講演のお知らせ

開催報告 2011年1月22日 宝塚市

110201_02.jpg兵庫県宝塚市にて開催されたホスピス講演会、『生きづらさを抱えながらも生きる意味を考える』の開催報告です。
主催者である宝塚不登校の会「サポート」の石川さんがまとめてくださった参加者、スタッフの感想文でレポートいたします。


<参加者から>
末期癌の妻を看病している身にとって大変参考になりました。1年半まえに肺腺癌ステージ4の告知を受けました。現在転移性脳腫瘍のため昨年11月に全能照射を受けましたが小脳が癌の影響で全く寝たきりの状態です。
栄養、水分は全て輸液の点滴で、24時間シリンジポンプで塩酸モルヒネ、セレネース、生食を血管に注入しています。呼びかけると覚醒しますが話すことはできません。通常寝ています。一度は在宅での介護をやろうと寝室、トイレ、浴室を改造して病院から在宅へと試みましたが無理でした。
息子達と交代で毎日病院通いです。
残り少ない余命ですができるだけの看病に努めています。
(60代)
ほんまにほんまやと何度も膝を打ちました。美しく素敵なお話しで共感共鳴の嵐が心の深いところに届きました。
先生、素敵って、素のままで敵と戦うという意味があるとか。
帰り道にポカポカ気分になり教わった3つの言葉「生きたい」「学びたい」「仲間になりたい」をくりかえしました。夜になると夜になると3番目は何だっけになりました。
理系と文系まざった人間が人間を診てゆければしみじみと実感しています。
(70代女性)
バンドボーカル君の感想→最初は興味もないし、重たい内容で話の間は寝ていようと思っていた。
途中からぐ~っと話に引き込まれた。
『きれいに死ぬ』なんて今まで考えたことがなかった。
最後は泣くのをこらえるぐらい感動した。
(20代)
死について考えておかねばと思うことと、リラックスして生きることの大事さを教えられました。
(50代)
自分の生き方を振り返ってみるよい機会になりました。
命の大切さを考えました。
認知症の母とのつながりを父との関係も見直していきたいです。
今日のご縁に感謝です。
(40代)
実体験に裏打ちされたすばらしい、すがすがしいお話でした。
いづみ先生とのご縁をありがとうございました。(70代)
どう最後をむかえるかについて、ほとんど考えたことがなかったですが、まずは私の身近にいる家族、父、母に対してこれからやってくる死について、心残りのない送り方をしたいと改めて考えようと思いました。
(40代)
看取り、在宅ケアの生活が聞け、本当によかったです。
生きることについて考えさせられました。
(40代)
独立型ホスピス、在宅ホスピス、ホスピス棟でと身内を看取りました。
祖父母も含めて管だらけの最期にならなかった環境はよかったと今日あらためて思いました。
近隣で在宅ケアを積極的にしていらっしゃる医療従事者の方のお話を聞く機会もう少しあればと思います。
(50代)
昨年8月に肝臓がんで主人を亡くしました。
お話を聞いていて涙が止まりませんでした。
暖かさにふれた感じを受けました。
少し元気が出ました。
外にもでかけるようと思います。
(60代)
これから自分が看取られる立場のため、家族の関わり方を考えさせられました。
もっとお友達にも声をかければよかったです。
お話がわかりやすく時の経つのを忘れてしまいました。
(80代)
生きてるって素晴らしいと思える人生を過ごしたいですね。
誰かを支えている、そして誰かに支えられている、それが生きているってことなんですよね。
「そうです。そう、そう。そうよ。」って心から相手に伝えることが大切。
ありがとうございました。
(50代)
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<スタッフから>
写真やDVDで紹介されていた方々は、皆さん 穏やかな良いお顔をされていたのが印象的でした。最期を迎える時 『さようなら』『ありがとう』を言われれば 残された家族も『死』を受け入れられるのかもしれませんね!!
5年前に主人が 18歳と15歳の息子を残して亡くなりました。内藤先生からの忠告、『病気の説明をちゃんとしたか。看取りを十分させたか。亡くなった後のケアはしたか』自分の事で頭がいっぱで 何一つ出来ていませんでした。とても、ショックです。
ひきこもりの次男に対して、5年たった今から出来る事はあるのでしょうか?先生のお話を思い出しながら よく考えてみたいと思います。
(交流会で息子が15才でお父さんとの別れをしていないことを話した方)
内藤いづみさんのお話のなかで印象に残っているのは、大根を採りたいと自宅療養するお酒好きのおじいさんの話です。またお話の中で、医療には上からと横からと下からの医療があるとおっしゃっていました。在宅ホスピスや内藤さんのいう下からの医療はなんというか患者と医者の二人三脚で、医療といか(言い方があれなのだけれど)お手伝いみたいだというイメージを受けました。在宅ホスピスを受け自宅で亡くなったおじいさんのエピソードも、死というなかで悲しみだけでなく、なにか満たされるものがあったと感じました。人間、自分らしく生きていけたら満たされるのかなと、おじいさんの話をきいて思いました。いま自分らしく生きることが難しい人もいるなか、あのおじいさんとその周囲の人たちとの関係はとても素敵だなと思います。
(上記の方の息子さん)
内藤いづみさんのお話は在宅ホスピス医としてより、母として人に接することにとても共感しました。ほんと出会えてよかったです。
(鈴木もも子様 60代)
ターミナルケアという大変なお仕事に取り組む中での体験で得た命について、笑いあり、涙あり、ユーモアをまじえながら語ってくれたことは、とても感動いたしました。
なかでも、スクリーンでは、余命わずかと思われたおじいさんが大根を収穫され、先生に届けられた姿、危篤状態の中、大好きだったワインで口をぬぐってもらって息を吹き返したおじいさんの姿など、一人一人の生きざまを垣間見、勇気を与えていただきました。
生きざまが死にざまといわれますが、私もあらためて自分自身の生き方を見つめなおすきっかけとなりました。現在不登校の会サポートで活動をしておりますが、いろんな方との不思議なご縁で先生と出会うことができました。あたりまえのことなんて一つもない、人は出会うべく時に出会う人がいるんですよね。
そのご縁に感謝し大切にしながら、また新しいつながりを求めて活動していきたいと思います。
先生、出会ってくれてありがとうございました。
先生の著書を読んで、ますますファンになりました。
お忙しいとは思いますが、またぜひ講演に来てください!
まだまだ寒い日が続きますが、お風邪などめされないようにお身体に気をつけてください。
家の庭のミモザの木に黄色の蕾が,もうすぐ春ですね……と告げてます
(司会:西川富士美様 40代)
涙あり笑いありの素敵なお話をありがとうございました。
大根の種をまいて、収穫された方の顔が、今も思い浮かびます。
先生の話を聞きながら、癌で亡くなった母の事を思い出しました。
家族は病院の方が安心だからと思い、ずっと入院してましたが、本人は、絶対に家に帰りたかったと思います。
その反面、介護関係の仕事をしている私は、在宅の大変さも、わかるし…色々な事を考える機会を与えて頂いたように思います。ありがとうございました。
(40代)
短い内容になりますが、現代の医療で本人も介護者も納得できる最期を迎えられる人がどれだけ存在するのか‥つくづく考えさせられました。
8年前に亡くなった父親。現在誤燕性肺炎を防ぐため去年から胃ろうをしている義父。
結局病院や介護事業者の側に立った看取りなのです。
内藤先生のようなお医者さんがもっと身近に増えてくださるようにと思います。
(50代)
不登校の親にしても 家族の介護にしても やっぱり当人の気持ち・思いに寄り添う事や、ひとりひとりが(当人も)現状をありのまま認め 自分と向き合う事が 大切なんだなという事を改めて強く思いました。
しかしだからといって 当人も回りも深刻になりすぎても しんどいし なんか そういう状態を少しでも楽しめる(?)ぐらいの大きな心になれたら…心に余裕を持てたら いいなぁと思う今日このごろです~
(50代)
内藤先生のお話しをお聞きし、はじめて地域医療活動本当の姿がみえた気がしました。
昔は在宅看護が普通、死は自宅でむかえるものと思っていました。
私の祖父母もそうでした。が最近は病院で旅立つのがあたりまえの風潮になっています。
でもそれには嫁という大きな犠牲があったからだと考えられます。
正しい在宅ホスピスとは家族、子ども達、ご近所のネットワークつくりのうえでささえあわなくてはいけないと思いました。
 医療だけでない先生の前向きの誠意のある生き方に感銘を受けました。
ボランティアとして色んなことに関わっている私のこれからの目標にさせて下さい。
優しく、柔軟に無理なくこの1年かかわっていきます。
お忙しなか私たちのために宝塚にお越し下さり、お昼、ご飯歓談の時間もとっていただきありがとうございました。
中村さんにもお世話になりありがとうございました。
(60代)
母を納得のいく見送りができなかったことから、父には自分なりの見送りをしたいと思いました。
(50代)