メディア出演情報

私らしく生き切るために

ハルメク2022年3月号より

ハルメクの対談
人間を含む生きものの歴史や関係を整理し、私たちが「どう生きるか」を探るための学問「生命誌」の第一人者である中村桂子さん。
山梨県甲府市で訓年近く在宅ホスピスケアに取り組み、看取りの医師として多くの患者さんのいのちに寄り添ってきた内藤いづみさん。
ともに「いのち」を見つめ続けてきたお二人に、心も体も自分らしく生き切るための知恵について語り合っていただきました。

お二人の対談は昨年末、東京都内の静かな住宅街にある中村さんのご自宅で行われました。訪れてまず圧倒されるのは、多種多様な草木花に覆われた崖状の広い庭。急こう配なため、レンガの階段を上り下りしなければならず、「足元に気を付けて」と中村さん。崖の下には湧き水もあり、水くみや庭の手入れのために毎日上り下りしているそう。内藤さんは「日常的に足腰が鍛えられて運動不足にならない庭ですね」と息を弾ませます。
実は内藤さんがここを訪れるのは今回が2回目。半年ほど前に、お二人はこの庭でじっくり語り合い、そのやりとりは新刊『人間が生きているってこういうことかしら?」(ポプラ社刊、略ページ参照)に収録されています。久しぶりに再会したお二人は、烏のさえずりを聴きながら庭で撮影後、暖炉のあるリビングヘ・中村さんお手製のアップルパイと紅茶をお供に対談が始まりました。

内藤 今日は明け方に患者さんが一人お亡くなりになって、ご自宅で最期を看取ってきました。私はいつもバッグの中に死亡診断書をしのばせていて、今朝、書き上げて、ご家族にお渡ししてきました。たった1枚の紙ですが、人生を終えたという証しですから、私は「人生の卒業証書」と呼んでいるんです。
中村 看取りというのは「いのちの卒業式」で、患者さんの代理であるご家族に卒業証書をお渡しになるのね。
内藤 そうです。法的には、この紙がないと、ご遺体を1メートルも動かせません。だから私が早く渡さないと、ご家族は葬儀などを進められなくなってしまうんです。
中村 なるほど。
内藤 医学的には、死の三つの兆候(編集部注・呼吸の停止、心臓の停止、瞳孔の散大)を調べて「何時何分に亡くなりました」と死亡時刻を決めます。でも一方で、患者さんには確かに「名残」があるんですね。それまで過ごされてきた人生だとか、筋金入りの頑固者で家族を散々困らせていたけど、それでも愛されていたなという人柄だとか、そういうものは呼吸が止まって心臓が止まってもなくならない。完全に名残があるわけです。

生と死は別のものではなくつながりはずっと続いていきます

中村 お医者さまや警察にとっては死亡時刻が大事なのでしょうが、家族にとっては何時何分なんて関係ないですよね。私が83歳の母を看取ったときに感じたのは、生と死は別のものではなく、つながっているということでした。というのも、母が亡くなる前から、〃ああ、もう戻ってこないんだな″とだんだん母が離れていく感じがあって、一方、亡くなった後には、まだ自分と同じ世界にいるという感じがあるんですね。つまり生も死も過程であって、ずっとつながって続いている。死亡時刻で区切られるものではないのです。ある意味、生まれたときからだんだん死に近付いているともいえるわけでしょう。
内藤 本当にそうですね。生と死は鎖のようにつながっています。
中村 そして10年たっても20年たっても、いまだに母と一緒に生きている感じがあって、全然いなくなっていない。料理も日常の暮らし方も、「母はこんなふうにしていたな」と思いながらやっているから、あんまりいい加減にはできませんね。
内藤 わかります。私の場合、鏡を見ると、母がいますもん。年を取ってだんだん顔が似てきたから、鏡を見るのが怖い(笑)。「いづみ、仕事が足りんよ。もっとがんばれ」って、96歳で亡くなるまで言い続けた母でしたから、叱られそうで・お風呂上がりは曇った鏡を拭かないようにしています(笑)。

いのちのつながりを感じる

内藤 うちは父も母も教師をしていたから、私にもその素質があって、看取りの場に子どもがいると、すぐ「いのちの教室」をしたくなるんですね。おばあちゃんの布団を囲んで最期を見守っている孫の耳に聴診器をつけて、「君の心臓の音を聴いてごらん。ドクドクしているでしよ。それが生きているってことなの。おばあちゃんの心臓に当ててごらん。静かでしよ。それが死んだってことだよ」と。
そして、「おばあちゃんは宿題を全部果たして、最期までみんなと一緒にいたいという思いを果たしてもらって、ありがとうと天国に行ったんだよ。だからこれからおばあちゃんのことをよ-く思い出してあげて」と伝えます。そうやって看取りと「いのちの教室」を両立させていたら、そこから看護師さんになった女の子もいるんですよ。ある男の子は「死ってわからないことで、怖いものだと思っていたけど、おばあちゃんが亡くなるのをずっと見ていたら怖いものじゃなくなった。たすきをもらったような気がする」と言いました。
ああ、子どもはすごいなと思いましたね。
中村 理屈じゃないのよれ。その場にいて本当に自分で感じることだから。
内藤 いのちのそばにちゃんと寄れた子は、いのちのつながりを感じてくれる。亡くなっていく人も、いのちのたすきを渡すと感じられたら、死は恐怖ではなく安堵になると思うんです。昔はそういうことが自然にできていたはずですが、今は必要以上に日常から死を遠のけてしまっているから、かえって不安や恐怖を抱える人が多いのかもしれません。

不安になる時間はもったいない

ハルメク対談
中村 私はどんなことでもいいから、自分が大好きなことや夢中になれることをお持ちになったら、死や老いへの不安を感じる暇なんてなくなると思いますね。私だって死が怖くないわけじゃないですよ。だけど私たちの生きる時間、考える時間は限られているわけじゃないですか。だったら自分のやりたいことをして、好きなことを考えている方が面白いし、不安になる時間はもったいないと思うんです。世の中の役に立つとか立たないとかそういうことではなく、小さなことでいいから、自分が夢中になれることを見つける。そして、ちゃんとお食事やお散歩をして当たり前の日常をしっかり送ることだと思います。私が子どもの頃からずっと、今も大好きで、自分と重ね合わせてきたのが『あしながおじさん』の主人公ジュディです。彼女の言葉でとても好きなところがあります。
「人生で立派な人格を要するのは、大きな困難にぶつかった場合ではないのです。誰だって一大事が起これば奮い立つことができます。
また心を押しつぶされるような悲しいことにも勇気をふるってあたることはできます。けれども毎日のつまらない出来事に笑いながらあたっていくのは、それこそ勇気がいると思います」
これって本当にそうだと思いませんか。私たちは毎日毎日何かにぶつかるんだけど、そのときにマイナスに考えないで、自分なりにやっていくのが本当の勇気。毎日を生きていくってそんなに楽なことではありませんから、日常の小さなことでも楽しむ、それが一番大事じゃないかなと思います。
内藤 コロナ禍になってからは特に、明日はわからないというか、今を大切にしなきゃという気持ちが募りますね。私にとって大事な言葉は.期一会」。こうして語り合う日は二度とこないかもしれない。それをむなしいと思うのではなく、ありがたいなと思います。
中村 私の好きな言葉に「雨の日には雨の中を風の日には風の中を」があります。雨が降って嫌だなんて言わず、雨の日には雨と一緒に、風が吹いたら風と一緒に生きてゆく。
当たり前のことですが、この言葉を唱えると、どんな日でもまあいいか、と思えるんです。
内藤 愚痴ったり、不安がったりする時間はもったいない。今を楽しむことですね。