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食べることは「いのち」につながる

やまなし食べる通信2019年2月28日号より


その人の電話はいつも突然だ。2019年の新年早々、久々の再会、そして積もる話に花が咲き、やまなし食べる通信のインタビューをお願いした。山梨県内の方であればご存知の方も多いはず、今回は在宅ホスピス医の内藤いづみさんのお話です。

久々の再会
リード文でも書いたが、内藤いづみさんとは本当に久々の再会だった。私が以前、地元印刷所からの委託で制作していたフリーペーパーには、2回インタビューでご登場いただいたことがある。そのあと、「本を作りたい」という要望をいただき、『しあわせの13粒』という絵本を作った。
絵本の絵の部分を制作していただくイラストレーターのまつおかさわこさんに会うために、兵庫県尼崎市へ行った。のっけから珍道中さながらの旅で、「ホテルも旅券も全て私か予約するから!」という、どう考えても忙しい毎日を送っている方にそんなことまでお願いして大丈夫だろうかと心配したが、お言葉に甘えて全てをお願いした。すると宿は同室、トランプや美容パックを持ってきたので、夜は楽しいよーと言うのだ。女子高のノリに笑いが止まらなかったことを昨日のことのように思い出す。
内藤さんは内科医、専門は在宅ホスピスである。ホスピスとは主に末期がんの患者さんが安らかに旅立つための場所、患者さんやご家族が最期の時間を後悔のないように内藤さんは医師として医療を提供している。
最期の一瞬まで、その人らしく生きていくお手伝い、それが在宅ホスピス医。
私が一緒にお仕事をさせていただいていた頃も多忙だったが、その忙しさの原因は外来診療、往診以外の講演会、本の執筆にある。診療の合問をみては現在でも年間に100回以上は全国各地を講演会で飛び回る日々、これまでに本も15冊以上も出版していて、その中には永六輔さんとの共著もある。著書『がんばらない』で有名な医師の鎌田實さんが勤務していた長野県の病院へも内藤さんに連れられて会いに行ったこともあった。
今回の再会は5年ぶり、新しい本の出版のこと、内藤さんと双子の姉妹のような母富士丸さんの死についてお話を伺うことになった。

一卵性双生児のような母の死
2018年12月に地元新聞のお悔やみ欄に掲載されていた内藤富士丸さんの告別式のお知らせ、内藤さんの母親の富士丸さんが96歳で亡くなったことを告げていた。富士丸さんには12年前、お元気な時にインタビューをお願いしたことがあり、その気丈なお姿は今でも鮮明に覚えている。印象深く残っているのは、当時84歳だった富士丸さんのキリリとしたお姿、お話を伺う私も今より12歳若かったのでとても緊張をしていた。
当時のインタビュー記事を見返すと、そこには富士丸語録が沢山残されている。
「朝は大好きな化粧から1日が始まります。若い時からお化粧が大好きだったの。お化粧が上がると鏡の中の自分に話しかけるの。『富士丸さん、10歳若くなりましたよ、今日も元気でねってね。』化粧は誰かに見せるためのものではなく、自分の楽しみ」
「女性の顔は眉で決まります。化粧は世問に対してのつとめ」
など、女性の私たちが心に留めておかなければいけないいくつかの言葉が並んでいた。
富士丸さんは結婚9年目の自分の誕生日でもある6月6日に内藤さんを出産した。それから母娘は親子以外の絆を感じながら共に生きてきたという。

「私は母の希望を叶えるために、一生懸命勉強をして医師になりました。母はとても喜んでくれて、イギリスヘホスピスで勉強をしたいと言った時も快く送り出してくれました。私が母に背いたのは、イギリス人の夫との結婚だけ、母は私にどこかの病院の医師と結婚させたいと思っていたみたいで、よくお見合いの話も持ってきていました」。
これまで4千人以上のいのちによりそってきた内藤さんにとって、今回は医師、娘という両方の立場で富士丸さんのいのちによりそった。
「私は在宅ホスピスの専門医なので、患者さんを自宅で看取るサポートをしてきました。自分の母親が体調を崩した時、在宅での看取りを考えたのですが、母は弟夫婦と住んでいたため、弟夫婦の考えに従うことにしました」。

富士丸さんの最期は自宅ではなく、施設で家族に看取られながら亡くなった。内藤さんは時間があるときは施設へ会いに行き、「お母さん、よく頑張って生きて来たね」と声をかけたという。
私は施設にお願いし、娘として、同時に一人の医師として母を見守ることにしました。最期まで口から飲み物、食べ物をあげたかったので、点滴は断りました。亡くなる数日前になると食べ物を受け付けなくなり、弟たちは心配していました。ある夜、見舞いに行った時、大好きなお酒をティッシュで作ったこよりに浸し囗の中に垂らしてあげました。するとそれまでまったく食べ物を受け付けなかった母の喉がゴクリとなったのです。後から弟に叱られましたが、人間らしく逝かせてあげたいという私なりの親孝行だったと思っています」。

自分で選ぶ亡くなる場所
「母の死囚は老衰だと思っています。最後は水分も食べ物も囗に入れることなく、安らかに亡くなりました。本当に植物が枯れるように静かに息を引き取ったのです」と内藤さんは、富士丸さんの死を振り返ります。富士丸さんが亡くなった後、内藤さんは心のどこかにぽっかりと穴が空いたような気持ちになり、心ここにあらずといった状況だったという。
「母でもあり、姉妹でもあり、人生の師匠のようだった母。その人生は本当に見事だったと思います。これまで多くの方を看取ってきました。
そして、その都度、ご遺族に多くの言葉をかけてきましたが、今回、母の死を経験し、言葉で表せない悲しみは当分続くのだと思います」。

今年1月に発売した「死ぬときに後悔しない生き方」(総合法令出版)は、これまで寄り添ってきた患者さんとのエピソードが詰まっている。
まだ医師になりたての頃、大学病院にいた時代に出会った同世代の女性とのお話、山梨で診療所を開所してから出会った多くの患者さんの生き様、そして尊敬する富士丸さんのエピソードと内容は濃厚だ。

巻頭ページには、内藤さんが教鞭をとっている大学の学生が書いた自分の亡くなる場所についてのイラストが掲載されている。内藤さんがいつも言っているのは、「死ぬことを考えると生き方が変わる」ということ、また「ホスピスは希望を抱くためにあるもの」だということ。

「可能性が少しでもあるとしたら、出来る限り在宅介護をお勧めしたいです。今回、母を施設で看病して感じたのは、やっぱり在宅の方が最終的には家族が楽だということです。
病院や施設はやはり私たちにとっては特別な場所、介護する方も休めない、病院での寝泊まりは心も落ち着きません。自宅ならソファなどですぐに横になれる、家族で交代して看ることもできます」。

現代に生きる私たちは情報が溢れすぎた中で暮らしている。自分の亡くなる場所についても病院だけが全てではないということも知識としては知っている。
「在宅で亡くなることを選ぶことは、最期の瞬間まで自分らしく生きるための選択の一つだと思います。学生に描かせた自分自身が亡くなる場所のイメージでは、大好きな猫の隣、浜辺、家族に看取られながら自宅で賑やかにとさまざまな場面が描かれています。日本人はとかく死について考えることはマイナスだと考えがちですが、生きているからこそ、亡くなる日までのこと、亡くなる場所のこと、亡くなる最期のことを考えることがいまを生きることにつながります」。

医師として内藤さんが遺族へ最後に行うことは感謝の言葉を伝えること。「人のいのちの長さは人ぞれぞれですが、その入らしく旅立つお手伝いをさせていただき、最期亡くなった後は医師として、ご臨終の言葉を伝える儀式を行います。これは在宅ホスピス医になってから続けているものですが、ここまで頑張ってきたご本人、ご遺族に感謝の気持ちを込めて行います。長年連れ添った伴侶、子どもや孫たちがいて、人が亡くなるということを見届けます。本当に最後の最後に遺族の方に「これは卒業証書よ」と死亡診断書を渡すのです」。

最期まで一人の人間として
創刊号でインタビューをさせていただいた弘前イスキアのスタッフの方が佐藤初女さんの最期をこんな風にお話してくれた。
「初女先生は病院嫌いだったので、入院はせず、弘前イスキアで亡くなりました。私たちが仕事をしている音や話し声、笑い声が自然に聞こえてくるこの場所に居たかったのだと思います」。
初女さんはご自分の体調が悪かったのにも関わらず、スタッフの方には「ご飯を食べた?」と心配をして聞いてきたという。富士丸さんも内藤さんがお見舞いに行くと、食事はしているか、何か食べなさいと勧めてきた。
「自分は食欲がないのに、私のことを気遣い『ご飯は食べたのか?』『冷蔵庫にゼリーがあるから食べなさい』
とよく言っていました。何もないときは、自分が食べているお粥を私に食べろと言うので、仕方なしに食べたことがあります。母親というのはいくつになっても子どものことを心配する、特に食べることを。食べることはいのちを繋いでくれます」。
初女さんが悩める人におにぎりを作り与えたのは、まさにいのちを繋げてほしいという思いから、富士丸さんの思いは娘を気遣う母の思いだったのだろう。在宅で看取ることはいのちを学ぶことだと言う内藤さん。家の中には、子どもたちの笑い声や料理の匂いなどが溢れている。

そこには生命がみなぎっている。在宅介護をすることは日々の暮らしの中で家族に変化をもたらす。子どもや孫たちに「死」を伝えることは、彼らが「生きること」を考えるきっかけになるのだという。
内藤さんの本の中に、末期がんの患者さんと一緒に天ぷらそばを食べに行くというシーンが出てくる。病院にいたら許されないかもしれない出来事、内藤さんは患者さん一人ひとりに対し古くからの友人のように接し、最期までひとりの人間として
対等に会話をする、冗談も言う、がん患者だからといって同情はしない。
やり残しのない人生を送るために、最期までやりたいことをやる、後悔しない人生を送ってもらう、それが在宅ホスピス医・内藤いづみのやり方。

内藤さんの力強いお話を聞きながら、食べること、生きること、死にゆくことについて考えさせられたインタビューは、死のことを考えながらも笑いの絶えない時問だった

さて、皆さんに質問です。
亡くなるときはどこで亡くなりたいですか?
側には誰がいてほしいですか?