エッセイ

お盆

昨年より暑く感じる今年の夏。

クリニックの外来はお盆に1週間夏休みをいただく。職員たちには英気を養ってもらう。とはいえ、お盆なのでそれぞれ家庭のお勤めが忙しいと思う。

在宅ケアの責任者の私には、実は完全なお休みはない。
それは開業して、家での看取りを支援することを始めてからずっと同じ。
患者さんとご家族と、24時間繋がっている仕事。
必要があれば、出向く。その方の安らかな日々のために。
その責任の重さを抱えていく時、心身のバランスを取り、自分のケアをしなければ長くは続かないだろう。

幸い私は続けてこれた。
私の家族の支えと、良き仲間に恵まれたこと。
そして出会いを喜んでくれ、応援してくださる患者さんのおかげであると思う。
ご本人が旅たった後は、ご遺族が変わらず応援してくださる。私は幸運な医者なのだ。
甲府盆地
7月はかなり忙しかった。
講義も講演もあり、重症な患者さんの看取りでかなり疾走した。
8月は甲府は暑い。のんびりする、と決めていた。心身のリフレッシュ期間。
盆休みもあるし。
暴走したら倒れてしまう。
始め頃、8月のスケジュール帳はほぼ真っ白だった。
ワークホリックだと不安になるほど予定なし。7月は書ききれないほどびっしり埋まっていたのに。
変だなあ、本当にのんびりできるのかなあと思いつつ、迎えた8月。

数年、ご縁のある95歳の女性患者さんが、最近軽い肺炎になった。
2週間ほど前のこと。
これまで何度か危機を超えて復活しているから、今回も多分大丈夫だろうと思っていた。
しかし、静かに老衰のエンドステージの様子を見せてきた。
これまで、介護サービスを賢く使いながら介護してきた娘さんにも緊張が走った。

前のレベルに戻る回復はなさそうだった。
往診すると、時に私の顔がわかったり、娘さんたちに喋ったりしたが、医学的に命の最期の状況を呈したりした。
在宅ケアのチームの中で私が一番お家に近いので、私が緊急の一番の連絡を受け対応することにした。
この10日ほど、時に夜中、時に明け方、家族の連絡で駆けつけた。

血圧が60台で、命が終わりそうな血圧が、すぐに120に戻ったり、不整脈が落ち着いたり。
身内が駆けつけたりすると、その度に奇跡的の回復した。
みんな覚悟したり、ほっとしたりを繰り返し味わった。
川の近くに立っている、と告げる夜もあった。
二匹の鶴が空に舞っていると言う日もあった。
目が覚めていると、微笑むことも多かった。
「どうですか?苦しいところはないですか?」と問うと、「大丈夫。上々」と答える時もあった。
本人からは、延命治療お断り、と言う署名をいただいていた。
2週間前に鰻を食したのが、最後で、あとはお口からの水分だけだった。
それもだんだん量が減っていた。
自然のいのちの力で、旅立つのをみんなで支えようと確認した。

そして今日。お盆なので身内が集まっていた。
いつ呼ばれても大丈夫、という私もこの10日ほど24時間集中して神経を使っていたので、いささか疲れもたまっていた。
娘さんたちは交代しているとはいえ、ほぼ不眠不休で過ごしていた。
みんな、その疲れを物ともせず、息遣いに寄り添ってきた。
今朝、患者さんを往診すると血圧などは奇跡的に落ち着いていた。
微笑みを見せた。軽くうなづいたりした。
彼女につながる身内、老若男女が彼女を囲んで見つめていた。
その空気が澄んで、落ち着いていた。
ああ、大丈夫、と思った。私も含めてみんな落ち着いている。
もう、大丈夫。
これまで身内が近く付き合い、温かく関わってきたこの家族の力が自然に空気に
溶けていた。
本来はこのように、その人が生きたように逝けるはずなのだ。
しかし、現実は必ずしもそうではない。だからこそ、この方らしく生き切る姿がことさら尊く輝いて感じられてならなかった。
蓮の花
私もこのお盆は新盆。
身内に感謝し、逝った母を故郷で多いに悼む夏休み。

内藤いづみ