エッセイ

おじいちゃんの息を見つめる

この10日間はまるで夢のように過ぎた。

10日前まで在宅で見守っている患者さんたちは皆さん、小康状態で、末期癌の方も安定していて、私自身、その方が重症だということをつい忘れてしまう時があるほどだった。
そんな折、高齢の女性癌患者さんが急に二日間で、大往生なさったことはこのコラムでもお伝えした。
みんなに感謝して、家族をつなげて昇天した。9日の未明。
私はこの日のお昼過ぎから、東京の神楽坂で対談の仕事があった。
お相手は、看護師でもあり僧侶でもある妙憂さん。
緊急事態になったら、対談はキャンセルで、妙憂さん1人で頑張ってもらうしかない。
予約の聴衆の皆さまには申し訳ないが。
しかし、患者さんの未明の旅たちで、私は予定通り東京へ出発できることになった。

9日はクリニックは休診日。
東京へ出発の前にクリニックへ寄ると、近くの大病院からファックスが入っていた。
重症で前日にその大病院を受診した方のことだった。
その病院が彼の難病の治療を受け持っていた。
私のところへも、20年ほど慢性疾患で顔を見せていた人だった。
当然、入院だと思っていたら、急性腎不全でいのちの危険の説明を受けても、頑固に家に帰る!と主張して家族もそれを受け入れて戻ってきた、ということだった。
患者さんいわく、病院では死にたくない。病院には好きなものがない。家族!友人とも自由に会えない。趣味、競輪もできない。何より仕事に行けない、それは死ぬのと同じこと。

あとは、内藤先生、在宅でよしなにおねがいします、という内容の担当医からのファックスだった。
あまりに、簡単なファックスでの依頼だった。責任がズシンと両肩に乗った。
講演が終わり次第、往診に行くことを決めた。。幸い、お住まいは近所だった。

講演が終わり、甲府に急いで戻り往診した。
往診して、内心どきりとした。もうかなりいのちの終わりに近づいている。
口からほとんど何も受け付けない。尿は出ていない。言葉は出るが、元々の難病のせいもあり、聞き取りづらい。
家族は大病院から説明を受けていて、いのちの危険は覚悟している、と言った。
しかし、いのちの終わりに寄り添う現実は実際にはわからないように思えた。
何しろ初めてのことなのだから。

おじいちゃんが大好きな11才と17才の孫の女の子が心配そうにそばに付き添っている。
おじいちゃんは難病の影響、腎不全の影響で、呼吸が切迫。
手足の小さな痙攣もあり、家族がしっかり握っている。本人は目をつむらない。
そのまま永遠の眠りにつくのを恐れるかのように。目をしっかりあけていた。
実際、4日間、ほぼ眠らなかった。奥さんも家族も寝ずの付き添いだった。
このまま、家で良いのか、と本人に尋ねるとしっかりうなずいた。

往診に伺うと、家族も身内もご近所も友人もこの方が大好きだとすぐわかった。
次々と見舞いに来た。皆さん優しく声をかけた。
彼は世話好きだったらしい。みんなに頼りにされていた。
彼は個性的で、家族のこれまでの苦労を垣間見たが、家族はお父さんの良いところも欠点も全部受け入れて、愛していた。
幸せな人だなあと思った。
私の診療所に来る時は、少し短気で機嫌も悪く、怖い感じも受けた。
だから、在宅になって見えるかれの周りの絆の豊かさには驚いた。
段々にわかったのだが、この方は病院が大嫌い。私のクリニックだけが合格点。
彼にとっては、あの態度が最大の妥協点だったのだ。家に入って初めてその人の人生がわかる。
花の写真
看取りの現実に向かい合う家族を支えるのは簡単ではない。
今回は外部の訪問看護を依頼する余裕もなく、私が頑張る!と決めた。
一回、一回の呼吸を家族が見つめ続けた。
特に孫達が安心して寄り添えるために。あの孫達のピカピカ光る目が曇らないために彼が少しでも楽な状態になるよう知恵を
絞り、往診を重ねた。請われれば、何度でも、朝をこえ、夜を越え、雨の中、私も頑張れた。

彼には体力があって、最後の日々を重ねていった。
4日目に、今夜は越せないと思う、と私が伝えると、12才の孫が泣き伏した。
みんなも泣いた。
その中で彼の一生懸命な呼吸の音が聞こえた。
家族は泣くのをやめ、またその呼吸を見つめて寄り添った。

家にいると実は緊張ばかりではない。食事をして、交代で横にもなれる。
たまには思い出を語り合って笑ったりもする。
いのちは涙だけでできてはいないのだ。

彼はようやく目をつむり、最後の息に近くなって来た。
そして5日目の午前3時、息を引き取った。家族は大泣きはしなかった。
あんなに頑張った息づかいを聴き続け、誇らしい気持ちになったのかもしれない。
ほんとうによく頑張ったね、と。
私は死亡診断書は今世の卒業証書と思っている。
書き上げた診断書を2人の孫に手渡した。孫は5日間で成長したように思えた。

何とか看取りをお手伝いできて私もホッとして帰宅した。
外来診療の仕事までまだ二時間ある。
アドレナリンが出たのか、疲労を感じにくい。
私のクールダウンも必要。
部屋を暗くし、楽な姿勢で横になった。ランプをつけ、キャンドルを灯した。
明かりが優しい。バッハのチェロ無伴奏組曲を聴く。チェロの音は人の呼吸に一番近いともいう。
呼吸をスピラーレというらしい。スピリチャルという言葉とも関わりがあると聞いたことがある。
私も死ぬまでしっかり呼吸していく。
そしてゆっくりと眠りに落ち、仮眠した。