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「メメント・モリ」を学ぶ人たち

(在家佛教2009年11月号より抜粋)
医者という、いのちに向かい合う仕事に就いて二十五年以上が経ちます。どの分野でも医者の仕事は責任が重いものですが、在宅ホスピスケアの仕事は、暮らしの中で過ごす末期がん患者さんが自然体で平和に過ごせるために、私たちは目立たず派手ではない(時には影に隠れた)支援活動を続けます。


 病院という所は、常に規則(ルール)に沿って運営されていて、病気の診断や治療が能率的に安全に行われます。体力や気力があり、治る可能性の大きい病気なら多少の窮屈さも我慢できますが、進行がんなどの治りづらい病気になってしまった人には、自分を取り戻すための息抜きの空間の持ちづらい所でもあると、私は若い時から感じていました。不思議なことに、医者であるのに病院に居ることが苦手な医者なのです。
白衣を脱いで、生活の場所でリラックスした患者さんと向き合うと、病院にはあった患者さんと医者の間の垣根が低くなるように思えるのです。
 七〇年代に日本に初めて〝インフォームドコンセント″と〝ホスピスの哲学″を伝えたジャーナリストの岡村アキヒコは、「ホスピスケアとは医者と患者の平等意識です」と述べていますが、在宅ホスピスケアを二十年近く続けてきた今、改めてその卓見さに驚かされます。医者が白衣を脱ぎ、権威の立場を示すことなく、同じ目線で患者さんと向き合うこと。それが平等意識の始まりかもしれないとこの頃思います。ですから私には権威(肩書き)は何もありません。小さな診療所を運営する医者です。
 現代医療の力でがんを治す方法がない段階、つまり進行がん、末期がんのステージになった患者さんは、昔は長く入院できましたが、今や医療費削減の国の方針で、どんどん退院させられます。確かに入院より在宅ケアの方がずっと医療費は安上がりです。看護師さんの訪問着護や往診料などは、それを行った時のみが保険の対象になります。
 しかし、在宅ホスピスケアを引き受けたその時から、私の心はその患者さんと専属で二十四時間繋がります。二十四時間のいのちの責任を負うのです。末期がん患者さんと家族が安心して家で過ごせるためには、二十四時間体制で不安に応えることが大原則です。私の心は、常に「SOS」の受信OKの状況というわけです。その緊張感に耐えていくのもプロの仕事のひとつです。
 進行がんの患者さんの七割近くは、がんの激しい痛みを味わいます。体の変化を観察しながら、モルヒネなどの鎮痛薬を上手く処方することも重要な在宅ホスピスケアの仕事の柱です。私は往診の時にお茶を飲みながら笑って会話をしつつも、患者さんのトータルな状況がいつも穏やかで合格点でいられるように相手の様子をみて必死で考えています。
 私はこの夏は家族とベルギーとイギリスを旅してきました。イギリスには八〇年代後半に数年暮らしましたし、その地で現代ホスピスの運動に出会ったのです。(その話はまたいつか別の機会にお伝えしようと思います)
 ベルギーのブルージェという古えの水の都では、病院ミュージアムで八百年前から始まっていたホスピスケアの様子を学ぶことができました。僧やシスターたちが、旅人や貧しい病人や死に逝く人のケアを行っていました。医療が発達する前の時代でしたが、宗教的背景もあり、特に魂のケア(スピリチュアルケア)はしっかりとされていたようです。
美術館の宗教画の片隅には、しやれこうべが措かれていて、メメント・モリ(死を想え)そしてしっかりと生きよ、というメッセージが示されていました。
 現代の日本社会に「メメント・モリ」はあるのでしょうか?戦争を体験した世代も、豊かで平和な長い時代を過ごしたせいか、お年寄りでさえ「メメント・モリ」の気概は薄いように感じます。だから、現代の日本社会においては、がんの告知を受けた人たちこそ「メメント・モリ」のレッスンを乗り越え、限られたいのちへの新たな感謝を持って生き直す人たちではないかと思います。
 肺がんの六十歳の男性患者さんが家で最期の日々を過ごすお手伝いをしました。痛みもほとんどないようにお薬の匙加減をしながら往診を重ねました。
「メメント・モリ」のレッスンを越えたと思える頃、その患者さんは妻と子供たちに「ありがとう!もうすぐさよならかもしれない。本当にありがとう!」と繰り返しました。
厳しい病気ではありましたが、「ありがとう、さようなら」と言って下さることができて、私はほっとしました。
「奇跡のように安らかにお過ごしになれましたが、そろそろ最期の日々が近いと思います」と家族に伝えました。しばらく経ったある夜中三時に枕元の携帯が鳴りました。
「先生来て下さい。様子がおかしい。息苦しそうです」
 お宅は近くでしたので、私は暗闇の中、キコキコと自転車を漕いでその方の家に向いました。暗い交差点に娘さんが小さなお子さんを抱いて私を待っていてくれました。二歳にも満たないその孫さんは私を見て「先生!」と呼んでくれました。
白衣も着ていない私を「先生」と呼んでくれたことを私はその時、心から感謝しました。
 その患者さんは最期の時を迎えていました。安らかな寝息を立てて昏睡のまま何時聞か家族と共に過ごし、天国に旅立って行ったのです。


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