大往生の姿を家族に見せたい。だから妻が逝った部屋で最期を

<女性自身 2016年8月2日号より>
盟友のホスピス医・内藤いづみさんが明かす「遺言」
名曲『上を向いて歩こう』の作詞や『大往生』の著者として知られる永六輔さん。日本中を感動させたその言葉は、最後まで心に響く強さを持っていた。

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 「『永さんに会いたい』 つていう気持ちは強くても、ご自宅に行くのは初めてで恐れ多かった。でも、『会わないと後悔する』と思いなおして、うかがいました。
 玄関を入ると、目に飛び込んできたのが廊下にずらりと並んだ本。個人図書館のような量に驚くと同時に、ああ、これが博識だった永さんの頭の中なんだと納得しました。
さらに進んで居間に足を踏み入れると、永さんは、そこに置かれた介護ベッドで寝てい
ました。」
 7月7日、放送作家でラジオパーソナリティとしても活躍した永六輔さんが、肺炎のために83年の生涯を閉じた。
 亡くなる3週間ほど前に自宅で見舞ったのが。「みとりの専門医」とも呼ばれる、ふじ内科クリニック院長の内藤いづみさん(60)。病院での死が当たり前だった18年前から、永さんは在宅ホスピス医としての内藤さんの活動を応援し続け、ときには共に講演で全国行脚してきた。
 お見舞いは、その仲間であるミュージシャンの小林啓子さん(69)と一緒だった。
 小林さんは、20年ほど前、長く休んでいた音楽活動を再開した直後、永さんに「一緒に旅に出て歌えばいい」と声をかけられて人生が変わった。
 「ぶれずに生き切った方。恩返しの途中で永さんはいなくなってしまいました……」。愛弟子”として濃厚な時間を過ごした小林さん。内藤さんと共に肩を落とした。
 本誌は13年春、山梨県甲府市で行われた講演会「いのちを伝える旅」に同行取材している。10年にパーキンソン病や前立腺がんが判明、11年には自宅で転倒して大腿骨頸部を骨折した永さんは自分では歩けない。記者が車いすを押しながらの取材だった。
 講演会では永さんの死生観がにじみ出る場面も多々。
内藤 「この講演会のいいところは、私と一緒だと永さんの体調もチェックできるし、薬の処方もできます(笑)」
永「(みなさんも)かかりつけ医をぜひ持ってね。医師と上手に付き合う方法も含めて、伝えていきたい。それがやすらかな最期を迎えるためには重要なのだと」
 この言葉の背景には、永さん自身が02年に末期がんを患っていた妻・昌子さんを自宅でみとったときの体験と学びがある。
 「結婚以来、夫婦でこんなにゆっくりと過ごしたことなんてなかったなと思いました。家族がただ患者の手を握る。それが、どれだけ大切なことか。」
 昌子さんが自宅のお気に入りのソファの上で娘さんの腕に抱かれたまま静かに息を引き取ったとき、永さんは多くのことを学んだと言う。
 その後も、互いに日本各地からはがきを出して近況を伝え合ったが、しだいに内藤さんに届くはがきが半年に2回、1回と減っていったという。
 「それで去年の暮れ、小林さんと赤坂のTBSラジオの『六輔七転八倒九十分』のスタジオを訪ねたんです。私たちが来たと聞いて永さんはシャキッと元気になっちゃって『先生が来ると、注射みたいに元気になるね』って笑いあわれていました。滑舌もまあまあだったし、お元気だったなあという安心感もあって。
 その後入院したと聞き、今年に入って半年もするとはがきが来なくなり……。医師の勘で『会わないと後悔する』と思って、自宅を訪ねました」
 しかし、6月14日、永さんの自宅を見舞ったとき、以前のような会話は、残念ながら
かなわなかった。「ちょうど深く眠るサイクルのときだったようで、ほっぺたをいじっても、吸引しても寝ちゃったままで。それはそれでよかったかなと。苦しいことは嫌ですからね。
 ご家族はごく普通に接していて、当たり前の日常の中で、深い心の交流があるように感
じました。病院では『病気を見つめる時間』になりがちですが、在宅では『いのちを見つめる時間』に変わるのです」
 それから、ふと、永さんの言葉を思い出したという。
 「奥さんのお骨はお墓に納めず部屋の中にあると聞いたことがあったので、そういえば、あれはどれだろうと部屋を見回したんです」
 そして視線が止まったのが本棚のいちばん上の端っこ。
 「普通だと気付かないような、上品でまるでオブジェのような骨つぼ。自分が死んでいく居間の本棚の一方に奥さんの骨つぼがあって、『俺が死んだらこっち惻でブックエンド完成』とか言ってはみなを笑わせていました。
 今ごろは愛してやまなかった奥さまに『待たせたね。忘れないでいてくれた?』とほほ笑みかけていると思います」
 自然に目を覚ますのを待って、居間で1時間ほどが過ぎた。途中、次女でフリーアナウンサーの麻理さんが「ほら、お父さん。せっかくお2人が来てくれたんだから目を開けてよ!」と体を静かにゆすってもやっぱり寝たままだった。
 その間、小林さんがずっと永さんの足をさすっていた。
医師である内藤さんが感じ取ったのは、いよいよエンドステージ(終末期)だということだった。
 2人は静かに眠る永さんの顔と顔がくっつくほど近づけながら、こう語りかけた。
 「ありがとう」
 瞬間、永さんが目を開けて笑ったのを見逃さなかった。
「『いま、笑ったね』って。
まるでお釈迦様みたいな笑顔で。話はできなかったけれど、その顔を見てすごく癒されて、ああ、これでもう思い残すことはないな、と」
 その後の永さんの訃報に接して、内藤さんは思った。
 「これだけ名声と財力のある人です。有名な1泊30万円もする病院に入ることもできた
はず。でも、家族に寄り添ってもらって、骨つぼの中に奥さんがいる大好きな部屋で大往生できた。生き切ったんです。
死は怖いことではないと言っていた永さんらしいですね」
 講演での言葉がよみがえる。
 「生きていくということは、誰かに助けてもらって借りを作ること。その借りをどうやって返していくか。それが、人生。生き方がその人の死に方になる。本当はね、生きるのは死ぬことより大変なんだ」
 内藤さんへ残した言葉は、「『甲府の先生でいてください』と言われました。旅の先々で地域を大切にしていた永さんの重い言葉です。永さんは昇天して、大きな星になって、私たちを見守ってくれています」
 七夕の日、愛した妻が亡くなった部屋で天に召された永六輔さん。無事に。「再会」の夢が果たされたに違いない。

文・藤本美郷