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優しさと強さを取り戻す方法

余命が迫る人に寄り添って20年の内藤さんに強く優しく生きるためのヒントを教えて頂きました。
(PHP2015年2月号に掲載。その後、2016年1月に抜萃のつづり・その七十五にも選ばれ、掲載されました。)

私は在宅でのいのちの看取り、在宅ホスピスケアを20年近く続けている医者です。実践の基礎をイギリスで学ぶ間に、死にゆく人と家族の味わう苦しみと、それを助けるために差し伸べる手の温かさは世界共通だと知りました。
いのちを囲む物語をご紹介したいと思います。

事業で成功を収めた65歳の男性は、2年前にがんを発症され、抗がん剤などの治療を試してきました。ついにがんの積極的治療がもうできない、と宣告されました。それからは代替治療をお金にいとめを付けず何でも試しました。残念ながらどれも効果がなく、とうとう体力も落ちて車いす生活になりました。私の往診が始まりました。豪華な家から眺める絶景も、奥さんの心のこもった料理も、子どもたちの優しい声かけも、ナースの助けも救いにならず、無反応になり、人生を呪う言葉さえ吐くようになりました。

夏でした。甲府では時に40℃近くの猛暑になります。私や看護師は噴き出る汗をぬぐいながら往診しました。
クーラーのきいた病室に入ると、その男性は突然
「先生、僕はもう死にそうだよ」
と真顔で、大声で私に言いました。それは何か私への試験のように感じました。(その男性は本当にもう余命短く死にそうなのです)
そこに居た家族も看護師も全員凍りつきました。私はすぐ答えました。
「そうですか?私たちもですよ。この暑さで死にそうです」

その男性は「確かにそうだ」と言うとワハハと大声で笑いました。久しぶりの笑いでした。その日から、心の内を少しずつ話してくれるようになり、自分がどんなに一生懸命働いて成功したのか、どんなに家族や従業員を愛しているのか、どんなにもっと生きて働きたいのか~。ずっと何を見ても感動できない絶望の日々を教えてくれました。
「昨日の夕焼けが美しかった。富士山もきれいだった。星空もきれいだった。自分は死んでしまうのに、世の中はこんなに美しいんだ。心が少し戻ってきて、色々とこれまでのことを振り返ることもできましたよ。僕の人生合格点だったかなぁ・・・」
そして、好きな音楽を聴くようになりました。ある日妻に、危篤になったら耳元でさだまさしをずっとかけてくれと頼んだそうです。そして、実際に危篤になった時、妻は約束通り歌声を聴かせ続けました。唇に笑みが浮かび、口ずさんだように思えた最期のひと時でした。

このように余命の迫った人生の最大の困難な時に、どう折り合いをつけていけばいいのか?1970年代に「死ぬ瞬間」という本で死にゆく人の心のプロセスを世界で初めて発表したエリザベス・キュブラーロス医師は、こう言っています。

『まず、感情を隠さない。思い切り泣く。叫ぶ。絶望の底まで落ちる。大丈夫などと見せかけの強がりはしない。これ以上落ち込めないと自覚した時、心は静かに浮かび上がっていき、自分を支えていたものは何かを思い出せるようになる。家族の愛、友情、尊敬する師匠、信念、信仰、風景、歌声、何でもよい。それらが自分の心に感動のエネルギーを蘇らせることに気づく。ユーモアの力も大きな味方になる』
私も関わった患者さんの多くがこれらにより力を得たことをみてきました。
いのちの主人公と、それを支える者たちの状況はあまりに切迫していて、極端に思えるかもしれませんが、日常生活を送る私たちも何かを失ったり、自信を傷つけられたりした時に、落ち込み周りの世界に何の興味を示せない閉塞した状況もよく起きるのではないでしょうか?

まず自分の心に正直になって、あなたの人生で最初の「幸せ」と思えたことを思い出せますか?
私の思い出を告白します。5歳の時でした。忙しい父の用事について行き、帰り道、父が車を止め、棒の付いたアイスを買ってくれました。ふたりで舐め舐め帰路に着きました。父は厳しい大きな存在でしたから、その時の嬉しさ、安心感は特別なものでした。窓から頬をなでる風の優しさ、そのかぐわしさ。アイスの美味しさ、この時のことが蘇ると、私の心も優しさと強さが回復します。
災害と同じように困難なことが人生にいつ起きるか、予想はできません。だから、肩をはらずに時々準備や訓練することが必要です。
私の準備法も紹介します。

①完全主義をやめる。合格点主義にする。合格点になったら自分を褒める。

②「大変」という言葉を使わない。「チャレンジ」ととらえる。自分で選んだことな
ら前向きにやり甲斐を持って向かい合える。ハードになるほど「嬉しい」「楽しい」と思えたら、それはかなりの達人の域でしょう。もし、「大変」という思いからのがれられなかったら「助けて」と親しい人に手を伸ばす。

③自分の人生と自分のいのちは自分が主人公であると自覚する。多くの支えで生きていても時には嫌いな人、ひどい人に出会い、理不尽な仕打ちも味わうことがある。しかし、相手の振る舞いに、自分の人生と心を支配させない。相手のために人生を棒に振る必要はない。自分の人生を守ってニュートラルな心の位置を自覚する訓練をする。

④心のベクトルを切り替える力を磨く。たとえば、私の往診車のナンバーは9643。クルシミ(苦しみ)と思い浮かべるか、クルシサン(来る資産)と読むか?ちょっとクスッと笑えますよね。クスッと笑えることを探してみましょう。クスッと笑うのは心のマッサージなのです。物事の輝く部分を探してみましょう。

⑤いのちを動かしている大いなる存在に時々思いをはせる~と言っても大げさなことではなく、道端の野の花に心を寄せる。雲を見る。風の中に立つ。星や月を見る。そんな自然の中の営みに自分のささやかな存在を置いてみる。感動する自分をそっと自分で抱きしめる。

私は在宅で看取りの仕事をやり遂げると、万感の思いで死亡診断書を書きます。それは、今世での宿題をやり遂げた方への卒業証書なのだと自分では思えるからです。誇らしい思いとともに、困難に向かい合う姿から、私たちに多くのことを教えて下さったことに感謝の思いでいっぱいになるのです。