生き切る姿 子や孫に

北海道新聞2016年8月8日より
末期がんの患者らの療養を自宅で行う在宅ホスピス医で、甲府市のふじ内科クリニック院長の内藤いづみさんの講演会が古平町で開かれました。
内藤さんは長年親交のあった放送タレントで7月7日に83歳で亡くなった永六輔さんの思い出を語るとともに、これまでの活動を振り返りました。その内容を紹介します。

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古平で思い出語る
亡くなった永六輔さんとは20年ほど前に知り合いました。私が英国でホスピスの研修を終え、山梨で「がんになっても痛まなくていい時代がきました。英国では家で亡くなる手だてがあるんです」という話を広め始めたころです。それを聞きつけた永さんが「それは一緒に頑張りましょう」といって私の応援団長になってくれました。
永さんのおくさんは15年前に末期のがんと診断されました。永さんは奥さんに一番の望みを聞くと「自分の好きなソファに座って孫や娘や、いろんな人に会って過ごしたい」と考えたそうです。
それを支える医者、看護師、ヘルパーさんが見つかり、奥さんはずっと家で過ごすことができ、好きな家具に囲まれ娘さんたちに抱かれて亡くなったのです。

帰り際、深い笑顔
永さんは亡くなるまでの5,6年ほどの間はパーキンソン病、前立腺がんなどを患い、いわば病気の問屋でした。病院嫌い、医者嫌いの人でしたが、だんだん病院にも慣れ、ひょうひょうとして私たちに一度も愚痴をこぼしませんでした。永さんは「内藤さん、僕は最後まで家にいるよ。人生の最後、僕には大仕事が残っている。それは生き切る姿を子どもや孫に見せることなんだ」と言っていました。
6月14日に自宅にお見舞いに行きました。永さんは奥さんが亡くなった部屋で介護ベッドで寝ていましたが、深い眠りで口をきける状態ではありませんでした。1時間余りおじゃまして「永さん、私、本日は帰ります」と耳元で行ったら目がすっと開いてまるでお釈迦さまが笑ったような深い笑顔を見せてくれたのです。
亡くなる人には、この世でもあの世でもない不思議な時間が訪れます。永さんはそこにいて「苦しくないよ」と伝えてくれたのだと思います。
私はもうこの世では会えないだろうけれど「永さん、この20年どうもありがとう」と感謝したのです。そして3週間ほどたって永さんは、自宅でみんなに囲まれながら亡くなりました。

いつか花は咲く
私たちは人の最後に出会いますが、それが終わりではありません。私が甲府市でホスピス医を始めたころに訪れた男性は、40代で末期がんでした。男性の娘さんはピアニストになるのが望みでした。
男性の死後もその家族とのお付き合いは続き、20年後、帯広市で娘さんがピアノを弾き私が講演したのです。
別の例で、私が担当した男性が亡くなった半年後にその娘さんが女の子を出産しました。その子は「おじいちゃんは内藤先生に家でみとってもらった」という話を聞かされて育ち、高校生になって、私に会いに来てくれて「一生懸命勉強してホスピスの看護師になりたい」と話しました。男性を家で診たことが、孫娘が後に看護婦になりたいと思うことで、いわば花が咲いたのだと思います。