ホスピス記事

死路に一条の活路を

高橋卓志さんはいのちを学ぶ仲間です。お互いのフィールドはちがうけれど、互いの活動をみることで励ましあってきました。

どう病と生きていくか、彼は彼の生き様で私たちに示して下さっています。(4月11日付信濃毎日新聞より)
信濃毎日新聞
「ホスピス最期の輝きのために」(オフィス。エム)が出版されたのは、1997年6月のことだった。
この本は、英国でのホスピス研修を経て95年、申府市に「ふじ内科クリニック」を開設した内藤いづみ医師、諏訪中央病院院長(当時)で、98年に6床の緩和ケア病棟を院内に新設した鎌田実医師、そして、緩和ケアを医療面だけでなく、社会的、宗教的側面から支える活動をしていたぼくの3人が、終末期医療を通して「いのち」と「死」のありようを語り下ろしたものだった。

この時期は、日本におけるホスピス・緩和ケアの黎明期で、聖隷三方原病院(浜松市)や淀川キリスト教病院(大阪市)で先進的なホスピスケアや緩和医療が展開され、社会に社会にホスピスの存在が認知され始めていた。
一方、患者本人に正しい病名が告知されないことも多く、インフォームドコンセン卜(医師は病状や治療法など、正確で分かりやすい情報を開示・説明し、患者はそれらに納得した上で治療に同意するという考えも普遍化されてはいなかった。

そのような時代の中で、3人に共通する思いは、患者の意思を尊重し、痛みや苦しみを取り除き、最期までその人らしい「生き方」の「選択」ができるように支えていくことだった。その思いがこの本の中で「インフオームド・チョイス」という造語を生み、「チョイス・イズ・ユアーズ(選択はあなた自身にある)」という選択の重要性が示された。
それから四半世紀たった2021年、ぼく自身が、がん当事者になった。4月のS状結腸がん摘出手術により回復したと安堵したその7か月後、初期の直腸がんが判明したのだ。

がんは直腸下部、肛門に近かった。「虚血性腸炎で閉塞していた大腸部分とがんの本体周辺を切除し、肛門を閉鎖して人工肛門(ストーマ―)を増設する」と、担当医から詳しい説明があった。イメージさえできないストーマの造設、新型コロナ禍での手術と治療の継続、家族との密度の濃い関わりなど、最初の手術から比べて選択の難度は上がり、その質量は格段に大きくなった。納得できる選択は容易ではなかった。

迷いの中で、改めて「ホスピス 最期の輝きのために」を読み返してみた。
この鼎談(ていだん)はその後の3人の生き様と実践を予言していた。それをなぞりながら、QOL(生活の質=自分らしい「いのち」を満足して生きること)を維持し、死路に一条の活路を見いだしながら、最期の輝きを得るための選択を考え抜いた。

そして、21年12月2日、久美浜病院(京都府京丹後市)から子どもたちが住む松本に近く、20年来のぼくの医療情報を持っている諏訪中央病院に転院した。
直腸がんの治療と向き合うために、ストーマの増設を決断した。もう少し生きてみようと思いながら。