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データよりも感触を

2019年4月5日毎日新聞「滝野隆浩の掃苔記」より


新しいコラムのタイトルを考えていたとき、まず頭に浮かんだのは「あんぱい」とい単語だった。甲府市の在宅ホスピス医、内藤いづみさん(62)が大切にしている言葉。取材でこんな話を聞いた。
食道がんにかかり、前の病院で「余命1年以内」と宣告された男性患者にかかわった。
ある日、何かの手違いで、ケアの方針を決める会議に、本人が連れてこられてしまった。
厳しい話も出るので、本人はまず出ない。でも難聴で認知症だから、「まあ仕方ないか」となった。会議は1時間ほどで終了。眠っていた男性に声をかけると、男性はもごもごと口を動かす。そばにいた看護師が叫んだ。
「『あんべーよー、お願いします』って、おっしゃってます。」
会議の内容を理解していたとは思えない。でも、男性は「あんべーよー(あんぱいよく)」と皆に言ったのだ。その場にいた先生もケアマネさんも、仕事を辞めて父の介護を始めた長男も、驚き、泣いた。内藤先生は言う。「周囲の都合とかデータとか関係なし。在宅の現場では『あんばい』が大事なんです」。

文字数の関係もあって、結局、「あんぱい」案はボツに。代わって、タイトルは「掃苔記」に落ち着いた。
「墓石の苔(コケ)」を「掃除」するから転じて「墓参り」の意味で、ちゃんと広辞苑にも載っている。
作家の墓を巡る「掃苔録」という本もあるそうだが、この欄では墓のことにこだわらない。「手作業」のイメージをいただき、現場に足を運んだり気になる人に会ってみたりして感じたことを書いていく。「あんぱい」にも通じるのだけど、モノゴトに「接する」ことで、データからは見えない発見があると信じている。

いまの世の中、AI(人工知能)とかビッグデータとかが幅を利かせている。便利さは何ものにも代えがたいから。それにみんな、忙しいし。その大きなうねりに立ち向かうことはしない。ただ、きれいに整ったデータが指し示す「当たり前」をちょっとだけ、疑ってみようと思っている。手で触れて湿り気を感じ、ときにガリガリかきむしったりして、その下に隠れているものを見てみたい。
(社会部編集委員)