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身近な存在に向き合う(下)


2002年12月17日毎日新聞「こんにちは・さようなら(21)」より抜粋
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 10月初めに一人で訪れたイギリスの中部地方(夫の故郷)は、深まる秋の気配の中で、まだ夏の花々が鮮やかな色合いを残していました。
ヒースロー空港から車で移動するうち、日の入りとなりました。
盆地を囲む山の向こ冶に太陽があっと言う間に隠れてしまう山梨の日没に慣れている身としては、イギリスの日没は長く延々と続くように感じます。
 高い峰がなく、なだらかな丘の向こうにまた丘が続き、羊や牛がのんびり放牧されているイギリスらしい風景は、大都会ロンドンではなく、こうした田舎に存在しているのです。
 地球を半周し、やっと夫の故郷の小さな町に到着しました。懐かしい玄関の前に立ち、「ピンポンー!」とベルを鳴らすと、義母が両手を広げて迎えてくれました。
 「いづみ、さあ、さあ。何を食べたい?まずは紅茶にする?」。義母の笑顔は最高の出迎えです。
 
 「カップ・オブ・ティ」。
これ抜きでは、イギリスの日常は語れません。
義母の入れてくれた熱いミルクティをすすりながら、目の前の変わらぬ丘陵を眺めていると、心と体がほっとして、たちまちくつろいでくるのでした。
 生死の境を支えるケアの厳しさは、いつの間にか私の心身に大きな緊張を与えていたことを、その時改めて自覚しました。 人は温かく受け入れられ、もてなされた時、心から安心してくつろぐことが出来る。その「もてなす心」が、現代医療の忙しさの中では薄いことを痛感した人々により、イギリスでは30年前に、医療体制から自立した形のホスピスケアが誕生したのでした。
 現代の医療は多くの命を救い、寿命を延ばすことに成功しましたが、その先の、温かく人の命や魂を支えるという分野では、まだまだ合格点に達していないと、皆さんもお感じになりませんか? 
10年前には想像できませんでしたが、日本の風土や文化になじまないのではないかという声も、一部にあったホスピス(緩和ケア病棟)が、今年の9月現在で、全国107施設にまで増えています。
 「病院で死ぬこと」という著書がある山崎章郎医師(聖ヨハネホスピスケア研究所長)は、「文芸春秋」(03年1月弓)で、そのケアの質を問う段階になったこと、地域(コミユニティ)ケアへの発展を課題として挙げています。
 「コミュニティケアって何?」と、私はコミュニティケアの大先輩の国に生きる義母に聞いてみました。「簡単なことよ。まずは顔と名前がきちんと結び付いた間柄であるってこと。相手を認めて向かい合えば、あいさつの仕方も言葉のかけ方も支援の仕方も、自然に分かってくることよね」。
 「本当にそうだ」と私は思いました。例えば便利なコンビニでのサービスをはじめ、日本では顔のある間柄はどんどん少なくなり、ロボット語のようなマニュアル化した言葉と対応だけが、人間のすき間を通り過ぎていくことが増えています。
 そんな時、私の感じるいらだちの原因は、どうやら深そうです。山梨県という地方でさ
え、地域の付き合いは敬遠する父母が増えていることが、最近のアンケート調査で浮かび上がってきています。一人で生きられないことを自覚した時に、どれだけの真剣さと覚悟を持ってコミュニテ
ィと付き合っていけるのか。それは私たち全ての世代の、これからの大きな課題でもあるのです。