エッセイ

子どもをどう守り、どう伸ばすか

5月病は親もかかります。からっぽの巣症候群(エンプティ・ネスト・シンドローム)と英語ではいうようですが、案外必死で子育てをしている親にはその日への十分な用意が足りないかもしれません。正直申して我が家でもそうです。

 大学受験が終わり、合格が知らされるとバタバタと新生活の準備をし、あっという間に旅立っていきました。クラブ活動に忙しい男の子は家にはもどってきませんよ。からっぽの息子のへや。
「もう行っちゃったんだ、私たちの手をはなれて。」
思わずつぶやいたりします。これからは大人としてのつきあいへ変わっていくのでしょうが、夫も私もまだまださびしいです。ふり返ると親子で一丸となって動けるときは本当にわずかです。後悔のないように、たっぷり、どっぷり、子どもに向き合ってほしいと思います。そんな気持ちもこめて山梨日日新聞の「時標」の記事を書きました。
内藤いづみ
(以下、2007年5月12日の山梨日日新聞からの抜粋です)

 いろいろな音を聴くことのできた黄金週間でした。私の実践している在宅ホスピスケアの仕事は、いのちの最期まで大きな責任を持ちますので、日ごろからどこへ行っても精神的な自由は私にはなく、患者宅から呼ばれれば、突然家族を置き去りにして、往診に行ってしまうことをお互いに覚悟で出掛けます。
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 それでもこの連休には、近くに出掛けることができました。尾白川渓谷の奥深くへ分け入りました。「滑落注意!」の看板を横目で見ながら、尾根道を苦労して登り降りする間に、はるか足元の下から、低く響いてくる音の重なりを聴きました。大小の滝がコバルト色の滝つぼに落ち、大岩に当たり流れていく音。野鳥の鳴き声、林を通る風の音を聴きました。
 都会の人たちがうらやむ自然を抱える山梨県に住んでいながら、久しぶりに地球の音、香り、色に触れた気持ちがしました。昭和三十年代生まれの私たちは、自然は身近でしたし、朝、母親が支度している竃(かまど)のパチパチする火の音や、冬の練炭の温かさを覚えている最後の世代です。
 時代はその後一気に便利なものへ、スピーディーなことへと加速していったように思えます。わざわざ外へ行かなくても、今やゲーム機で森の中で遊ぶことも、花を育てることも、スポーツをすることだってできるのです。
 しかし自分で汗を流し、生の友人たちとかかわり、五感を使って自然に触れることは、幼い時こそ体験すべき大切な人間の成長のための栄養です。あまりにも、大人も子どもも本物の自然やいのち、大いなるものへ触れる機会が減っているこのごろを私は心配しています。
 何年か前、幼稚園児のふたりの姉妹が、お母さんがおばあちゃんの最期を家で看(み)取るのを傍らで見守りました。いいえ、明るい元気な天使のようなこのふたりの存在が、皆を助けたのでした。そして皆が一緒に力を合わせて、おばあちゃんのいのちに向かい合いました。おばあちゃんは、このふたりのはしゃぐ声で生きる力を取り戻した、と私に語っています。
 そうでした。こどもの日には、私も県立科学館に行き、多くの子どもたちのはしゃぐ声、歓声を聞きました。子どもたちの好奇心の大きさ。「知りたい、学びたい」という気持ちを大人はどう守り、どう伸ばしてあげればよいのでしょうか。少し考えてみました。

①十分な睡眠を取らせること(午後十時前就寝)
②朝食をきちんと食べさせる
③テレビゲームの時間制限(30分~1時間)
④一緒に体を動かす
⑤よく抱きしめてあげる
⑥小学校が終わるまで、毎晩寝る前に童話をひとつ読む

簡単で基本的すぎる」という感想が届くならば私は大安心です。
そして親たちへの注文をさらにいくつか。

(一)テレビを見る時間を減らす。食事中は消す。できれば居間にはテレビを置かない。

(二)自然に触れる機会をともに持つ
子育ての時期はあっという間に終わるのです。親と子が一緒にいられる限られたひとときを大切に。大人たちがまず自分の足元を見つめ直す必要に迫られています。