エッセイ

昔の自分に再会して 

100319_02.jpg3月は別れと出発の時。子供の大学受験を応援していた親たちは、入学が決まると想像できないほどあっけなく子供たちが自分の腕の中から飛び立ってしまうことに気づいていない。


~などと、ふたりの子供を送り出した体験を噛みしめて、ひとりつぶやいたりするこの頃。
日本では年末の大掃除が恒例だが、イギリスではスプリングクリーニング!春に大掃除。
じゅうたんも外へ出し、冬の間のほこりや塵を思い切りはらう。
それを思い出し、私も本棚の整理を少し始めた。
そうしたら、1994年のエッセーが出てきた。
幼い子供たちや若い私(!)の様子にほろりとする。(春は感傷的になる時なのだろうか?)
今やホスピスケアは緩和ケアというがん治療のシステムの一部となり、がん患者さんのいのちのQ.O.Lに貢献する体制が日本では整いつつある。
しかし、何か足りない。
現代のホスピスケアの誕生のエネルギーの源流を見てきた若き日の私の声を、改めて皆様にご紹介したい。
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「イギリス再訪記」―そしてホスピス(その1)―
日本ホスピス・在宅ケア研究会 ニューズレター
1994年9月19日 内藤いづみ
この夏、3年ぶりに一家5人で戻った英国は、美しい花々にあふれていた。何度も日本一の暑さを記録した甲府で、ぐったりと疲れ果てた心身は涼やかな空気の中でほっと息をついた。4、5日経って、6歳の息子に聞いてみる。
「ねえ、イギリスと日本はどこが一番違うと思う?」
迷いなく、彼は答える。
「ママ、買い物の時、キング・ストリートを見てごらん。ね、わかるでしょう?イギリスには、老人と犬が多い!」
夫の両親が住む所は、英国中部にある人口2万人ほどの小さな町である。
町の中心部に大きなスーパーに並んで、昔ながらの量り売り(対面販売)の八百屋さん(グリーン・グローサー)、肉屋さん(ブッチャー)、パン屋(ベーカリー)、チョコレート屋(コンフェクショナリー)などがそろい、終日、買い物客で賑わう。
そうなのだ。手押し車を押しながら、老人たちがたくさんいる。賑やかな笑い声。そばを乳母車を押しながら、通り抜けようとすると呼び止められる。
「いづみ!まあ、やっと帰ってきたの?バーバラが喜んでいるでしょうよ。この子がニューフェース?よろしく。ジュ二ファー。」
義母の近所の人だ。どうしてこの国の人たちは、こうもしっかり人の名を覚えていて下さるのだろう・・・と感心しつつ、やっと相手の名を思い出す。
「そうなの。昨日着いてね。キャロライン!」
老人たちにはたっぷり時間がある。大好きなお天気の話をしながら、彼らは買い物を楽しんでいる。足の悪い人も多い。足のむくんでいる人もいる。パーキンソン病らしい人も見かける。
でも、どの人も家に閉じこもらず、時には誰かの手を借りて、出掛けて来る。この社会性。この自立した老人たち。
高齢化率の高い近い甲府で、私も息子もこんなにたくさんの老人たちが社会に溶け込み、自己の存在を自然に示してくれる場面に出くわしたことがない。日本の街も交通も、若い健康な人たちのためにデザインされ、老人たちは拒絶感の中で、一体どこにいるのだろう、とふと思う。私の前に並ぶ(対面販売なので、きちんと一列に行列し、じっと自分の番を待つのです。割り込みはありません。)
老婦人はおもむろに売り子にオーダーする。
「ハロー、エリザベス。今日もいい天気ね。天国よね。この国は天気さえよければ世界一。今日は―、トマト2個、りんご1個、人参2本を下さい。それと、レッド・チェダーチーズを100グラム。ありがと。」
堅実で質素な買い方だ。物を無駄にしない。それがイギリス流であったと、6年間のこの国での暮らしを思い出す。しかし、日本での物価高(いなかの山梨だって食品などはけっこう高いのです。)の後のイギリスの食品は、びっくりする位安い。大きなカリフラワー100円。ケント州からの採りたてのストロベリー1箱160円。桃が5ケで150円。レタスが50円・・・。主婦としての私の目はらんらんとしてくる。
「オー、いづみ。だめよ。そんなに買い込んじゃ。必要なだけ。明日はまた明日。」
義母の声ではっと我に返る。イギリスの生活は焦らず、ひたすら、悠然と―。
8月5日はロンドンのセント・クリストファー・ホスピスのセミナーに出席した。
ここは、現代のホスピス運動の創始者であるシシリー・ソンダース女史が開設されたホスピスである。
ホスピスについて少しでも学んだ者にとっては、あこがれの場所であり、世界中からの訪問客が絶えない。
ソンダース女史は30年以上前、がん患者の痛みを救うため、モルヒネについて画期的な研究と実践を行った。この方なくして、ホスピスの発展はなかったと誰もが認めている。
夏休みのため、セミナーはたった2名の参加で(普通は30名以上)私たちは幸運にもソンダース女史から直接講義をして頂けることになった。大柄で少し背の丸くなった女史が、廊下まで出てきて手招きして書斎へ招いて下さる。
「よくいらした。さあ、わが娘たちよ!」
そんな暖かい出迎え方で、私の緊張はいっぺんに吹き飛んだ。
「現在、世界中にホスピスが数多くできて大変うれしいです。ドクター内藤。日本では今いくつですか?ほんの30ヶ所?まあ、それは、30もと言い直した方がいいでしょう。これからです。イギリスでもここまで来るのには色々な努力が必要でした。最近、緩和ケアと呼ばれる施設も多くなったのですが、ややもするとそういう所では、スピリチュアル(精神的、霊的)ということがサイコロジカル(心理的)と同じ意味だと理解されるような傾向があります。私は同じではないと思うのです。人間の存在は非常に複雑です。ところでセント・クリストファー(聖人クリストファー)という方は川の渡し守です。私たちのマークをごらんなさい。」
私は思わず伺った。
「日本では死んだ後、三途の川を渡って、あの世にいくという言い伝えがあります。この聖人はいわばこの世からあの世へと導いて下さる案内役でしょうか?」
「そうですね。こうして魂をいただいて―」
ソンダース女史は大きな両手をまるで大切な宝物をのせるかのように、ふんわりと優しく差し出した。私は女史が今まで関わったたくさんの患者さんのことを考えた。
最期を彼女とともに過ごした患者さんたちはどんなに平穏で幸せで安らかだったろう―と想像する。こういう人物が歴史を動かしたのだと納得した。
私はこの後、入院病棟主任のドクターと一緒に研修させてもらうことになった。セント・クリストファーホスピスは、英国のホスピスの中では病床数が多く62床もある。(通常のホスピスでは15床位)
自己紹介が終わると、ポケットベルが鳴った。
「緊急入院です。一緒に2階へ行きましょう。」
主任ナースがてきぱきと報告する。
「ここには初めての方です。非常に呼吸困難が悪化しています。苦しんでいらっしゃいます。」
患者さんは肺がんの末期の方だった。目を真っ赤に泣き腫らした奥さんが傍に立っていた。
「いつから、こうですか?」
「もう、数日。息ができず、苦しく、机にもたれているだけです。見ていても辛くて、ここに来ようと言っても『いやだ』の一点張りで―。もっと早く連れて来たかったのですけれど・・・。」
患者さんは荒く短い息を苦しそうにハァハァと続けていた。苦しくて口をきくこともできない。医師は膝まづいて、ゆっくりと耳の近くで話した。
「私が担当の医者です。苦しいところ、すみませんが、少しだけ診察させて下さい。そうしましたら、すぐ治療をしましょう。」
数分後、薬剤が決定され、静脈注射を施された。患者さんのために、判断は一刻の猶予も許されない。相手は地獄のような苦しみの中にいる。まるで生き埋めになったような苦しさだ。注射は効を奏し、息遣いが楽になり、患者さんは数日ぶりに眠りはじめた。やっと久しぶりに横になれたのだ。落ち着くのを待って、医師は夫人を別室に呼んだ。そこは狭いながらも座り心地のよいソファーがあり明るい空間だった。ドクターが静かに切り出した。
「彼は苦しみましたね。しかし今はだいぶ楽になって休んでいらっしゃいます。」
「この病気になった時点で、ここに来ようと主治医共々勧めたのですが、本人が嫌がってだめでした。こんな苦しさになっても、いやだ・・・と言い張って・・・。」
「そうですか。実は、残念ながら、今夜いっぱいもつかは難しいかもしれません。」
夫人の感情のバランスが一気に崩れた。ナースが静かに肩を抱いた。落ち着いた頃、息子の連絡先を聞き、代わりに電話をかけにナースが部屋から出ていった。すっかりさめた紅茶を、夫人は呆然と眺めていた。
セント・クリストファーホスピスという、世界のホスピスの歴史を作った偉大な場所でさえ、まだこうして、ある患者さんにとっては大きくそびえるくぐりたくない最期の門である、という事実を知ることができて良かったと思う。
ひょっとすると、巷では、ホスピスケアをあまりにも、きれいごととして美しい言葉で語りすぎてはいないか?やはり、それはこうした実践が基本であり、前線で働く医師もナースも、ぎりぎりの場面で持てる力をふりしぼって、その人の残された尊厳のために戦い続けている。目の前に運び込まれた患者さんのために、何かができなければ、それは私たちにとっての敗北だ―。苦悩のにじみ出たそのドクターの横顔に、私は改めてホスピスケアの本質を考えさせられた。
「一生学び続けなさい。意志を強く、自分の信念のために、目的を遂行しなさい。必ずやりとげられます。」
これはシシリー・ソンダース女史からのメッセージである。
シシリー・ソンダース女史もおっしゃっているように、セント・クリストファーホスピスは、ホスピスの見本ではなく、一例である。
私はその夏、イギリス中部のホスピスの色々な形、取り組みをいくつも見て回った。
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16年前のイギリスからの報告記。