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命の終わりを支え続けて

残された時問は家族と過ごしたい
 内藤いづみさんは、山梨県甲府市で小さな診療所を営む内科医。絵が飾られ、季節の花が生けられた内藤さんの診察室は、クラシック苦楽が静かに流れ、医療機関とは思えない温かで家族的な雰囲気に満ちています。


 こうした雰囲気に触発されてか、内藤さんの診療所に定期的に通ってくる外来患者も、ときに点滴を受けながら、患者同士和やかに談笑していたりするそうですが、実はここを訪れる
患者の多くは、「進行がん」という深刻な病状を抱えています。内藤さんは、在宅専門のホスピス医なのです。
 こうした患者に内藤さんが行うのは、がんを治す積極的な「治療」ではありません。人生の最期を自宅で過ごしたいと願う人たちに、残された時間をできるだけ穏やかに過ごしてもらうための「支援」を行っているのです。その中心となるのが、がん特有の激しい痛みを抑え、日常生活を取り戻してもらうための「緩和ケア」です。
 「痛みは主にモルヒネで抑えます。患者さんによって痛みは千差万別なので、その人の状態をよく知って薬を処方することが大切です。痛みがなくなると食欲も出るし、夜もよく眠れるようになります。落ち着いて会話もできますから、かつての家族と暮らしていた日常が戻ってくるんですね」
 内藤さんは外来患者の診療を午前中に終えると、午後からは看護師とともに、外来に来られない患者の往診に出かけます。白衣は着ないので、まるで知り合いの家をちょっと訪ねるといった感じです。往診といっても、本人や家族に話を聞いて、痛みや不快感がないようなら、おしゃべりだけで帰ることもあるといいます。ただし、本当に重篤(じゅうとく)で目が離せない患者を抱えているときは、そうはいきません。刻一刻と変わる病状に目を配り、緊急の呼び出しにいつでも応じられるよう、運動着で眠ることもあるそうです。
 「最末期になれば何が起きるか分かりませんから緊張しますが、ふだんは患者さんの病状をよく見て変化を予測し、それに備えている状態です。
病状が急変することなくゆるやかに下降していき、なるべく長く家族と穏やかに過ごせるようにするには、相応の準備と気配りが必要ですから、私が同時に診ることができる重篤の患者さんは、三人が限度ですね」
 内藤さんがふじ内科クリニックを開業し、在宅ホスピス医として診療を始めたのは平成七年。まだ末期がん患者を自宅でみとるなど、誰もが不可能と思っていた時代でした。しかし、内藤さんには、これこそ自分のやるべきことだという、強い思いがありました。
まだ医師として駆け出しのころ、年の研修医を経て勤務医となった大学病院で、内藤さんは余命数カ月の末期がん患者と出会います。まだ二十四歳の若い女性でした。
 「私は考えました。効果が期待できない抗がん剤治療を続けて体力を消耗し、病院のベッドで衰弱していくより、最期の時間を住み慣れた家の家族のもとで過ごすほうが、彼女の幸せではないかと。それで在宅治療を提案したんです。彼女は喜びました。ご家族は不安だったと思いますが、私に任せてくださいました」
 こうして三カ月余り、内藤さんは大学病院の勤務と並行して、在宅の彼女と家族を支え続けたのです。
 「亡くなる当日も一人でトイレに行き、母親の腕の中で穏やかに息を引き取ったそうです。この経験を通して、目指す医療がようやく見えてきましたが、同時に困難も感じていました。
医師一人だけの在宅ケアでは、やはりできることは限られてしまうんです」
肉塊野痛みは消えても私財摘みはなくならない
 そんな内藤さんに転機がやってきます。昭和六十年、イギリス人の男性と結婚し、翌年夫の故郷のスコットランドへ移住したのです。イギリスといえば、現代ホスピスの発祥の地。各地のホスピスを訪ね歩いた内藤さんはそこで見た光景に大きな衝撃を受けます。
 「日本なら病院のベッドで身動きできない末期がんの人が、ここでは痛み止めの経口薬を出してもらいながら、ふつうに生活している。その姿は新鮮でした。ボランティアが医療者と協力して運営しているという市民意識の高さも、日本にはないものでしたね」
 内藤さんは現地のホスピスで研修を受け、ボランティアとして運営にも参加するうちに、日本にもこうした施設やサポートシステムを広めたいと思うようになったといいます。そして、夫とイギリスで生まれた二人の子どもとともに再び日本に戻り、故郷の山梨にクリニックを開業したのです。
 それから十三年、内藤さんが在宅で最期をみとった人は、二百人近くになりました。その人たちに寄り添い、最後まで「生き切る」お手伝いをしてきた内藤さんですが、肉体の痛みはなくなっても、最後は心の痛みに苦しむ患者は少なくないと言います。
 「それは 『いてもたってもいられない、底なし沼に引き込まれるような不快な感じ』だそうです。これは人が死んでいくときの、魂の苦しみだと思うんです。この状態になると、病院のホスピスでは薬で眠らせてしまうこともあり、患者さんは一見苦しむことなく静かに亡くなりますが、そのような心の痛みまで薬で抑え込んでしまっていいのかという疑問が、私にはあります」
 人には本来生む力、生まれる力と同様の「死ぬ力」が備わっているはずであり、それを助けるのが自分の役割だと内藤さんは思うようになりました。いつしか医師の領域を超えて、患者と家族を支える精神的な支柱の役割も果たすようになっていたのです。
 「死にゆく人は孤独です。でも家族が寄り添い、声をかけ、抱き締め、体をさすってあげることで、苦しみはずいぶん和らぐものです。みとりの経験は、家族にとっても後々大きな慰めとなります。残された時間の中で、驚くほど精神的な成長を遂げた患者さんや家族を、私は数多く見てきました。これも日常をともに過ごす在宅だからこそ、と思っています」
 内藤さんには夢があります。それは病気や悩みを抱えた人がしばし憩い、また元気を出して自分の人生に戻っていける「ひと休みの村」を、山梨・長野両県にまたがる八ヶ岳の大自然の中につくること。内藤さんなら、いつかきっと、実現させるに違いありません。
「愛和」2008年夏号より抜粋