ホスピス記事

人間らしさに満ちた医師であるために

この対談は私他20代終わりの頃でした。20年後の今、遠藤周作先生の言葉ひとつ、ひとつが再び重く、貴く、私に問いかけて下さっています。 この20年、自分の信ずる道を歩んでこれたのも、みえない多くの支えがあったからだと感謝しています。


死と対面することと医者の修業
遠藤 いづみ先生と知り合ってから四、五年になるね。ぽくが「心あたたかな病院」という連載の仕事をやり始めたころだったなあ。水色のかわいい封筒でね、内藤いづみなんて、かわいらしい名前がかわいらしい字で書いてあるから、てっきりこれは女子高校生からきた手紙だなと思い込んで開いてみたら、「私は女医です」って書いてある。何か手伝いたいと書いてくださっていた。で、いそいで返事を出したら、このお嬢さんがあらわれたわけで・・‥‥。あのころは三井記念病院にいらしたんだっけ?
内藤 医者に成り立てでした。大学を出てすぐに入ったんです。
遠藤 ということはインターンから?
内藤 いえ、インターンは今、学校の中ですませてしまいます。国家試験をとおって、免許をとってから研修医という身分になりますね。それが二年くらい。
遠藤 そのときぽくが感心したのは、何しろターミナルケア、末期ガンの患者さんを数人もっておられるというから。二十いくつかのお嬢さんがですよ。
内藤 そう、一時期そういう患者さんばかり。最後まで見届ける役です。
遠藤 それがその年齢だと、さぞつらかろうと思ってね。自分が責任もっている人が、治るのならともかく、死ぬということがわかっていて治療するんだもの。これは医者として無気力になるんじゃないか。治せる患者なら、希望もやりがいもあると思うけれどね。
内藤 でも今にして思うと、いい体験でした。
遠藤 うん。しかし、あのころ、あれはあなたにとってよくないんじゃないかと思って、
ぽくは聖路加病院の日野原先生にご相談したことがある。若い女医さんにとって、ああいうことは必要なことなんですかって。すると、やはりそれは医者として必要なんだ、とおっしゃった。けれどねえ、医者としてはともかく、人間としてはどうなのかとずいぶん考えたよ。
内藤 でもそのことは、医学部に入ったときからつねに私が闘っていた問題でしたから、実体験も何とか乗り越えられたんだと思いますよ。大学に入ると、十九歳くらいで解剖をするでしょう。私、もともと大変な怖がりやでして。
遠藤 そうそう、電話でお化けの声の真似なんかすると、君は「もうやめてえ」と言うなあ。
内藤 田舎の大きな家で育ったんですが、夜、トイレに行くとき部屋をいくつも横切っていかなくちゃならない。それが怖いから、全部あかあかと電灯をつけて、帰りに消さないんです。何遍も母にしかられて。
遠藤 それがよく解剖をやったねえ。ぼくは、昔、監察病院に数人の作家と見学に行って、標本室見せられて、それだけで目の前がすっと暗くなったもの。曾野綾子さんも気分が悪くなったと
言っていた。初めての解剖のとき、食事がのどをとおらなかったでしょう。
内藤 初めてのときは、メスで自分の指切って、それがわからないほど緊張していました。
くなったと言っていた。初めての解剖のとき、食事がのどをとおらなかったでしょう。
内藤 初めてのときは、メスで自分の指切って、それがわからないほど緊張していました。
遠藤 今は平気?
内藤 もう、直接自分がすることはないんですが、自分の患者さんだと、立ち会って見ないといけない。やはりつらいですよ。自分がたった今まで生かそうと努力してきた患者さんが切り刻まれるのですから。あとの人のために病理解剖というのを、一応お願いするんですね。私としてはほんとは亡くなられたら、もうそっとしといてあげたいんです。一礼して終わり、としたいけど、上の先生たちは何とか見たいんですね。
遠藤 でも患者の家族がノーと言ったら、できないでしょう。
内藤 ですから私はなるべくノーと言わせようとするんですが。(笑い)「これはご家族のお考えのままですから、決して無理強いはいたしません」と言うと、ほとんど、「お役に立つなら喜んで……」とおっしゃる。
遠藤 そうか……、ぽくは兄が死んだとき、「これだけ苦しんだんだから、もうそっとしといてやってください」と言ったけどなあ。やはり何か役に立つ~ だいたいわかるじゃない、解剖しなくても。
内藤 いや、外科の先生は、実際に切ってごらんになってるから、病理的につかみやすいですが、内科はいろいろなデータからの判断ですから、やはり病理学的に見ませんと。
遠藤 じゃ、たとえば君、死んだら、自分の死体解剖はオーケーだと家族に言うかね?
内藤 私~ あまりやられたくない。(笑い)
遠藤 それみろ。そのままそっと棺に入れるのが死者への礼儀だと思うがなあ。ええと、大学での勉強の話でしたね、少しもどしましょう。解剖やって、自信なくしたか?
心を豊かにすることを渇望
内藤 こういうことをあと五年もやるかと思うと、自分の中の人間らしさとか優しさが、医学教育の中で消えてしまうのではないか。それだったら医者になる値打ちないなと思って。
遠藤 そもそもあなた、どうして医者になりたいと考えた~
内藤 なりたいと思ったのは中学生のときですね。何か女医というものにあこがれていたんですよ。あこがれていた先輩がお医者さんになったなどということもあって。
遠藤 それが、医学部に入ったとたんに、夢と現実の違いにガクッとしたわけだ。
内藤 まず入ってきた仲間がまるでエリート意識のかたまりみたいな人ばかりでしょう。そして単科大学のせいか、ほとんどつねに同一行動なんですね。授業は高校以上に厳しいし。
遠藤 しかし勉強そのものには悩まなかったんでしょう。
内藤 いや、つまらないなと感じました。なんか無機的なんですね。
遠藤 人間の血が通ってない勉強ということですか。でも、医者になってよかったじゃない。じかに人を助けることができるもの。小説家なんて人に助けられても、助けてあげるなんてことはまるでできないんだから、寂しいよ。
内藤 今はそう思っていますけれど、当時は周りの人もほんとに医者になりたくてなったのかなあなんて思えましたね。
遠藤 単に父親が開業医だからとか、秀才だからとか。しかし、あなたがやめなかったということはやはり志があったからでしょう。
内藤 その後も二度くらい、ほんとにやめようかと思いました。自分には患者を助けることなどできないのではないか、と考えて。先生がたとベッドを回るんですが、先生のやっていらっしゃることも疑問に思えてきたし、第一、自分が医者としてどういうふうに進んだらいいかわからなくなりました。でも、勉強すべきことはつぎつぎに出てきますし、国家試験も迫るし……。
遠藤 それはいい先生がいなかったんでしょう。技術的なことはともかくとして、人間的な面であなたをリードしてくれるような人がいなかったんだな。それは孤独だなあ。
内藤 だから、わりにカラに閉じこもって、自分なりの世界で生きていましたね。
遠藤 だから、強いところがあるんだ、君は。上の先生が何と言っても自分の信念を貫くでしょう。病院のような組織で、それをすることはつらいことだと思う。上の先生ににらまれたり、しかられたりはしたくないもの。
ああいう強さは、子どものときからあったんですか、それとも医学部に入ってから養われたものですか。
内藤 もともとでしょうね。
遠藤 ずっと以前からだれかを助けてあげることは好きだったのか、助けるというより、
つくすというかな?
内藤 ええ、何か教えてあげたりは好きでした。
遠藤 じや、教師でもよかったんだね。
内藤 ええ、両親は教師なんですよ。ところで、大学のときの悩みというのは、まさに、ちっとも人間を助けることの教育ではないじゃないかということなんです。特に当時の医学部の欠陥かもしれないのですが。技術的なことについてはかなりいい授業を受けたと思います。しかし、人間を豊かにするようなものが全くない、という感じで、ですから、それについてはもっぱら自分で探して、本を読んだり、音楽を聞いたり、友だちを見つけようとしたりせざるをえなかった。
しかも、そういう話をするような友人が、教室の中には見つからなかったということがつらかったですね。
遠藤 でも友だちはいたんでしょう。
内藤 医学部の中にはあまりいないんです。
遠藤 それはやはり医学生の人間的問題なのか。勉強が激しくて、勉強や研究以外の本を読んだり、自分の心を豊かにするようなものを勉強するゆとりが全くない。
内藤 時間がないこともたしかだし、第一、そういう状況から抜け出そうという気持ちがもうなくなっているような感じでした。
遠藤 それは医学部の教育のせいだろうか?ぼくの知っている医者たちは、医学部教育を根本的に改めなければダメだと言うけれどね。
内藤 それ以前に、高校教育に問題があると思いますよ。
遠藤 しかし、同じ高校教育を受けたのに、他の学部に行ってもっとヒューメンになっていく人がいるじゃない。
内藤 そう。医学部は何か似たようなタイプばかりでしたよ。だからみんな付属の病院に残って、それなりの地位を固めようとしていて、外に飛び出したのは、数えるほどでした。
遠藤 ぼくの家は祖父のときまで医者だった。ところがぼくには医者になろうなんていう気はまるでなくて、第一、勉強できなかったからなあ。しかし、今になって医者になればよかったなと思っているんだよ。ぼくは医者になっていたら名医だったかもしれない。患者心理のよくわかる名医になったと思いますよ。言葉遣い一つがどんなに患者に影響を与えるか、回復力高めるか知っているもの。かなりぼくははったりを言うだろうけれど、その分だけ責任も負う。「だいじようぶ、ぼくに任せなさい」などと言われたら患者は君、楽になるよ。それが自然治癒力を引き出してくれる。
ぼくは灘中学でヒリッケツに近かった。だけどぼくよりだった男が神戸で開業医をやっている。戦時中は、成績なんかどうでも医者になれたからね。でも、その男はいい医者だよ。貧乏な患者からは金をとらないしね。
それで、やめたいと思った君の気持ちを引き止めたのは何でした?
内藤 母親の影響でしょうか。人間として最高の表現ができる仕事の一つなんだって、医者は。それにやっとなれるところなんだから、ともかくがんばってみなさい、と言われました。それから弟がーこの弟は、受験に出てきて、私のところにいたんですが、さっぱり勉強しないんですね、いつ見ても机の上で寝てるの。その弟が私に、お姉ちゃんやっぱりつづけろよ、ぼくにはできないけど君ならできるよ、(笑い)って。
遠藤 そりや非常に姉にたいする愛情あふれる言葉ですねえ。(笑い)
しかし、今はまだ君は若いし大きな病院にいれば、自分の思いどおりに何でもできるというわけではないでしょう。すると、大学にいたときと同じようなつらさがあるんじゃないか?
内藤 そうですね。臨床に入って一、二年は、教えてもらうばかりで何をやっているのか自分でもわからないのですが、自分のやっていることが客観的に判断できるようになるとつらくなりますね。たとえば、こんな治療をしたって結局は死ぬのにと思いながらしなくてはならないとか。
それから統計上効かないとわかっている抗ガン剤を、教授が使えというから使うとか。ふつうの先生はそういうことに反発はしませんけど、助けてくれと祈るような気持ちでいる患者さんにたいして、効くかどうかもわからない、しかもそれなりの副作用がある薬を打つというのはつらいことですよ。
病院のあり方はこれでいいのか
遠藤 病院のあり方というのは難しいですね。最近ある大きな私立病院を見にいったけどね、建物といい、装置や設備といい大学病院に匹敵するほどのものをもっている。しかし、今まで日本の病院というのは入院費だけでは収益が上がりませんからね、一般には検査づけ、薬づけで収益を上げるわけよ。しかしその病院は、人件費でいろいろ工夫していて、お医者さんはすごく少数精鋭で、しかし待遇はとてもいいんだ。構内に一戸建ての家を提供したりして……。ただお医者の労働時間は大変。これからはどこもそうなるかもしれないな。しわよせはお医者にくる。
内藤 私がいたところも労働条件はひどかったですよ。医局のソファーで寝るんです。主治医制度でね、患者さんの具合が悪いと帰れないんですよ。私は十人以上もっていて、重症の人が多かったから、必ずだれか熱出したりしていて。
遠藤 じゃ、お医者さんのほうが倒れてしまう。
内藤 そう。外科の人なんか過労で肝炎になってしまうんです。
遠藤 ところで日本の病院は、入院費では黒字になれないから、どうしても検査と薬価で補わねばならない。そのため、いろいろな批判を受けるのだが、私はむしろ同情しているんです。
内藤 検査もちょっとした一言で患者の気分、まるで違うんですよ。「この検査は、こういうために必要で、この手順でやります、ここのときだけちょっと痛いけど、あとは楽ですよ」と、それくらい言えばいいのに、無機的にどんどん進めて、ただ機械的にやってしまう。全然恐怖感が違いますからね、それでは。患者さんは完全に無視されている。特に内科は検査づけで、患者はしょっちゅう呼び出されていろんなところを駆けずり回らなくちゃならない。
遠藤 うん、診断下すのに本当にあんなに検査しなければならないのかな。重症の患者でもストレッチャーで運ばれ、寒い廊下で待たされてさ。せめて病室でできないのかと思うよ。あれで患者はへトヘトに疲れてしまうんだ。
こういった矛盾を患者の立場に立つとああもしてあげたい、こうもしてあげたいと思っても、それを阻むものが医者の人間関係の中にあり、組織の中にあるということでしょう。
内藤 そうです。特に男の先生につらいと思いますよ。やはり出世しないと、ということも考えるだろうし、何か派閥に入っていないと仕事がしにくいとか。私は別に出世は望みませんし、自分の気持ちだけで自由な立場でやりたいと考えています。
遠藤 しかし、何がつらいと言って、医者にとって治せない患者にぶつかるのがいちばんつらいでしょう。
内藤 そうですね。自分が治す手段を知らない病気にぶつかったとき……。治療法はいろいろできていますけど、病気を完治させる治療法というのは本当に少ないんです。
遠藤 ガンなんか、そうだね。
内藤 膠原病(こうげんびょう)にせよ、肝炎にせよ、糖尿病にせよ、延命させたり、対症療法はいろいろありますが。だから、患者を短期間だけ見るならともかく、長い目で見るとなると、とてもむなしい。
患者さんには、医者の言うことは百パーセント信じてもらうしかない、というけれど、とても申しわけないなあ、と思うわけです。
遠藤 なるほど。
内藤 特にガンは決戦が早いですからね。毒くらいの単位で亡くなるほうが多いわけで、抗ガン剤にしてももしほんとに効くのなら、どんなに強い副作用があろうと、自信をもって説得できますが、それが…。
遠藤 しかし、あなたは治りませんから、とは言えないよな。患者さんにガンということは、知らせるんですか。
内藤 一例だけあります。他にはありません。
遠藤 ぼくも知らせないほうがいいと思う。ぼく自身も知らせてほしくないもの。(笑い)
内藤 日本では患者さんが医師であっても知らせませんね。
遠藤 そりやそうだ。医者はよく知っているから、恐怖心はもっと強いもの。しかし、そういうケースにぶつかっていくたびに神経がすり減るでしょう。
内藤 いえ、今はいろいろチャレンジしていますから、それがずいぶん救いになっています。
遠藤 最近は、ハリや漢方も試みているんですって。
内藤 効く人にはよく効きますよ。暗示だなんていう人もいますけれど、私は患者によるんだと思いますね。
最高のお見送りとして
遠藤 さっきの、ガンだと教えた患者のことね、たしか大学の女子学生でしたね、あのことはもうそろそろ話してもいいでしょう?
内藤 ええ。
遠藤 肝臓ガン?
内藤 いや、卵巣ガンからの全身転移でした。何回も検診を受けていたのに見過ごされていたんですね。ある大学の付属病院でしたが、その教授は泣いてあやまられたそうです。誤診でしたって。
遠藤 いや、えらい人だな、その教授は。
内藤 ええ。でもその人は珍しいタイプの人だと思います。女の子の母親もびっくりしたそうです。若いお医者さんたちの前で、その教授が眼鏡をとってボロボロ泣きながらあやまったので。
遠藤 えらいよ。誤診ってのは、ずいぶんあるはずなんだ。東大の沖中(重雄)さんが定年でおやめになるときの最終講義で、誤診のことに触れられて、先生でさえ、何十パーセントとか、大変な率だった。人間のやることだから、それはしかたがないんだ。たいがい、知らぬ顔の半兵衛ですよ。で、いづみさんは、もうダメという状態のその患者を引き受けたわけ?
内藤 全身転移ですからね、手だても何も。ちょうど夏休みで担当の方がいませんでしたから、たまたま私が診(み)たんです。そして、ああ、そういえば医局で見た、あのひどいレントゲン写真の子がこの子かとびっくりしました。元気な、かわいい子なんですよ。で、少しでも家に帰って安定した時期を過ごせる機会をつくってあげたいと思いまして、いろいろやったんです。
遠藤 丸山ワクチンも使ったし……。
内藤 ガンにいいといわれるあらゆることを、ね。ガンがよくなった人の話を聞くと、何を使ったかすぐ聞き出して。それまでほんとに現代医療の方法しか知りませんでしたからね、ずいぶんたくさんあるのでびっくりしました。ゲルマニウムとかヨードとか。それで、そういう治療をやろうとすると、大学病院では、教授のゆるしがないとどんなこともできないんですよ。教授は、そんなことするんならクビだって言うんです。
遠藤 クビって、退院させてしまうって言うのか?
内藤 いえいえ、医者のほうを、ですよ。
遠藤 ふーん、やるまえに見つかっちゃったの?
内藤 あ、あの、お母さんから聞いてもらったんです。こういうものがあるが、使ってもらえないだろうか、どうせ助からない生命なら、何でもしてやりたいからって。そうしたら、厚生省で認めている治療法以外いっさいしない、もし受け持ちの医師がやったら、すぐクビにするって。
もう病院にいなくてもいいって。ですから私と一緒にいた男の先生なんか、卒倒しそうになりました。
遠藤 で、君は。
内藤 やったんです。(笑い)いろいろ暗躍しましてね。まえにいた三井記念病院は主治医が患者の責任を百パーセント見るので、何やってもいいんですよ。その経験がありますから、教授の言うことなど聞かなくてもいいやっていう気がありましてね。で、教授の目を盗んで点滴をしたんです。
遠藤 それは日中?
内藤 看護婦さんの勤務体制を選ぶので、日中のこともあるし、夜のこともあって。
遠藤 でも、点滴の道具などはどうするんです。
内藤 それはナースセンターに行って、堂々とやったほうがいいんですよ。第一、私、悪いことしている意識はないから。婦長さんが、何ですか、それ?なんて聞いたりしましたけど。
遠藤 丸山ワクチンなんかはどうしました?
内藤 患者さんが隠していました。そんなことで三か月くらいしたら、病状は一進一退ですが、ちょっと小康状態になりましたんで家に帰しました。ガンの末期はどういう状態で死ぬか、身にしみて知っていますから、せめて少しでも平和な時間を与えてあげたかったので。反対もありましたが、酸素吸入しながら家に帰ったんです。私は責任がありますから、往診しました。
遠藤 責任あるからって言うが、ふつうそこまでやらないよね。
内藤 でも私が行かないといのちの綱が切れてしまうんですもの。近所のお医者さんは、収入にもならないことをやりませんし。一日おきに通いました。卵巣ガンの末期というのは本当は痛みが強いんですが、それが幸い痛みませんでした。
遠藤 それはどうして?
内藤 やはりいろいろな療法がよかったんでしょう。
遠藤 大阪のガンを治す断食療法のところに連れて行ったこともあったでしょう。その療法を家族がどうしてもやってみたいというので。君は重い酸素ボンベ背負って、患者さんと飛行機に乗ってねえ。そんなお医者さん、いないよ、ほかには。だから、ご両親は、初めから治るとは思っておられなかったけれど、内藤先生にはほんとに感謝しているだろうなあ。でも、その患者さんが亡くなられたときは、君は本当にショックだったね。覚悟はしていたんだろうけれど。
内藤 私、しよつちゅう電話入れて、状況をうかがっていて、たまたま状況がよかったんで、名古屋の友人の結婚式に出たんです。帰りに、東京駅から浅草のそのお宅に寄りますからねって電話しまして。で、結婚式の帰りですから、きれいな格好して、寿なんて風呂敷包みぶら下げて、お宅の前に行ったら、救急車が止まっていて、その女の子がタンカで運び込まれているところだったんです。あ、これは急変したなと思うと、すぐその格好で走りまして、救急車に飛び乗りました。ほとんど呼吸が止まりかけているのを人工呼吸して、でも、病院ですぐに。
遠藤 君は亡くなるところを見ていない。
内藤 ええ。お母さんに抱かれて死んだそうです。「お母さん~」って呼ぶから「何、どうしたの~」と言ったら、「ちょっと背中たたいて……」で、トントンとたたいたら、カクンとなって、終わりでしたつて。安らかな死だったそうです。
遠藤 最終的には君の妹みたいな形になっていたな。その人とは別に、君はそれだけじゃなくて甲府まで通って患者を診ているだろう。その患者さんから私は手紙をもらって知ったのだが……。
内藤 ええ、私がそういうことしていたのをだれかにお聞きになったらしくて、内藤先生がいろんなことをしてくださると聞きましたからお願いしますと言ってこられ、それがまた、一時劇的によくなったんですよ。それで希望をもったら、向こうの先生が奇跡的だと言ってまた抗ガン剤を大量に使われて。
遠藤 それでパァか。
しかし、この間あるお医者さんと話をしたんだが、そのお医者さんは、ある時点から医者であることなんか放棄して、向こうに渡られる方の川渡しの船頭の気持ちになりますと言うんだ。心を込めてお見送りする人間になる。いずれ自分も向こうに行くんだが、先に行かれる方をお見送りして、荷物をもってあげたりね。ああ、そういう気持ちのもち方も、お医者さんには必要なんだと改めて思ったけれど、その女の子にたいしてなんか、君は最高の見送り人だったわけ。だから、彼女も向こうで君を待っとるでえ。今度は出迎え人として。(笑い)
内藤 途中で彼女にガンだってこと、わかってしまったんです。すると、彼女が言うんですよ。どうして、まえの先生は私のガンを見逃しちゃったのかしら。それがなければもっと楽だったのにね。でもいいの、私には内藤先生がいるからって。
遠藤 そりやうれしい言葉だなあ。これから君の場合、たくさんの死や苦しみを見慣れていかなくてはならないでしょう。
内藤 ええ。
遠藤 つらいけどねえ。ぽくなんかだと人の苦しみに慣れてしまうかもしれない。それが怖い。内藤先生はそういうことがないから。しかし先生、息ひきとるとき、「こんなにしてくれてありがとう、生きてよかった」という感じで死ぬのと、「人の心はこんなに冷たいか」と思って死ぬのと、あの世での寂しさはまるで違うよ。まだ治せないということは、これはしかたがないよ。


「対話の達人」遠藤周作著 女子パウロ会出版より一部抜粋


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