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マインドフルネスを登山家に学ぶ

月刊MOKU 2016年8月号「生き死にだけでなく 第三回」より

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「山があるのにヤマナシケン」と私たち山梨県人はからかわれてきた。甲府盆地に住んでいると四方が山。しかし、県外の友人に「あの山の名は?」と問われても分からない。私の知っている山は富士山(もちろん!)。八ヶ岳、駒ヶ岳、茅ヶ岳、南アルプス。そして、近くの湯村山。あとは高い山、低い山という区別のみ。
 最近のハイキングブームがくるまで、甲州の人たちは山登りなどあまりしなかったのではないだろうか。私の母も、「昔はみんな貧しくて、野でも山でも働いていたから、山登りは趣味にならなかったのよ」と言う。現代の甲州の人たちにとっても、山は身近過ぎて貴さをあまり感じられないのかもしれない。
 県外者の夫は山梨百名山にもチャレンジしていて、いつも愛しそうに山を眺めている。私の最高記録は、婚約時代に夫と登った鳳凰
三山。山小屋で管理人のおじさんに「持参したドライヤーを使いたいのですが、コンセントはどこですか?」と聞いたら、黙って背を向けられた思い出がある。夫はそれ以後、本格的な山登りには誘ってくれない。
 そんな私だが、ご縁があって、主催するホスピス学校に日本を代表する登山家の戸高雅史さんをお招きすることができた。戸高さんは標高八〇〇〇メートルを超えるヒマラヤの山々を無酸素で登頂。特にK2峰(標高八六一一メートル) 南東稜を単独無酸素登頂したことは驚異的な快挙である。
「なぜ登るのか? 怖くないのか? 彼はスーパーマンなのか?」。頭の中にたくさんの質問が浮かんだ。
 初対面の戸高さんは穏やかに笑う紳士だった。人を圧倒するような体格でもない。厳しくも美しい山の写真を見せてくださりながら、語ってくれた。
 七〇〇〇メートル(富士山の二倍)まで登ると、空気も薄くなり、体の六十兆個の細胞が一瞬に変化する。生きていくことに必要な機能に体内のエネルギーが集中する。それまで聞こえていた音がなくなる。という感覚になるそうだ。自分だけが存在する別世界。ゼロ地点。人によってはデスゾーン(死の領域)と呼ぶらしい。ただひたすら登る。上へ。裾野へ下りるために頂上目指して登る。勝ち負けや記録を樹立したいという欲も消え、透明になった「今」を生きる自分しか存在しない、と感じたという。
 私は聞いてみた。「孤独ではなかったんですか?」。
「それがゼロ地点を越えた頃から不安が消え、すべてが信頼できる満ち足りた思いに包まれたんです。
ひとりでも何も怖くない。とにかく一歩進める。過去も未来もなく、今という自分を信頼し、幸せな気持ちになったんです」
 これはいま流行りのマインドフルネス(気付きを基礎に置いた心理療法。ひとつのことに集中すること。いまの自分に気付き、現実をあるがままに受け入れる)そのものだ。
「スーパーマン的体力が要りますか?」
「いえ、いちばん大切なのは気力なんです。一歩進むという意欲」
 私はこれまで何人かに臨死体験の話を聞いたことがある。デスゾーンと死に逝くときの体験とは似ているかもしれないと感じた。「大丈夫。怖くなかった。幸せだった」。臨死体験をした人たちは、みんなそう言っていた。戸高さんの話からも、死のプロセスは恐怖ではないのかもしれない、と安心した。
 でも、最期まで一歩ずつ頑張り、集中して生き抜く力(死に逝く力)も必要だ。諦あきらめずに最期の一息まで味わい尽くす覚悟、というべきか。
 戸高さんはその後、麓(人の暮らし)へ戻って、山登りやアウトドアの楽しみを伝えている。
 そうなのだ。麓には暮らしの喜びと悲しみと幸せがある。音も色もある。私も麓で、これからも看取りのお手伝いをしていく。戸高さんのおかげで臨死の方々に「怖くないよ」と前よりずっと自信を持って伝えられる気がする。