロラが始まり、その後、広い範囲に広がっておさまるまでの一~二時間程度の現象)は、アラスカ大学の赤祖父氏が六〇年代から提唱していたが、それが認められるまでに二〇年近い歳月がかかっている。これも人工衛星からオーロラが眺められるようになって、初めて納得されたものだ。最近では、太陽を観測している人工衛星の情報もほぼリアルタイムで得られ、また地球を周回する人工衛星による様々なデータを組み合わせることで、精度のいい「オーロラ予報」もできつつある。一方で、オーロラ・サブストームの直接的な原囚などについては、研究者の中でも議論か続き、明快な解があるわけでは決してない。
 「知りたい」「その意味を理解したい」という人間の好奇心、欲望に支えられて科学は積み上げられてきた。「世の中に存在しているもの」に意味づけすることの欲望から私達は逃れられないのかもしれない。このように、人間による人間くさい営みであるにも関わらず、現代における「科学」というのは、ともすると「社会」から遊離して考えられがちだ。「オーロラの研究って何の役に立つのですか?」という質問は、今でも多くの研究者が聞いていることだろう。科学の活動そのものも、ある程度から先へ進むと、細分化の方向へ向かう。それぞれのやっている活動は、全体の中の一つであるのにも関わらず、お互いの関係は見えにくくなる。その活動とそれぞれの人々の生活とのつながりともなると、ますます見えないというのか現実だ。北への憧れとオーロラの研究をごちゃまぜにしてきた私にとって、自分と科学のつながりを見つけるのは、だんだん困難なことになっていた。
 4.一九九六年
 一九九六年。そのころの私は、研究をはじめて四年が経過し、研究に魅力を感じられずいろいろなことが滞っていた。ほんとうに面白いと思うテーマが見つからない。テーマにしていることがなかなか「自分の問題」にならない、つまり本当に知りたいと思えない、そんな状況だった。いろいろな意味で、どん底にいた私はある日、図書館で『旅をする木』(文芸春秋)を見つけた。図書館の中だったのに、泣けて泣けてしかたがなかった。懐かしいアラスカの匂い。失いかけていた自分か蘇る。夢におどっていた私はどこへ行ってしまったのか。
 その後しばらくして、「星野道夫氏カムチャッカでクマに襲われ死亡」という衝撃的なニュース。それを知った夜から、毎日彼の本や写真集を眺めては何時間も過ごした。思えば、彼は夢へのきっかけを与えてくれただけでなく、いったいどれだけ多くのことを与え、教えてくれたことだろう。自然やすべての生命に対するいとおしい感情、わずかな可能性にかける情熱、時間・空間軸の中での自然と人間の関わりへの問い、人生の本質的な意味、・何よりすべてのいのちに対する誠実さ……。私は再びアラスカに恋焦がれていたころの自分を思い起こし、そこから現在の自分を見つめ、混乱を来した。私は何か、何だったのか、何をめざし、何をやりたかったのかすっかりわからなくなった。どうしようもなくなり、三回目のアラスカに赴いた。
 真っ黄色に染まるアスベンの林かどこまでも美しい九月のフェアバンクス。ミチオ・メモリアルは、彼が『旅をする木』の中に綴っている友人のパイロットのメモリアルを彷彿とさせる、人々の深い思い、悲しみ、そしてミチオヘの感謝がいっぱいに詰まった素晴しい会だった。人間とはここまで深く、愛し愛され生きることができるのか……。のちに、『ガイアシンフォニー第三番』の中で聞く、メアリー・シールズの言葉「ミチオの人生の最終目的はヒトを愛することを学ぶことでした。彼はヒトを愛しきったのです」に象徴される、彼の生き方がそのまま現れたかのように。
 そのアラスカ滞在中、いったいアラスカが私にとって何だったのかずっと考えていた。星野道夫を通してのアラスカに幻想を抱いていただけだったのだろうか。あるいはもっと直接的な意味があったのだろうか。帰りの飛行機の中で、その答えの一つとして「象徴」という言葉か思い浮かぶ。私は星野道夫を通してしか、アラスカを知らない。どこか実体にならない架空のもの、けれども何か重要なキーをにぎっている。初めてのアラスカが私にとって、一つの時代の始まりだったように、今回のアラスカがきっとその時代の終わりと何かの始まりをつくってくれる、そんな気がした。
 『アークティック・オデッセイ』(新潮社)の中で、彼は、「テクノロジーは人間を宇宙まで運ぶ時代をもたらし、自然科学は、私たちか誰であるかを確かに解き明かしつつある。それなのに何故か、私だちと世界のつながりを語ってはくれない」と語る。このことは、実は、研究で低迷していた私そのもののことを言っているのかもしれなかった。自分とのつながりをそこに見出せなかった私に。それに続け彼はこうも言う。「それどころか、世界は自己から切り離され、対象化され、精神的な豊かさからどんどんと遠ざかって行く。私達は、人間の存在を宇宙の中で位置づけるため、神話の力を必要としているのかもしれない」。
 この文章を読み直したとき、それが私の問題であるのと同時に、それを何らかの解決に向けるのも私の問題ではないか、と気づいた。つまり、科学とそれ以外のものを駆使して、それらをつなぐことか、私の仕事になるのではないか。科学ですべてを語ろうとするのはやめよう、きっと科学とそれ以外のものを組み合わせたときに、自分に深い納得のときがやってくるに違いない、と。
 自然科学、ことに基礎科学は、先ほども書いたように人間の「知りたい」「意味を理解したい」という欲望に支えられた活動だ。
それはすべて「人間の営み」である。その先に何かあるか。全宇宙の理解だろうか。おそらくそう思っている研究者はそうはいないのではないだろうか。少しでも理解したい、と願っている一方で、自然科学の研究者たちの多くは、何かがわかると、またその倍ぐらいわからないことがでてくる、というのを実感していると思う。宇宙全体の現象の中で、いったい自分達か何割ぐらい理解をしており、何割ぐらいわかっていないのか、それさえもわからない。発見されていない現象がいくつあるのかさえわからないのだから。だからいつまでも探究は続く。世の中は不思議に満ちていて、その不思議さはおそらく人間の時代を遥か超えて続いてゆくだろう。その不思議さが、人間の自然に対する「畏れ」をいつまでも残してくれる。科学か教えてくれる自然の不思議さと、人間の感情としての畏れ、また自然に対する懐かしさや愛おしさ、そういったものを対立させず、静かに繋いでみたい、そして私はそれを実現させてくれるメディアにその翌年、出会うことになる。
 
5.科学と神話を繋ぐ「オーロラストーリー」
 一九九七年、私はプラネタリウムという場所を仕事として得た。
プラネタリウムは、私かそれまでに漠然と考えていた理想のミュージアム―総合的で、科学も音楽も芸術も文学も全部ひっくるめられるところ-にかなり近いメディアであることを、仕事を始めてから気づいた。プラネタリウム番組という、星、映像、音響をすべて組み合わせて展開する作品づくりを通して、科学とそれ以外のものを融合するのに、最高のメディアとさえ感じるようになり、私はプラネタリウムに携わって四年目に、星野道夫を主人公に設定したプラネタリウム番組「オーロラストーリー」を制作し、投影した。
 舞台はルース氷河。彼はマッキンレー山の上に舞うオーロラを待ち続け、その間、オーロラ研究者との対話を思い出しつつ、一方で、先住民の人々のオーロラ観を回想する。「科学」でわかっっているオーロラは、一言で言うと「宇宙への窓」。オーロラを光らせる粒子は、宇宙空間のどこからでも地上に入ってこられるわけではない。人ってきやすい条件を満たしているところだけに現れる。つまり、オーロラの出ているところは、宇宙へ聞かれた窓である。一方、先住民の語るオーロラは、「死者があの世へ向かうときに、その道をワタリガラスがたいまつをもって照らしてやっている。これがオーロラだ」と。「宇宙への窓、死者があの世へわたっていく架け橋、……地球と宇宙を結び、生と死を結んでいる」とナレーションか繋ぐ。そして、一ヶ月待った彼の頭上に狂わんばかりのオーロラが舞い、こんな。「想い」に到達する。
「ふたつのことが重なった。人工衛星を飛ばして地球のしくみを理解しようとする試みも、先住民のように、自らの存在の意味を問い続ける物語も、それぞれが人間の作り出した神話のような気がしてならない」。彼は、オーロラを通してこう語ったわけではなかったけれど、それで彼が怒ることはないだろうという勝手な自信があった。彼の言葉を借りながら、私は「科学とそれ以外のことを融合することによって深い納得を得る」ことを具現化したかったのだ。ある来館者からの感想にこんな文章をいただいた。
「「科学とは」ということを、とても根源的な「人とは」「命とは」という視点を見失うことなく語っていると思った。表現するときに一番大切なことは「想い」だと思う。それが心の深みまで届いてきた」。ありがたい言葉だった。
 もうひとつ、このストーリーの中で伝えたかったことがある。
このストーリーの大本になったのは、「アラスカ 光と風」の「オーロラを求めて」の章だ。一八歳の私を興奮の渦に陥れた文章。マッキンレー山にかかるオーロラを撮るために、一ヶ月間、真冬の山にこもったときの話だ。何故こんなことをしてまで、写真を撮ろうとするのだろう。「いったい自分は何をやろうとしているのだろう」と彼自身も何度も頭の中で繰り返す。私は今になってこんなことを思う。このとき彼は、写真を撮ることをロ実に、実はそれまでに経験しえなかった宙(そら)と自分との対話を経験したかったのではなかったか。そのどうしようもなく畏れを抱かずにはいられない天の光と対峙することによって。そういった想いは、ストーリー最後の彼の言葉に集約されてゆく。「僕は人間か究極的に知りたいことを考えた。一万年の星のきらめきが問いかけてくる宇宙の深さ、人間か遠い昔から祈り続けてきた彼岸という世界、どんな未来にむかい何の目的をおわされているのか、という人間の存在の意味。そのひとつひとつがどこかでつながっているような気がした。けれども、人間がもし本当に知りたいことを知ってしまったら、私達は生きてゆく力を得るのだろうか。それとも失ってゆくのだろうか。そのことを知ろうとする想いが人間を支えながら、それが知り得ないことで私達は生かされているのではないだろうか」(『森と氷河と鯨』)。
 「オーロラストーリー」の投影にあわせて、オーロラクラブとの共催イベントとして、私の勤める科学館にアラスカ大学の赤祖父氏をお呼びして講演していただいた。その講演の冒頭のスライドにはびっくりした。それまでの一三年間を集大成させてもらった「オーロラストーリー」の投影の日に、その始まりとなった一九八七年の記事、星野道夫との対談の記事のコピーかそこに映し出されていたのだ、赤祖父氏が見事に、私自身の物語の、最初と最後を見せてくれたかのように。
 「オーロラストーリー」の投影を通して、私は白身の物語を振り返っただけでなく、制作に携わってくださった方、それを観てくださった多くの方々がもつ「星野道夫物語」にも接することができた。日々の生活の中で、星野道夫が何を変え、何を与えてくれたのかを語ってくださった方、星野道夫を通して私に出会ったことがきっかけで、新しい人生に踏み出した人もいる。人が何かに出会い、誰かに出会った瞬間に、物語は生まれる。星野道夫はその肉体を亡くしてもなお、多くの人々を繋ぎ続け、そして物語を創出している。彼はそうやって生き続けているとつくづく感じるのである。
 6.生きている不思議、死んでいく不思議、出会う不思議
 先に書いた一九八七年の記事の中で、星野道夫はこう語っている。「ぼくは不思議なものかいつまでもたくさんあってほしいんです。言葉にならないような不思議なものって人を緊張させるでしょう。アラスカにはいろんな生物がいて、オーロラが輝いて、そういう緊張感を持って生きると自分がちっぽけだったり、すばらしかったり、何ものなりかということもわかってくる。それは結局自分が生きてるってことかどんなに不思議かってことを知ることなんじゃないか」。
 少し唐突だが、映画『千と千尋の神隠し』の主題歌「いつも何度でも」の中に、「生きている不思議、死んでいく不思議、花も風も街もみんな同じ」というくだりがある。これを聞くたびに、私は星野道夫を思う。生きていることの不思議さを思う、探究する、考える……」のことは「生命の大切さ」を説くより、何倍も、他者のいのちの存在を感じ、謙虚に生きることを促すのではないだろうか。
 この宇宙に存在するもの、星、ありとあらゆる生命、無機物、人工物、そして自分。これらはすべて何かしらの関係性によって結ばれている。生命を生み出したその前の生命は必ず存在する。
人工物はそれを作り出した人が必ずいる。その関係性こそ、自分という存在を宇宙全体の中で位置づける、一つ一つの要素なのではないかと思う。この関係性か多様であればあるほど、複雑であればあるほど、その生は不思議と素敵に満ちてゆく。その関係性について、人はあらゆる手段を使って解釈しようとしてきた。その手段の一つか、科学であり、また物語である。違う視点を与えてくれる対称的な二つの手段だ。しかし視点か違うだけで、その目的は結局のところ同じなのではないかと思う。これらの解釈には、必ず想像力か必要だ。この点においても、物語も科学も同じである。関係性の中で自分の位置を知る、これは長い間、人間たちがずっと試行錯誤してきたことなのだろう。
 星野道夫にとってその関係性に対する想像力を最もかきたててくれる場所、それがアラスカだった。小さな自分に対して、あまりに大きく、おそらく人間の解釈をはるか超えてしまっている存在……それが再び自分の存在を教えてくれる。生きている不思議と死んでいく不思議をどこまでも感じさせてくれる場所、として。
星野道夫という人物が、一冊の木を通してアラスカという場所に「出会い」、その星野道夫に私か一つの記事を通して「出会い」、私がつくった番組を介してまた多くの人と出会う、こういった出会いの不思議は、まさしく、生きている不思議と死んでいく不思議と同じくらいの重さと深さを持つ。星野道夫が今なおつくりだす出会いの不思議は、彼の生と死の境界を不透明にさせているくらいである。