メディア出演情報

くよくよ悩むことが多くなったあなたへ

(いきいき2014年7月号より)
連載第2回目のゲストは、上智大学名誉教授のアルフォンスーデーケンさん(81歳)です。
デーケンさんは死生学の第一人者。「年をとるにつれ思い煩うことが増えて、暗い顔になってきますが、笑えなくなるのは人生の危機です」とデーケンさん。
「笑顔とユーモアの力」こそ中高年にとっての妙薬なのだそうです。

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「死への準備をすることは、よりよく生きることにつながる」と説き、日本に「死生学」という新たな概念を定着させた、アルフォンスーデーケンさん。まだ「死」について語ることがタブーとされていた頃から、「死生学」の重要性を訴えてきたデーケンさんは、内藤さんにとって「恩師」のような存在です。

内藤いづみ(以下内藤)初めてお会いしてから、もう15年ほどたつでしょうか。

アルフォンスーデーケン(以下デーケン)そうでしたね。
私は、日本の在宅ホスピスケアのパイオニアである内藤先生を、ずっと尊敬してきました。内藤先生のすばらしいところは、患者の体の痛みを亡やしながら、心の痛みも和げることをテーマにしておられるところです。

内藤 うれしいです。ありごとうございます。デーケン先生が「死の哲学」の講義を始めた37年前は「『死哲(してつ)』のデーケン」なんて揶揄されて。でも先生は「コクテツのデーケンになりたい」と冗談をおっしゃていたそうですね。(笑)。私も「内藤先生のところで診てもらうと必ず死ぬ」と噂されて「ドクター・デス」と呼ばれたことがありました。

デーケン どんな世界でもパイオニアになるとそういうことを言う人が必ずいますよ。

内藤 私がこうして活動してこられたのは「死生学」を広めてくださったデーケン先生のおかげです。先生の講義は、最初は小さな教室で始まって、どんどん希望者が増えて800席の大講堂を埋めるほどになったのですよね。

デーケン 私か死生学を専門とするようになったきっかけの1つ目は、妹の死です。私が8歳のとき、4歳下の妹・パウラが白血病でもう長くはないとわかりました。敬虔なカトリックだった両親は妹を家に連れて帰り、笑いが絶えない環境で看取ろうと決めたのです。そして妹は最期に「天国でまた会いましょう」と、家族一人ひとりに言って亡くなりました。4歳の子が死後への希望をもっていることに私は感動しました。
2つ目は、戦時中の体験です。家に焼夷弾を受けた同級生が焼き殺されました。恐ろしい死に方でした。その後、ドイツ軍が負け、勝利した連合軍が進駐してきました。反ナチだった祖父は白旗を揚げて軍を歓迎したのですが、連合軍の兵士は祖父を私の目の前で射殺したのです。

内藤 不条理を受け入れるしかなかったのですね……。

デーケン 戦争は不条理ですよ。私は聖書の「汝の敵を愛せ」という言葉を心の中で繰り返し、兵士を歓迎しました。
妹の死は避けられなかったですが、友人と祖父の死は戦争さえなければ避けられました。
3つ目は大学時代に病院ボランティアとして末期がん患者に寄り添ったときのことです。
かける言葉もないまま、モーツァルトのレクイエムを流し、ただ祈りました。亡くなるまでの3時間がとても長く感じたのを覚えています。

内藤 私も似たような経験をしています。まだ21歳の医学生だったとき、末期がんの患者さんを担当することになったのですが、先輩から「病気のことは何も話すな」と言われて。患者さんは私に対してずっと反応がなかったのですが「大変でしたね」と言うと、急に泣き出したんです。そして「ありがとう。今まで誰も私に近づいてくれなかった」って。
あの光景は今でも思い出します。

デーケン 真実を知らされないのは実につらいことです。

内藤 20年ほど前に、先生は大腸がんの告知を受けましたね。真実を聞いたとき、どんな感情を抱いたのですか?

デーケン 自分が必ず死ぬ存在だという認識に立てば、生きていることの尊さに気づき、意義のある人生を送りたいと考えるようになるものだと実感しました。死について学べば学ぶほど、もっと深く生きることについて考えるようになる。それが「死生学」の目的なのです。

デーケンさんは著書の中で、中年期を過ぎると思い煩いやすくなったり、退屈な日常に生きる意欲を失ったりと、いくつかの危機が訪れると指摘しています。そのひとつが「まじめになりすぎる危機」です。

内藤 患者さんや周りの知り合いを見ていると、50代あたりから体調の変化や家族のことについて悩みが増え、若い頃より笑顔が減ってくるように感じます。デーケン先生は、中年期以降はユーモアカをもつことで、豊かに生きられるとおっしゃっていますね。

デーケン 燃え尽き症候群にならないためにも、ユーモアは必要です。ユーモアの効用を広く世に知らせた例にアメリカ人ジャーナリスト、ノーマンーカズンズの闘病体験記があります。彼はコメデイ映画を見たり、本を読んだりしてよく笑い、積極的に過ごすように心がけた結果、なんと膠原病が完治したのです。笑いは呼吸作用を増進させ、血液の浄化を助けることが研究データからもわかっています。

内藤 日常の中に「クスッ」となることっていくらでもあるんですよね。だから在宅での看取りは、泣くけど笑えることもいっぱい。患者さんのひとりに、死装束にウェディングドレスを作った方がいて。
ご本人は、「私は本番では見られないから、できたのを見せて」ってご家族に言ったら「そうだよね」って家族は思わず笑って。そんな空気の中で彼女は最期の日々を過ごしました。あの笑いに包まれた時間は、病院では叶わなかったと思います。

デーケン 私のユーモアの原点は家庭にありました。父は命をかけて反ナチ運動をしていて、非常にまじめな人間でした。しかし、父は夜になると必ず家族がそろったところで笑い話をしました。まじめな人間でありつつも、愛する家族の前ではユーモアたっぷりで。私はそういうバランスは理想的だと感じていました。

内藤 「まじめ100パーセント」だと、自分も相手も疲れてしまいますよね。笑いを否定する社会は怖いです。教育や医療、ホスピスケアに絶対にユーモアは必要だと思っています。

デーケン ユーモアとは、「にもかかわらず笑うことである」というドイツの有名な定義があります。「今自分はとてもつらい状況にある。しかし、それにもかかわらず相手に対する思いやりとして微笑みます」という意味です。自分の失敗や欠点を周囲の人と一緒に笑い飛ばすユーモア感覚を磨くことは、高齢社会を軽やかに明るく生き抜くために大切な知恵です。

内藤 私の患者さんは、病院で宣告された余命より倍近く余命を延ばすことも多い。家で家族と一緒に笑いながら過ごしている結果ではないでしょうか。

デーケン 私は、2月に秋田県でシスターをしていた妹・アンネリーゼをがんで亡くしました。やはりつらいですね。日本にいる唯一の肉親でしたから。毎週日曜の夜7時半から、1週間の出来事をドイツ語で語り合っていました。それももうできません。

内藤 私も3月に幼なじみが亡くなりました。彼女のがんを私が発見して、最期はほかの病院の緩和ケア病棟で亡くなりました。彼女は「死は怖い」「家族に会いたい」とか、全部私に感情をぶつけてきて。
でも今まで学んできたことが全然生かされなかったんです。彼女の死は。
「あなた」の死ではなく、「あなた」と「私」のあいだにある1.5人称の死になって、まるで自分の死を疑似体験したようでした。
最近は92歳の母が、私の本を熱心に読んでくれているはずなのに、「死ぬのはやっぱり怖い」つて言い出したんです。「もっといろんなものを見たり食べたり感じたりしたい。だから死にたくない」と。

デーケン どんな人間でも死への恐怖を完全に拭い去ることは不可能です。だから、内藤先生や私は過剰な死に対する恐怖をやわらげる役割を担わねばと思います。死を恐れすぎている人は多いですから。

内藤 今度母に会ったら抱きしめて「大丈夫よ」って言います。私は、母の死亡診断書は自分で書きたいんです。「がんばったね」という、この世での卒業証書として。

デーケン それはいいアイデアです。お母様は立派な娘をもって、恵まれていますね。

内藤 デーケン先生は毎週4つの講義を90分間、立ったままこなされているそうですね。すごいです。

デーケン 老いは感じますよ。若いときはアルプスをよく登りましたし、富士山と八ヶ岳も登りました。でも、今はもうそれもデーケン……。

内藤 お得意のネタが出ましたね(笑)。誰しも老いていくわけですが、豊かに老いるにはどうしたらいいですか。

デーケン 生きがいをもつことが大事だと思います。そして、自分の中にある潜在能力を開発していくことも非常に重要です。あるアメリカ人研究者によると、潜在能力のうち、開発されているのはわずか5パーセント程度に過ぎないそうです。大多数の人は、自分の潜在能力の可能性を意識していないんですね。

内藤 95パーセントは眠らせたままなんて、もったいないですね。年齢を重ねると、挑戦意欲が弱くなってきてしまう傾向もありますよね。

デーケン 私の理想は、第266代ローマ教皇・フランシスコです。教皇に選ばれたときはすでに75歳を超えていたにもかかわらず、新たなチャレンジを日々続けています。

内藤 デーケン先生にとっての挑戦は、どんなことがあるのでしょうか。

デーケン 私の生きがいのひとつは、教育者であり続けること。定年まで30年近く上智大学で教壇に立ってきましたが、今は一般市民のための講義もボランティアでしています。それと、本を書くのもいい刺激です。
これまでの著作は35冊。ひとつの挑戦にとどまらず重層的に生きることで、より豊かな人生になると思います。

内藤 「死への準備教育」を進めてこられたデーケン先生は、ご白身の最期をどうイメージしているのでしょうか。

デーケン 避けたいのは「ぽっくり死」。これまでお世話になった人に感謝をきちんと伝えたいのです。もうひとつは、無駄な延命措置です。私はカトリックですから、死は天国への門だと信じています。
天国で両親、妹たちに再会する希望は、死に直面したときの大きな心的エネルギーになると思っています。「天国でまた会いましょう」。そう旅立った妹・パウラとの再会を楽しみにしています。