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なぜ日本では患者の痛みと人生と向き合うホスピスケアが根づかないのか


SIGHT 2008年AUTUMNより抜粋

治る見込みが乏しいがん患者が、人生最期の時期をどれだけ有意義に過ごせるか、そんな終末期のケアを行う施設、または在宅での看護のことをホスピスという。
イギリス、アイルランドではじまったこの看護システムは、「治す」ということに主眼と目的を置いてきたこれまでの医療から、医に携わる者だけでなく、患者自身の意識にも転換を迫るものである。
というのも、患者は最期までその痺痛に苦しむものであり、医者は患者の心理よりも身体の数値をより見ているものであり、そして患者の家族はベッドを遠巻きに覗き込む脇役のような存在でしかない、そんな「常識」ではなく、ホスピスでは、まずその痛みを取り除き、患者に人間としての尊厳を取り戻させることからはじまるからだ。
ようやくここ日本でも、緩和ケアという名目で患者にモルヒネを与えることが広まってきてはいるが、重要なのは、その先、のようなのである。
ここにご登場いただいた内藤いづみ先生は、地元甲府で実際に患者と向き合いながら、精力的な講演活動などを通じて、ホスピスケアの理念とその実践のリアルを広めている方である。
長年、生と死を見つめてきた現場からの言葉は、あまりに多くのことをわれわれに語りかけてくる。
果たしてがんの告知すらしない日本で、ホスピスが広がるんだろうか?と思っていたんです

 そもそも先生がホスピスケア的なものに目覚められたきっかけはどういったことだったんですか。
内藤 医学部に通っていたときから、いつも違和感がありました。私が行っでいた70年代から80年代というのは、がんの奇跡的治療法が発見されるんじゃないかとか、免疫の理論ができたりとか、いわゆる科学的医療というものへの信仰がとりわけ高かった頃なんですね。だから、そのときの人の心がどうであるとか、その後の人生はどう支えるのかとか、そぅいった議論はほとんどなかったんですよ。
 進歩的な考えが趨勢だったと。
内藤 だから、人間教育みたいなものがすごく希薄で。通っていた大学が医学部の単科だったというのもあるのかもしれないけど、患者さん方の心理とか、死そのものを学ぶというようなことがなかなか議論されないんですね。医療が人間を救うんだっていう、華々しい使命感のほうが強かったんです。だから、私は変人なのかなあと(笑)。
 自分も疎外されていたと。
内藤 ただまあ、医者としての免許を手にしなければ何も言えないからと頑張って資格を取って、それで、臨床の現場に研修医として携わるんですけど、ただそこで体験することっていうのは、科学的な肉体の命を長らえさせることなんですね。当時は告知のなかった時代で、内科医が再発を重ねたどうにも手の施しようのない患者を引き受けるんですよ。
告知もできないですから、真のコミュニケーションをもてなくて、非常に辛かったです。その患者さんと直接向かい合えないで、嘘をついたまま見送っていく、昏睡状態になるとみんなほっとする、そんなおかしな世界でいいのか? この世界で自分のような変わった感性がフィットする場所なんてあるんだろうか? ずっと悩みでしたね。
より強まっていったわけですね。
内藤 私が役に立つ場所はあるんだろうかっていう疑問は全然解消されないんですよ。で、医者になつた頃こま、には、ホスピスっていう考え方があるつていうのは、資料としてインフオメーションされてはいたんですね。浜松で日本最初のホスピスが開かれたとか。それと、プロンプトン・カクテルという、モルヒネを調合したがんの痛みを緩和する方法が世界中に流布され始めていることも、なんとか調べてわかった。じやあ、これをやろうということで始めるんですけど、麻薬ではあるからちゃんとした説明はできなくて、咳がこれで止まるよとか嘘をついて飲んでもらって。
患者さん方の心理とか、死そのものを学ぶというようなことがなかなか議論されないんですね-(笑)。
内藤 だけど、それでも患者さんの一部の痛みしかとつてないなという感じがあって。それは、私たちがその人のすべてに向き合ってるわけじゃないし、ましてやまた嘘をついているしという。だから、死にゆく人たちと向かい合うホスピスという考え方にすごく惹かれたんだけど、果たして告知すらしないこの日本でそれが広がるんだろうか?とも思っていたんですけど、まあ運命の糸があって (笑)。
 ご結婚を機に訪英されて、そこで、本場のホスピスを体験なさったんですよね。
内藤 死を学ぶところに行ったんだけど、そこでふたりの子供を産むことになるんですね。ホスピスが生まれた国での赤ちゃんの取り上げ方っていうのは、やっぱりコインの裏表みたいなもので、その命と向かい合うんですよ。正常分娩であれば、助産師さんが立ち会って、お医者さんは登場しない。それまでは、自分のホーム・ドクターがチェックするだけ。自分で産むんだよっていう、そういうことなんですね。だから、そういう国だと、死ぬときも病院でなすがままに逝くんじゃなくて、命を取り戻して、みんなに手伝ってもらって、自分の好きな場所で死のうっていう、それがホスピスの考え方になるわけなんです。そのムーブメントの、ちょうど只中にイギリスに行ったんですね。
 なるほど。
内藤 だから、それは文化だったんですよ。今、日本でホスピスと言われているものも、医療の中のまだ緩和ケアの段階で、実際、誕生していないと思うんですよ。やっぱり市民
活動的というか、文化的なレベルでこういう考え方が浸透しているという前提が必要かな?とは思うんですね。イギリスだと、地域の人たちで資金を集めてホスピスに寄付している。あるいはボランティアで協力している。実際にかかるときには無料なんですね。で、ホスピスを運営するお医者さんや看護師さんは、収支の心配をせずに、ケアに集中できる。日本で今こういうことを自分でやろぅとしたら、大借金をして事業家にならないと始まらないという現実もあるんですね。すごく羨ましいなと思います。
私たちが究極的にやっていることは、患者さんと家族の皆さんに、命の主人公になってもらいたいということなんです。

 日本ではまだ、緩和ケア自体が特権的なものとして、多くの人に開放されているとは言い難い部分もあったりしますね。
内藤 ただ、ホスピスが誕生したことで、いろんな医療的技術が蓄積されて、内科とか消化器科とかと同じように緩和ケアが医療の一分野として新しくできて、そういう病棟を作ることががんケアの一部だっていうふうに国も認めてくれた。だから、ホスピスはまだ広がっていないけど、緩和ケア病棟は多くなってきましたよね。医療報酬としての金銭的なサポートが下りるようになりましたから。ただまだベッド数は多くありません。
 金銭的な運営面もまだまだなんでしょうけど、お話をうかがっていると、この間題っていうのは、われわれが医療をどう考えるか、もっと言ってしまえば、どう生き死にを考えるかっていう、抜本的な発想の転換を迫られていることなんじやないかと思うんですが。
私たちは最低限、体の痛みは緩和してあげるってことなんですね。
痛みがある限り、自分は取り戻せないんです

内藤 私たちが究極的にやっていることは、患者さんと家族の皆さんに、命の主人公になってもらいたいということなんですよ。人任せじゃなくてね。赤ちゃん産むのだって、自分で産むわけでしょう? 人は産んでくれない。死ぬときだって人任せじゃないわけです。自分の人生の一部なんですよね。だから、患者さんの自立というか、そこへ送り出すための自立を支援するということが私たちの仕事なんですね。ただ、そういう自立心が、この今の、現代の人たちにどれくらいあるかというと、これがなかなか難しい。
 まあ、病院というのは治してもらいに行くところだと思ってますからね。
内藤 でも、かといって希望がないわけじゃないんですよ。今生きてるつてことは、希望だと思うんです。自分がこの人生を得て、歩んできたってことへの目覚めというか、それを幸せだと思えることが、希望なんですよ。そういう希望が生まれてくるために、私たちは最低限、体の痛みは緩和してあげるってことなんですね。痛みがある限り、自分は取り戻せないんです。そこを緩和して、それから先が一番大事な自立への支援、なんですね。どうも緩和ケア病棟って言っても、病院じゃないですか。なんだかんだ言っても病院の一部なんですよ。そこで働いている人たちも、価値観のシフトってなかなかしづらいと思います。
 いまだ過程的というか。
内藤 個室で、スペースもあって、ハードの面ではいいものなんだけど、そこに命の循環があるかというと、まだ少ないんですね。死も命の一部だからという患者さん自身の開き直る力というか。余命1カ月と言われた91歳のおばあちゃんが、たまたまいろんなことがうまくいって、10ヶ月頑張れた。お家に孫やひ孫が集まって、最期、みんなでワイワイ言いながら見送るんですよ。みんな泣くんだけど、ワーツと笑っちゃったりしてね。おばあちゃんのほっぺたを触ったり、手をさすったり、そうするとおばあちゃんの息がだんだんゆつくりになって、金魚みたいに口がパクパクってなったら最期ですよと私たちが言って。私たちは席を外すんですね。それくらい支えた家族というのは、もう看取る力が育っているんですよ。でも、まだまだ普通はそうはいかなくて、そういう瞬間にはそこに医者や看護師がいなきゃいけないと思っている。
 私たちが患者さんの家族に言う答えは、
 とにかく、本人の言う通りに
 寄り添ってくださいと

 普通はそうですね。
内藤 医者や看護師が主役になってるんですよね、病院では。家族はみんな、不安なんですよ。だから、もちろん、医者はいなくちゃいけないんだけど、みんなでできることなんですよ。みんなでおばあちゃんの息を見ている。そこには冷たさはないですよ。おばあちゃん、しつかり命を渡したね、つていう確認がある。
それが温かさだし、それだからこそ私たちの仕事が続けられるんです。
 確かに、そういうヘヴィな局面に常に立ち会うわけですからね。
内藤 ヘヴィです。1、2回は必ず非常につらいときが来ます。神様、もう許してください、もうこれ以上できません、というときが。こちらの身体的なこともそうですし、精神的な忍耐力もそうです。しかもこれは、子育てと同じで、急げないんですよ。
 こちらの都合じゃないですからね。というか、こちらの都合にすることを止めることから始まるという。
内藤 そうですね、だから待つんです。患者さんとその家族に私たちがうまく寄り添うっていうのは、時々ギブアップしてしまいそうになるくらいつらい瞬間が来ます。
 たとえば、最期のときを迎える際には、陣痛の逆というか、やっぱり時間のかかる、肉体から魂が脱皮するようなことがあるんですね。お年寄りだと大体1日2日かかる。少し若いと4、5日とか、長いと10日とかかかる場合もある。そこに、不眠不休で肉迫するんですね。家だと家族がそれを行うんです。私たちはそれを励ます。これがあなた方のしてあげられる最後の一番大事な仕事ですよと。家族じゃなきやできないことですよと。できなければ、緩和ケア病棟を紹介して入院させるんだけど、でもほとんどの家族が頑張りたいって言うんですね。で、どうすればいいんですか?と。私たちの答えは、とにかく、本人の言う通りに寄り添ってくださいと。たとえば、ひとりの人はベッドに寝ると、起こしてくれと言うわけ。で、起こす。本人にはもうそんな力はないから。そうすると、寝たいって言うから、寝かせる。で、また起こしてくれと。
それを延々繰り返すんですね。頭がおかしくなったんじゃないかって思うくらい、続ける人もいるんですよ。
別の人だと、ベッドサイドに置いてあるトイレに移してくれと。抱えあげて移す。でも、何も出ない。で、ベッドに戻す。そうするとまたトイレだと。こういうことがずーっと続くんです。この肉体との別れ、その最後の力をそうやって振り絞っているんですね。そのとき家族は、そうだねって言って背中をさすってあげたり、不安だったら抱きしめてあげたり、私たちがいるから大丈夫だよって声をかけてあげたり、そうして魂の交流をするんですね。それはでも、病院ではなかなかできないんです。
-確かに。
内藤 英語ではセデーションと言うんですが、病院などでは鎮静させるんですね。薬を使って眠らせてしまうんです。眠ってしまえば、トイレに起こしてくれとも言わないし、ウーって唸るようなこともないわけ。
そうすると誰がラクかというと、看る人がラクなんですね。看護師さんも、血圧をみて帰ればいい。心臓動いてますねって、モニターを確認するだけでいい。だから、眠らせる方法を薦めることが多い。緩和ケア病棟ではかなりの割合、鎮静させてるって言ってました。
 緩和ケアといっても、病院である以上、病院であることからは抜けきれないという。
内藤 そう。病棟であり、病院ですからね。いいところもたくさんあると思います。スタッフだって頑張ってる方はたくさんいらっしやいます。
でも、どうしても限界があるんだと思うんですよね。
緩和ケア病棟は、まだ病院の-部ですから。ホスピス誕生の理念までは届かないところもあると思うんです
 もちろん、病院は治療をするという部分では最先端の技術があって薬だったり外科手術だったり、病気への対処としては正しい場所であることに間違いはないんだけど、そこから疎外されていくものはどうしても出てきてしまうわけですね。
この人の痛みにはモルヒネを50ミリとかやっていても済まない。その人の痛みに共感して、緩和してあげたいという熱意がない限り

内藤 そうですね。緩和ケア病棟は、まだその病院の中の一部ですから。
そういうものを国のお声がかりで作っぢゃつたから、ホスピス誕生の理念までは届かないところもあると思うんです。でも、そういうところでしか看取ることのできない場合だってありますし、家族の事情もあるし、病気自体、非常に複雑ですから全部が全部在宅というわけにはいかないでしょう。
 当たり前ですけど、なかなか難しいですね、これは。
内藤 医療的にはがんの痛みを緩和するっていう、もちろんサイエンスな部分は必要だし、でも一方、ソーシャルな部分、それとサイコロジー、最終的にはスピリチュアルな部分だって必要となってくるわけです。ただ、やっぱりそういうことが苦手なお医者さんも多いですよね。それは医者の仕事じゃないというような。
なんでそこまでしなきやならないの、モルヒネで痛みをとつてあげればいいじやない?と、そこで止まってしまう人もいるだろうし。ただ国がようやく、そういうことをがんケアの中に組み入れたことは進歩だと思っているんです。しかし、そこに至る日本人の準備態勢というものが遅れている。がんの人を痛みから解放するっていうことが、日本は先進国の中でずっと遅れていたので。
 3つのHと言ってるんですが、ヘッド(HEAD)って知識と、ハート(HEART)って心、それとあとはハンド(HAND)という、実際の技術ですね、この3つをバランスよく行わない限り、頭でこの人の痛みにはモルヒネを50ミリとかやっていても済まない。その人の痛みに共感して、緩和してあげたいという熱意がない限り、知識は役に立たない。というか、危ないんですよ。
 そこには危険もあるという?
内藤 そうです。たとえば、2週間ごとに外来で来る患者さんにモルヒネを出すとするでしょう? これこれの薬をこういう具合に服用してくださいと渡して、その結果を2週間後に把握するのではもう手遅れなんですよ。もし渡したら、その半日後には電話をかける。次の日も電話をかける。副作用が出てないか、確認する。また来てもらう。そういう細やかな対応をしてはじめて、その人の痛みがなくなる適用量を決めていくというふうなことが必要になってくるんですね。
がんの痛みから解放するっていうことが、日本は先進国の中でずっと遅れていたので

 先ほどお話がありましたが、国の考え方も少しは変化してきたという。先生が行ってらっしやるような活動へのサポートというのはどうなんですか?
内藤 資金面では、保険適用にはなってるってことですよね。前は保険適用になろうがなるまいが、在宅ホスピスケアというものをやりたいって言って行ってきた部分はあるんですけど。今は、訪問者護っていう、看護師さんたちの働きの方とか、いろんなところにきちんと保険適用の点数が付くようにはなってきています。一番大きいのは、看護師さんたちがすごく成長してきたってことだと思いますね。自立する看護師さんたちが出てきて、自分たちで訪問看護ステーションというのを立ち上げて、24時間体制で仕事をしています。もちろん、お医者さんの指示がなければ動けないんですけども。これまで病院だったら、なんでも医者の指示のもとで看護師さんは動いてきた。
でも、訪問着護になると、お宅に行けばひとりで判断し対処する場面がたくさん出てくる。そういうことを長年やってきた方たちが皆さん勉強熱心で成長して。だから、看護師さんたちに必要なのは、やりがいなんですよ。何かの一員ではなくて、先生の助手じゃなくて、チームの一員として自分がこの人の役に立っているという。私と一緒に仕事をしている人たちも増えました。スペシャルナースと呼んでいい方たちが増えていますね。
 お医者さん自身のほうはどうなんですか?
内藤 20年前にホスピスケアと言って、それは医療じゃないと拒絶したのは、お医者さんたちだったんですよ。理解されませんでしたから。
一番反応してくれたのは、看護師さんと患者さんたちだったんですね。
ですから、医者が変わるつていうのは、もう最後だと思ってます。お金になるとか、厚労省がこうしろとか、そういうことでしか、医者は多分、変わらないと思いますね。だから、当初はまあいいや、ほっとこうと(笑)。
 20年前にホスピスケアと言ったって、
 それは医療じゃないと拒絶したのは、
 お医者さんたちだったんですよ

 (笑)。ただ、先生ご自身もいわば24時間体制にいつもあるわけで、しかもヘヴィな局面に立ち会うことのほうが常であるという。ホスピスがもたらすことの良い面に対して、ことここ日本でそういう活動を続けていくには、まだかなりなタフさが必要ではないですか?
内藤 確かにハードな面はありますが、その人の人生のほんとに断片を見せてもらえるつていうのは、すごいことだなって感じることがありますね。
先月亡くなった方は、59歳だったんです。
すい臓がんで、1年前に私のところに来たときはもう手遅れで、余命1カ月だと言われてました。
内藤先生に死亡診断書を書いてもらうんだ、そんな感じで覚悟してご家族といらしたんです。だけど、ちょっとここで気持ちを切り替えませんかと。応援しますって言って、少し軽い免疫治療などをしていたら、たて直ってきたんですね。
バランスがよくなってきた。で、その方は、外でお仕事をされる方だった。それをね、やっていいかと言うから、どうぞと。がんの成長も止まって。食べるものが食べられるようになって、1年間、頑張れたんです。
奥さんはご主人がすごく好きで、末期がんと診断されてから、せつなくて泣いてたんですね。でも1カ月、2カ月、3カ月って過ぎていくうちに、だんだん気持ちの整理がついてきたんでしょう。1年経ったころには、随分とたくましくなりました。
でも、今年の春ぐらいから、またがんが動き始めてしまったんですね。時々入院するようになったんですけど、すい臓がんだから痛いはずなんだけど、ほんのちょっとの痛み止めで済むくらいで。最後のほうはあまり食べられなくなったんですよ、腸閉塞になってね。
でも、食べるってことは、一番最後に残る欲なんですね。特に、禁止もされてるからなおのことなんです。かわいそうだけど、みんなでいつも聞くんですね、何食べたい?って。もし食べられるものだったら、なんとか工夫して食べさせたいと思うから。でも、そういうとき、食べられないものを言うんですよ。この人は、天ぶらそばだった。天ぷらと日本そば。
腸閉塞の人は絶対食べられない。黄疸もひどくなってね、もうあと10日くらいかなとみんなが思っていた頃ね、また天ぷらが食べたいって言うのね。奥さんが作ろうとしたら、それじゃあ駄目だと。うまい天ぶらがいいと(笑)。それで私も考えて。顔色ももう黄疸でとても悪い。
清里に友人の料理人がいて、その人はホスピスとかに理解があり、重症者を見ても驚かない人だから、その人に頼もうと。ただ、片道50分くらいかかるんですよ。そうしたら息子さんが、自分が運転して連れて行くと。
大学生の息子さんがお父さんを抱きかかえて車に乗せて、私たちも看護師さんと一緒に清里まで行ったんです。着いてみたら、その料理人の人は腕まくりして待ってた。
 そして、野辺山で採れたっていう、初採りのこんなに大きなアスパラガスを、病人だからって遠慮せずにどーんと1本丸ごとお皿にのせて出してくれて。もう患者さんは喜んじゃって、手づかみでね、むしゃむしゃむしゃむしゃ食べたんです。うまいって。半分くらいしか食べられなかったんだけど、おそばも食べた。奥さんも喜んでね。もし、この人が亡くなったら、仏前に供えるしかなかったって。
でも、人生の最期にね、うまいって思って亡くなるのとそうじゃないのでは全然違うでしょう?
その人、途中でちょっと横になって寝ていたんだけど、起きてきて言うんです。先生、今日は俺のオゴリだって。ちゃんと財布があるんですよ。
それを叩いて、今日は俺のオゴリだって。だから、先生、一番いいの食べてくれって。そういうことが見られる、それはすごい素敵だなと思うんですよ。
人生の最期にね、うまいって思って亡くなるのとそうじゃないのでは全然違うでしょう?
 その人は、ほんと最期にものすごく人間らしいことができたってことですよね。人にオゴれるなんて。
内藤 もう息を引き取ってもおかしくないくらい重かったんですけど、それから10日間頑張れたんですね。
 なぜ痛みから解放するかといったら、
 もう1度その人に人生を取り戻してもらうと
 いうことですから

そして、その10日間に奥さんが、ご主人が大好きであれほど死んでほしくなかったあの奥さんが、逝っていいよって言えたんです。もう逝くときだって。引き止めたらかわいそうだって。この人はほんとうに人生をまっとうして、亡くなるべきときが来たって、奥さんが納得できたんですね。
私は引き止めていません、私は夕べ言いました、お父さん、何か心配なの? 私のことは心配しなくていいから、もう逝っていいよってそう奥さんが言ったと。その大事な10日間。
家族がそういうことを言えるつて、ありえないですよね。みんなでね、ほんとうにその人を送り出したんです。
 先生がかつて遠藤周作さんと対談されたときに、遠藤さんから、医者というのは神父と同じように人の死に関わる仕事だと言われたそうですが。
内藤 魂に手を突っ込む仕事だと。だから、薬の話だけしていても、緩和ケアも、ホスピスケアも深まっていかないんですね。その人をどうやって体の痛みから解放して、でも、なぜ解放するかといったら、もう一度その人に人生を取り戻してもらうということですから。そして、自分で自立して、人生の最終章まで歩んでもらうってことですから。だから、私たちもそういう勉強もしておかないと、関わるスタッフが燃え尽きてしまうと思うんですね、死に出会うことを重ねていくと。だから、医療の問題ではあるんだけど、医療の中だけではハンドルできない。医療と接点があるんだけど、微妙に社会との接点がある仕事だということを自覚していないと、うまくいかないと思いますね。
 それは患者側も、というか、患者こそが、ということでもありますよね。
内藤 そうですね、誰だって死の恐怖はあるんですよ。頼るものが欲しいんですね。だから、たとえば抗がん剤一辺倒で、それにすごく頼ってしまったりもするわけです。常に常に新しい抗がん剤を追い求めていく。
でも、頼るってことは、どこかで自分の人生に向かい合えないこともあるんじゃないかなと。冷静さを失ってしまうというか。反対に、もうそういう西洋医学を全部否定しちゃって、自然療法みたいなもので治すんだという人もいる。それを飲むと自然療法が効かなくなるからと、病院でもらった薬を全部捨てる。それもまた、一種の依存のような気もするんです。恐怖からなんとか逃れたい。抗がん剤に走るのも自然療法に走るのも、同じなんですね。
 そうではない、真ん中というか、そういう言い方が正しいのかどうかわかりませんが。
内藤 冷静なコーディネーターというのか。
 が必要になってくるわけですね。
内藤 いっしょに並走してくれる、医療的な人とかね。なるべく私はそういう役目になれるように心がけています。だから、患者さんが1本1万円もするつていうよくわからないがんに効く薬をどこかから買ってきたといっても拒否しないで、ちょっとじゃあいっしょに飲んでみましょうかと、味見してみたり(笑)。それで、すごく不味くて、これ飲むともう食事できないですよねって言って。
 ということだったりするんでしょうね。
内藤 そうなんですよ。だからまあ、してもいいよって。してもいいけど、どう?これ効くと思います?っていう冷静さを。親戚が買ってきてくれたからとか、断れない理由がいろいろあるんです。じやあ、あんまり効きそうにないけど、気は心だから飲んでみましょうか?って。
 薬の話だけしていても、緩和ケアも、ホスピスケアも深まっていかないんですね
 だから、宗教であればいいのかという話でもないんですね。
内藤 そうですね。宗教もいろいろですしね。そこまで信仰のない人がいきなり宗教に入れるのかということもありますし。あと、宗教がなくても、非常に大きな意味で信仰心のある方はまた強かったりとか。すごく冷静な判断ができる方もいらっしやいます。
 だから、私たちなんかは最低限モルヒネがあればがんの疼痛は緩和できるっていうのはあります。そこがあれば苦しまずに生きられるというか。そういう最低限というか、ほんとの危機管理みたいなところも、医者も患者になる皆さんもしておかなきゃならないかなと思います。
SIGHT 2008年AUTUMNより抜粋