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命は希望である

100602_01.jpg山梨新報2010年5月28日
甲府ワイズメンズクラブ(広瀬静男会長)はこのほど甲府市内で、ふじ内科クリニック院長で在宅ホスピス医の内藤いづみさんを招き「いのちは希望であるホスピスケアから学んだこと」と題した講演会を開いた。


三つの心得
今の日本は、世界中で最も、子どもやお年寄りから「寂しい」という言葉が聞かれる国だ。家族や仲間とのつながりが薄れ、多くの人が孤独を感じている。
私は、幸せを感じながら健やかに生きるためには、体の健康維持だけでなく①社会参加する力②死生観を確立する覚悟③勇気ある心が必要だと考えている。
東京のある男性は退職まであと1年を残し、「余命3、4カ月」と末期がんを宣告された。男性の夢は北杜市で大根を栽培すること。あわてて奥さんと一緒に、すでに購入していた長坂の家に移り住んで大根の種をまいた。
「大根を食べれるだろうか」
往診に訪れる私に彼はいつもこう尋ねたが、病状は次第に悪化していった。しかし、男性は病院のベッドではなく、八ヶ岳と畑を臨む窓辺に敷いた布団を選んだ。そこでは、飼い犬や猫と一緒に横になって、毎日、大根の成長を眺めることができた。その生活を奥さんと娘さんが支えた。今から10年も前のことである。この決断には本人も家族も勇気が要ったことだろう。
最期まで自分らしく
やがて収穫の時期が来て、彼はついに大根を自らの手で抜いた。念願のふろふき大根にして食べることもできた。いよいよ最期の時が近づくと、親友と大好きなお酒を酌み交わし、家族に「本当にありがとう。幸せだった」と伝えた。最期まで自分らしく生きた人だった。
元気な時も病気の時も、今という一瞬を一生懸命生きること。そして、家族に感謝すること。それが積み重なって、安らかな最期につながっていく。
愛する人に囲まれて
92歳のすい臓がんだった、あるおばあちゃんは、余命1カ月を宣告された。生涯一度も入院をしたことがなく、最期まで家で過ごすことを強く望んだ。
その10カ月後、おばあちゃんは願いどおり我が家で子どもや孫など自分が愛する人たちに囲まれて息を引き取った。「おばあちゃん、ありがとう」。感謝の言葉に包まれて終えたおばあちゃんの人生は、最高に幸せなものだったはずだ。もし身近な愛する人から、こうした命のメッセージを受け取ったなら、我々は、このバトンを誰にどうやって渡していけばいいのだろうか。それは誰かに教わることではない。それぞれが元気なうちから、自分の命に責任を持ち、考えていかなければならないことなのだ。