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緩和ケアを普及させるために

メディカルレビュー社「がんの痛みをとる!」2016年4月号より

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イギリスで学んだホスピスケア、在宅ケアを日本にも伝えたいと帰国を決意
 1980年代半ば、イギリスでは、ホスピスを立ち上げる運動があらゆる所で起きていました。まさに同じ時期の1986年、私は夫の転勤によりホスピス発祥の地であるイギリスに移住し、ボランティアの一員としてホスピスの現場を経験する機会に恵まれました。そこで私がみたがん患者さんのあり方は、これまで医療現場でみてきたものとは大きく違っていました。ほとんどの患者さんがモルヒネを服用し、痛みを取り除きながら自分らしい日常生活を過ごしていたのです。みんな、がんで余命幾ばくもないことを知っているのにもかかわらず、社会の一員として誇りをもち、病人という枠に閉じこもって孤独に陥ることもなく、笑顔で今を生きていました。
 イギリスのホスピスは、温かく、もてなしにあふれた場所でした。例えば、がんが進行しても患者さん本人が自宅で過ごすことを望めば、その人や家族をホームドクター(家庭医)と看護師、およびスペシャリスト・ナース(がん専門の訪問看護師)のグループ、牧師さんや神父さん、ソーシャルワーカーなど、多くの人で支えてくれているところに私は共感しました。
 このようなイギリスのホスピスケア、在宅ケアを日本にも伝えたい。日本のがん患者さんにもイギリスのがん患者さんのような最期を迎えられるようにしたい。私はそのような気持ちが強くなり、イギリスでの生活が始まって7年目、夫の理解と協力を得て、郷里の山梨に戻りました。しばらくは、甲府にある病院の勤務医として働き、 1995年、自らの信念・哲学に基づいた医療を実践するために『ふじ内科クリニック』を開業しました。それとともに帰国間もない頃から、知人の医師が「イギリスのホスピス事情を実地体験したお話を聞きたい」と企画してくれた講演会をきっかけに全国で講演を行ったり、また本を執筆したりして、ホスピスケア、在宅ケアの啓発活動を始めていきました。

開業後20年、変わらない自らの信念・哲学
~自分の人生を自ら選びしっかり生き抜くためのサポート~

 最初に開業した『ふじ内科クリニック』は、駐車場がなく、ビル2階にある8畳二間の小さな部屋でした。当時、本場イギリスでみたスペシャリスト・ナースの事務所もとても狭かったのですが、私は、私と信念・哲学を同じくする看護師がいれば、大がかりな施設を用意しなくても、ホスピスケア、在宅ケアは可能であると考えています。その後、階段の登り降りが困難ながん患者さんの受診が増えてきたので、1階でバリアフリーを設置した現在の地に移転しました。ただし、診療スペースは広がったものの、以前のオープンな雰囲気を残しています。
 開業以来20年間、診療を通じ、また講演や執筆などの啓発活動を通じて、ホスピスケア、在宅ケアの哲学を伝えることに力を注いできました。哲学とは、「自分の人生を、自ら選んで、しっかり生き抜いてもらうためのサポート」です。
それに基づき、開業当初より、私は最先端な治療が必要な時は、大きな病院におまかせし、病気であることを忘れられるような場を目指して診療を続けてきました。患者さんや家族の心療内科的な相談を含めてゆっくり話を聞き、不安や恐怖に陥っている場合は落ち着かせるようにしていきました。実は、 2014年に、開業後間もない頃に書いた本の改訂版を出版しましたが、それにより、この20年間、私の中にあるホスピスケア、在宅ケアの哲学は変わっていないこともあらためて確認できました。
 また、私のクリニックに訪れる患者さんや家族のほとんどが20年前も自ら「自分の人生をしっかり生き抜きたい」と考え私のところを選択して下さっています。

開業後20年、変わった社会、家族のあり方
~システムありきで哲学のない在宅ケアとつながりの薄い家族~

 その一方で、この20年間に社会は大きく変わりました。20年前には、在宅ケアは皆無に等しいものでしたが、今、それは国策として推進されて、システムが構築され全国いたるところで展開されています。しかしシステムありきの在宅ケアで、そこにいのちの哲学が乏しいことを痛感させられています。
 例えば、ある大きな病院で、末期の膵臓がんと診断され、余命約3ヵ月と知らされた88歳女性のお話をします。患者さん本人は自宅で生活することを望み、同居家族もそれを望んだことから、その病院の地域連携システムに従って、在宅でのホスピスケアが始まりました。ところが、福祉関係に進む予定で、私の書いた本を熱心に読んでくれていたお孫さんが、そのホスピスケアに疑問をもち、「先生に診て欲しい」と私のクリニックを訪ねてきたのです。理由は、痛みの治療や看取り経験も豊富なチームではありましたが、患者さんや家族の驚きや戸惑い、不安によりそっていない。つまり在宅ホスピスケアの哲学が足りないと私は思いました。
 また、この20年間家族のあり方も大きく変わりました。20年前、多くの高齢者は家族と同居していましたが、今では独居の高齢者が増えています。そのせいか、私たち医療者や介護スタッフが、どれほど、患者さんのことを心配しているかということが、身内に伝わっていないと感じることがしばしばあります。とくに慢性疾患の場合はゆっくりと病気が進行し自立的な生活期間が長いことから、そうしたことを如実に感じます。例えば、私たちが家族に「そろそろ自立した生活が無理になってきていますよ」と伝えても、キーパーソンになる人さえ、私たちはおろか患者さんのもとへ来なかったり、あるいは、長い間フォローをしていた独居の高齢者がしばらく来院されていないと思っていると、家族からではなく、突然風の便りで訃報を聞いたりといった具合です。

ホスピスケア、在宅ケアでは、Total Painのケアを行うこと、その方の最期の親しい友人になる覚悟をする
 今後、システムはシステムとして、ホスピスケア、在宅ケアを実践するのであれば、やはりそこに哲学を入れていかなければならないと考えています。ホスピスケア、在宅ケアのスタートラインは、身体の痛みをとることです。幸い、今は痛みの治療の講習会が積極的に行われており、基本をしっかり学ぶことができ、また鎮痛薬の使用も増えました。
 しかし、例えば、認知症のがん患者さんは、そもそも痛みを訴えられなかったり、痛みを訴えても、10秒後には忘れていたりするため、痛みの治療は注意深く行わなければなりません。そして、痛みをしっかりとり、重い認知症から穏やかな認知症へと、認知症の質を変えることが大切です。また、在宅での痛みの治療は、シンプルに行い、基本的に痛みのない状態にもっていきます。在宅でレスキューを頻繁に使うことや、まとめて1ヵ月分処方するなどもってのほかです。医療用麻薬がとても大切な薬であることをきちんと認識し、患者さんをしっかりと観察した上で、レスキューを適切に処方することが重要です。このような痛みの治療を行うためには、講習会で得た知識や技術だけではなく、哲学が必要です。それは、患者さんの痛みに向かい合う気持ちと信念、なんとか患者さんの役に立ちたいという熱意、身体の痛みがとれたとしても、“Total Pain (全人的な痛み)のケアの実践”といった哲学を知っていなければなりません。
 また、今後、がんや慢性疾患を抱えながら生活していく独居の高齢者はますます増えていきます。日本では社会福祉制度が整備されていますが、その財源は無尽蔵ではありません。日本人の価値観見直し、医療者、介護者、家族の「なんでもやってあげる」、患者さんや高齢者の「なんでもやってもらってあたりまえ」の依存した関係から、患者さんや高齢者が「自分でできる」という意思をもち、医療者や介護者、家族がその意思を尊重する自立した関係を構築していく必要があります。とはいえ、すぐに欧米人のような自立心が生まれるわけではなく、日本人の「死ぬときには家族にそばにいてほしい」と願う気持ちは大切です。家族のつながりが希薄になるなかで、私たち医療者は、たとえ報われなくても、“患者さんの人生最期の友人になる覚悟”をもつことが必要だと思います。

これから20年後のホスピスケア、在宅ケアを実践できる医療者の育成に力を注ぐ
私は、常に20年先、30年先を見据えて活動してきたつもりです。前述したような変わりゆく社会、家族のあり方を考えれば、20年先、30年先の医療者には、患者さんの最期の親しいよりそい人として、哲学をもったホスピスケア、在宅ケアを実践していくことが要求されるでしょう。そのような医療者になるためには、医療者自身が「Total Painのケアの実践を一身体を動かす、心をときめかす、家族と交流する、大いなる者に触れる(スピリチュアルなもの)-」認識していなければならないと考えています。そうでなければ、患者さんの苦悩に直面し、答えようのない重たい問いを突きつけられ、自分自身もひどく傷つき、立ち上がれなくなることになりかねません。なかには、患者さんに共感しすぎて、患者さんが亡くなった後、精神的に燃え尽きてしまい、すぐに働く気力を取り戻せなくなる人もいます。
 そこで、私は、最近アメリカで禅を通じて終末期ケアをサポートする新たなる師と出会い、 2013年より、共感をこえて慈悲の心を学び始めました。今後は、患者さんだけでなく、ケアする人にもケアをし、優しく、慈しみにあふれ、明るく強い心で患者さんに寄り添い、その苦しみを味わいながらも緩和し、患者さんや家族と向き合える医療者の育成に力を入れていきたいと考えています。