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家で迎える自然体の最期

読売新聞「伏流水8月」より
近所の90歳の男性は、妻とふたり暮らしの老々介護だった。虚弱な奥さんを3年前に見送った後、しばらくはひとり暮らしで頑張っていたが、立ち行かなくなって老人施設に入った。

140903_03私も定期的に往診をしていた。
重度の心不全があり、病院への入退院を繰り返し、何度目かの入院の後、施設に往診すると、息も絶え絶えの様子で入院中に末期がんも見つかっていた。
退院してきた施設は病院ではなく介護施設だから、私の目から見て末期がんの人を看る看護体制は万全とはいえなかった。介護スタッフは、認知症のお年寄りのケアで手いっぱいの様子だった。

「ここで人生の最終章を送らせていいだろうか?」

私は思わず「お家に帰りたいですか?」そう聞いた。
すると、蒼白の顔で目をつぶっていたのに目を見開くと、「はい!」と答えるではないか。私はその答えを受け取った。

身内が少ないので、遠縁の男性を探し、「もう余命は厳しいと思います。あなたが家族として引き受けて下さいますか?」
すると、その男性は「やります!」と答えてくれた。
その日のうちに家に戻れた。

私は朝・晩往診した。看護師やヘルパーさんたちも何回もケアに通ってくれた。親戚の男性も必死で付き添った。
痛みはなく、自然体で過ごす家での最期の日々。何と数日と思われたいのちは一ヶ月に伸びて大往生を遂げた。

家に帰り、多くの温かい手にケアされて、その男性は思い切り心身を伸ばしほっとしたのではないだろうか。

私は30年前、末期がんの23歳の女性に「家に帰りたい?」と聞き、その後の家での100日を支えた。私の初めての在宅ホスピスケア。
その時、その女の子が言った。
「先生は脱出隊長ね」
そうだ。
大学病院からお家へ。老人施設からお家への不可能だと思える脱出を引き受けた隊長。
そして、人生の大晩年を支え、この世からあの世への脱出もそっとお手伝いする隠れ隊長なのかもしれない。