ホスピス記事

世の中は「尊いもの」にあふれている

公益財団法人修養団の月刊誌「向上」2026年3月号「随想」より抜粋。

向上3月号の表紙
「尊いもの」についてじっくり考えた時、次々と浮かんできました。自分を生かしてくれている、自然の力。空気・水・太陽のエネルギー。土からの作物。家族の支え。友人の力。人の情。何より、今自分がここにいて、いのちをつむいでいる、いのちの”きせきのリレー”の鎖のひとつであるという事実。こんなにも私たちはたくさんの「尊いもの」に囲まれて、助けられて生きているのだ、と気づかされました。

私は在宅ホスピスといういのちを学ぶ現場で30年近く実践しています。医療保険適用外のボランティア的なかかわりもたくさんあります。時には、24時間体制で自分の時間を捧げます。「いのちは時間」という人もいますので、私は自分のいのちをいのちのために捧げてきた、とも言えるのかもしれません。

これは私の自慢ではなく、世の中にある仕事のほとんどがそういった尊いかかわりなのだと思います。特に、子どものための母親の献身は、神さまの愛(アガペー)と同じ位の愛の力である、と昔のギリシア哲学者たちは考えました。「母の愛」というと思い出すことがあります。

10年ほど前、私は小さな手術のために3泊4日で都内の病院に入院しました。3人部屋でした。私は真ん中で、両隣の患者さんに、自分が医師であることは言わず、挨拶をしました。

窓ぎわの40代の患者さんは、顔面蒼白でとても辛そうでした。ひっきりなしの嘔吐、食事もとれず、夜も眠れず、数日が過ぎているということでした。私の想像では〈消化器系のがん? 転移による腸閉塞では・・・・・・?) おせっかいな私は、ついこう言ってしまいました。
「担当の外科医に、辛いと訴えた方がいいですよ。言わないとわかりませんから。」
すると、「いえ、大丈夫です。先生はわかっていると思います。きっと何かしてくれるはずです。」
彼女はそう言って、我慢を続けていました。結局、主治医は来ません。私も休んでいると、カーテン越しに彼女の12歳くらいの娘さんが来ていて、必死で甘えようとしているのがわかりました。

「お母さん、お母さん、宿題みて」
「だめ、お母さん苦しいの。離れて」
「今流行りのブーツが欲しい。一緒に買いに行こう」
「だめ、できない。それどころではないの!」
「聞き分けてちょうだい。お母さんは辛くて口もききたくないの。帰りなさい!」

娘さんは泣きながら帰って行きました。私はその状況をすぐに何とかしないと、と関係者ではないのに思ってしまいました。
〈このお母さんは、偉大なる母の愛も負けるほどの苦しみの中にいる〉
自分も治療を受けている患者でありながら、自分の傷口をおさえつつ、行動に出ました。私が主治医に直接かけあうと、プライドの高い医師はきっと反発するだろう。では、力のありそうな看護師長を探し、状況を説明し、主治医にうまく伝えてください、と頼みました。

元々、愛ある看護で有名な病院だったので、すぐに私の思いをくみ取って行動してくれました。しばらくすると、主治医がやってきて、 「そうだったの? そんなに辛かったの? 言ってくれないとわからないよ」とすぐに処置を始めてくれて、彼女は苦しみもやわらぎ、その晩から眠れるようになりました。

翌日、娘さんが来ると、笑顔で「ごめんね。お母さんとても苦しかったの。今は大丈夫」、そう言って娘さんをぎゅっと抱きしめ、2人で泣いていました。

この経過を〈カーテンの隙間から覗く私をお許し下さい〉と思いつつ(何しろ病室が狭くて、プライベートがないのです)、母の愛が回復して、安堵したのでした。私は更に、おせっかいを覚悟でこう伝えました。

「娘さんの将来もふくめて、未来のことをよく話し合った方がいいですよ」 彼女は笑顔で頷きました。強い母の顔でした。

私は三泊四日で退院し、その後は彼女と文通を通して連絡を続けました。何度目かの返事は代筆でした。

「おかげ様で迷うことなく、ホスピス病棟に入りました。事情があって、在宅ケアはむずかしいのです。でも、家族と娘とよく話し合いましたので、心はすっきりしています。そうそう、娘のブーツも買えました。毎日娘を抱きしめています。私が今できる唯一のことです。」

尊い母の愛はこうして娘さんに届いたのです。この一連の話をすると、私は娘たちから叱られました。
「お母さん、短い入院中ぐらい、落ち着いて静かに療養できないの!」