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人生終わりよければ、すべてよし

101109_12.jpg「誰にも迷惑をかけずに消えていく、それが理想だとしても」
白鳥春彦×内藤いづみ
2010年10月23日週刊現代より


白取 内藤さんは在宅ホスピス医として、これまで200人ほどの最期を看取られたそうですね。
内藤 若いころ東京で研修医をしていたとき、病院に閉じ込められたままの末期がんの患者さんをみて、もう治療方法もないのに、なぜ病院にいなければならないのだろう。そう思ったのが在宅ホスピス医になる出発点でした。その後、縁あってイギリスでホスピスについて学び、自分でもケアマネージャーの資格をとるなどして介護の勉強をしながら、患者さんの最期のケアを続けてきたわけです。白取さんは、故郷に住むお父さんの介護を自分でなさった経験をお持ちなんですね。
白取 いまは80代の両親そろって施設に入っていますが、施設に入るまでの8カ月間、自宅で介護をしたわけです。うちの実家は青森で、僕はずっと東京暮らしだったんですけど、あるとき帰省してゴミ袋を見て、これはおかしいぞと思った。ゴミ袋に妙なよごれ、つまり汚物がついているのを見つけて、そのとき親の異変に気づいたんです。
内藤 ご両親は青森でお二人で暮らしておられたんですね。それで、白取さんが故郷に戻って介護をすることになつた。その自宅介護の8カ月間は、かなり濃密にお父さんと一緒に過ごされたんでしょう。
白取 そうでしたね。母親が倒れて病院に入った後、父親のために三度三度の食事をぜんぶ僕がつくつていましたから。でも食事づくりなんて、たいしたことないです。いちばん参ったのは洗濯です。
 というのは、親は親で、汚した下着を自分で洗おうと思って、それを洗濯機に放り込むわけですね。だけど、水を10Cmぐらいしか溜めずに回転させるものだから、水が汚物で茶色くなるんです。おまけに洗濯が終わったあと洗濯槽の内側に汚物がへばりついている。それを僕がきれいに洗わないといけない。これがいちばん辛い。しかも食事を用意して食べさせて、掃除に洗濯と動き回っていると、自分が食事をとる時間がない。だから実家に戻って、たちまち体重が8短減りました。
101109_13.jpg内藤 夜はちゃんと眠れたんですか。
白取 眠れないです。
内藤 やはりまとめて睡眠をとれないのが介護する側のいちばん辛いところでしょう。
白取 なにしろ最初は介護保険やヘルパーのことをまったく知りませんでしたから、すべて自分ひとりでやっていたんです。その後、ヘルパーに来てもらうようになって助かりましたけど、そうなると、今度は親がヘルパーに文句を言うようになってしまった。ここはいいから庭の草を刈ってくれとか。 性格がわがままなうえに認知症が加わって、ヘルパーのことをお手伝いさんだと思っているわけです。だから、自分の思いどおりにならないと怒り出す。実際、ヘルパーの仕事は、かなり制約がありますね。
内藤 そこがヘルパーにとっても苦しいところなんです。身体介護には制度面でいろいろと制約があって、たとえば夏の暑いときにお年寄りが汗をかいていても、拭いてはいけない決まりなんです。ほんとうは拭いてあげたいけれどもできない。だから、苦しいんですね。
白取 それと、ヘルパーに来てもらうと確かに助かるのだけれど、他人が自宅に来るわけだからこつちも気を遣う。
内藤 私がケアするのはがんの患者さんが多いんですが、この場合はある程度、いつまで介護するのか先の予測がつきますし、実際、寝たきりになる時間は少ないです。でも、脳梗塞などで寝たきりになると、先の予測がつかないんですね。
この状態があと3年続くのか、5年続くのか。介護する家族にとっては、それがいちばん厳しいんです。
白取 まったくそのとおりで、僕が最もしんどかったのは、介護そのものよりも、この父親との生活がいつまで続くのかまったく読めないことでしたね。
内藤 そういうご家族を励ましていくことが私たちの大切な仕事のひとつなんですが、気をつけるべきは完全主義にならないことですね。こういう性格の人は、自分を追い詰めて鬱になったり病気になつたりしがちです。割り切って、ときにはショートステイを利用して介護から自分を解放する。その間に自分が楽しいことをしても罪の意識を感じないことです。「そうでないと続きませんよ」とよく話すんです。
白取 僕の場合、結果的に介護をしたのは8カ月間ですけど、親の世話をしながら思ったのは、なぜこの人は死なないんだろうということでしたね。この人は苦しくないんだろうか、こんな状態になってなぜ生きているんだろうと。自分なら耐えられない。これは多くの老人をみてふ思いますね。
内藤 お年寄りはみなさん、生への執着は消えません。言い換えれば、食べることのエネルギーがすごい。
白取 ああ、それは僕も親父をみていてそう思います。
内藤 うちの外来へ来られる90歳のおばあちゃんは、付き添いの娘さんとよくケンカをするんですね。私がいる前でも怒鳴り合いをするし、娘さんも夜中に2時間おきにトイレに起こされたりして毎日大変なんです。それでつい人前で、早く死んでくれたらいいのに、みたいなことを口にしたりする。おばあちゃんも「先生、もう長生きしたくない」と言って泣いたりするんですが、でもご家族に聞いたら、そのおばあちゃんは食欲旺盛でお代わりもするし、食後のデザートも全部食べるそうです。やはり食は命のもとで、食べることで私たちの生命は維持されているんですよね。
白取 でも、素朴な疑問として、なぜ苦しんでいる老人は自殺を実行しないんでしょうね。
内藤 本当に死にたいのなら、自分で食をどんどん細くしていけばいいんですが、まずいませんね、そういう人は。
白取 いや、僕が少年のころ、川端康成が老醜をさらしたくないとガス管をくわえて自殺しましたけど、当時の僕には理解できなかった。でも、親父の世話をした今は理解できるんです。
ああ、老醜とはこういうことなんだと。
内藤 でも、老醜というのは第三者が見て思うことで、本人は自分が老醜をさらしているとは思っていない。残り少なくなつた人生を必死で生きているわけです。
白取 そうなんですよ。だから、川端康成みたいに自分を客観視できる人は老醜と思う。だけど、ほとんどの老人は自分を客観視できないから、他人に対してひどいことを言ったりするわけでしょう。
 誤解を恐れずに言えば、よく人間は年齢を重ねるほどに知恵がついて性格も円満になるといわれて、僕もそう思っていましたけど、じつは違う。だから、僕は、老人を敬いましょうとか、高齢者を大切にしましょうとか、あまり思わないです。
内藤 でも、ご両親を大切になさっているじゃないですか。ご自分で介護もされて (笑)。たしかに、いまおっしゃつたことは、現在の日本社会では口にしにくい空気がありますね。
白取 言ったほうが楽になれるんですけどね。
内藤 ですけど、いま老人介護は大きなビジネスでもあるわけで、お年寄りはそこのお客さんですから、現実として。
白取 いや、たとえビジネスだとしても、僕の目にはヘルパーさんは天使にしか見えないです。だって、部屋の中に老人の下着が落ちているわけですよ。僕だったら、それを拾って洗濯機に放り込んでおしまいですが、彼女たちはその下着が汚れていないかどうか、ニオイを嗅いで確認して、洗うべきものとそうでないものに分別している。普通、そんなことできないです。
内藤 すると、ご両親が施設に入ってからはホッとされたでしょうね。
白取 いえ、ホッとしてないです(笑)。施設に入れば入ったで、これを食べたいとか、あの服を持ってこいとか言ってきますから。現にこんど青森に帰ったら、僕は引っ越し屋を手配して、うちの仏壇を運ばないといけないんですよ。持ってこいというので。
内藤 いらっしやいますよ、老人ホームのお部屋に仏壇を置いているお年寄りつて。
白取 唐突ですけど、内藤さんは安楽死についてどう思われます?
内藤 呼吸筋を麻痔させるといった積極的な安楽死なら、私は反対の立場です。
白取 もしそれをしない限り、患者の苦しみが続くとしたら?
内藤 たとえばがんの患者さんの場合、いまは体の痛みはかなり緩和できるんです。痛くてつらくて「早く死にたいー・もう逝かせて」と言っていた患者さんが、痛みが緩和すると「ショートケーキが食べたい」と言ったりする。ですから、安楽死を考えるとき重要なのは、体の痛みの問題じゃなくて、さっきの老醜をさらしたくないとか、つまり自尊心、自律心の問題じゃないかと思うんです。
 オランダのようにヨーロッパではある程度、安楽死が認められていますけど、オランダ人というのは、「神は人間をつくったが、オランダは我々がつくつた」と口にするようなプライドの高い国民ですよね。安楽死がそうした土壌のなかから生まれたものだとすると、私たちがそれを受け入れる
のはちょっと違和感があると思います。
白取 だけど、僕はやっばりウンチ垂れ流しは嫌ですよ。そうなるくらいなら、ひそかにヤクザから挙銃を入手しておいて頭を撃ち抜こうかと真剣に考えています。誰にも迷惑をかけずに消えていきたい。
内藤 ただ、いま現在思っていることと同じことを、実際に終末を迎えたときにも望むとはかぎらないですよ。私にも88歳の母がいますけど、いま仮にリビング・ウィル (生前の意思表示)を聞いても、それは本当に命の最期を迎えたときの母の思いとは絶対にズレがあると思うんです。だから、
たとえば元気なときに延命措置を拒否しますといった文書にハンコを押すというのは、白々しいというか、ちょっと無理やりな感じを私は持っているんですね。
 ですから、老醜をさらしたくないというのは、いまのご自分の思いであって、本当にトシをとったときもそう思うかどうか……。
白取 なるほど。いざ死に直面したら死にたくないとジタバタするかもしれないということですね。でも、トシをと一つてもっと生きたいと思うのは、それまでの生き方に未練があるからでしょう。つまり、そこにいたるまでのその人の人生とすごく関係してくる。
内藤 そのへんはよくわかりませんが、ちなみにいま私のところでケアしている人の中で最高齢は102歳のおばあちゃんです。この方はとてもしっかりしていて、自分で歩けるし、おむつもしておらず、本も読めるんですね。ただ、週に1回か2回でもデイサービスに行ってもらうと、お嫁さんが少し息抜きできるから熱心に勧めるんですが、行きたがらないんです。私が「どうしていやなの?」と
開くと、「ああいうところへ行っても、何の学びもございませんから」って(笑)。
白取 僕なんかの目には、デイサービスを覗くと、いろんな年寄りがいておもしろいですけどね。知力、能力、しやべりかた、人によって全然ちがう。
内藤 すごい人気のおじいちゃんがいて、その人をめぐつて、おばあちゃんたちがケンカをするくらい。最近みんな元気そうだな、おばあちゃんたちがお化粧するようになったと思ったら、「××さんがステキだから」とか。そんな私たちが想像できない老いの世界があるんですよ。
 人それぞれ、こんな老人になれたらいいなというのがあるんでしょうけど、実際どうなるかは賭けみたいなものでしょうね。
白取 僕はその前に死ぬのがいい。(笑)。だって、痛いのいやですもん。僕は十二指腸潰瘍を何度もやっていて、あれはすごく痛い。痛さのあまり気絶しちゃうんです。だから、がんになったらモルヒネを使ってもらいたい。
内藤 でも、不思議なことに体の痛みがあるときは、心の苦しみとか悩みは帳消しになるんですね。で、痛みが解消すると、こんどは心の悩みや心配がいろいろと出てくるんです。それこそ死の恐怖とか。それがいやだから、麻酔をかけて眠つたまま死なせてほしいという人もいます。
白取 それは病院に頼めばやってくれるんですか。
内藤 やってくれます。ただ、それは見た目は探く眠つているけど、本当に苦しみは消えているんだろうかと思うことがあるんです。看る側は楽ですよ。患者さんはおとなしく眠っていますから。でも、もし沈黙の夢の中でその人がもがき苦しんでいたら、そのほうが恐怖じゃないかなと思うので、私のところでは患者さんはなるべく眠らせないようにしています。私の勝手な解釈ですけど。
白取 眠らせてもらえないの? すると、意識のあるまま死ぬんですね。
内藤 患者さんにはちょっと厳しいのかもしれませんが、眠りのなかに逃げずにいてもらいたいと思うんです。一生に一回しか体験できないことですから。