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凛として生きる 来し方の語らい

110117_01.jpgJuntos Vol.57 書評 武田和典が旅先で心をふるわせたこの一冊より抜粋。
 人の出会いとは、なんて素敵でありがたいことか、と思い知らされる日々が重なる年頃を迎えました。一つでもお相手にお返しができるようにと思っているのですが、なかなか…人生の振り返りを強く感じています。そんななか、一冊の本が届きました。


人生を振り返る
 それは、全国各地での講演・執筆活動を週して「在宅ホスピスケア」を伝えている、日本ホスピス・在宅ケア研究会理事、内藤いづみさん(ふじ内科クリニック院長)のお母様が自費出版された本でした。内藤さんとは岡山県で講演をお願いしたのが縁で、甲府市をお訪ねした際に、お母様の米寿のお祝いの食事会をともにさせていただき、お話の続きとしてわざわざ本書をお送りくださったのです。
 衝撃は、本誕生のいきさつです。「誰に読んでもらわなくてもいい。私の年老いた姿しか知らない6人の孫たちに読ませたくて書くの」という固い決意から生まれたのです。身内の戸惑いを通り越して、「母はさすがだなぁ」という思いで胸がいっぱい、といういづみさん。そして、最初こそ「みっともないからやめてほしい」と思っていた長男も、自分の息子たちが大きくなったら、「私もおまえたちも、こんなに大勢の皆さんに支えられて今があるんだ、と語って聞かせたい」と思い直すなど、周囲の戸惑いが感激に変わっていったエピソードが、より本書の世界に引き込ませます。
人生の誇りと、支え
 「自分の一生を書き残しておこうと思うとき、どうしても母のことを書かねばならない」
との語りで、幼い日の母の働きぶりが綴られます。著者の父は野心家として登場し、田舎から出て食堂を始めたことや、「この子は富士山に登って日の丸を立てるような大物になるぞ」と、とんでもない名前「富士丸」を娘につけたことなど、生来の気性を伝える話に驚かされますが、大の酒豪家で身体を壊し天上。
 食堂を譲り、昼は工場に通って、夜は仕立物と働きづめの母親は、一晩で着物一枚を縫い上げたこともあるなど、女手一つで生計をたて、娘にはそろばん・書道などを習わせ、さらに女学校、女子師範に入学させるなどの、戦前の話に驚かされます。
 著者の新任教師時代の7年間の情熱・恋・失恋。学徒動員、そして忘れられぬ甲府空襲の航空隊長との哀しい思い出。戦後の組合活動。赤旗の波の中22歳で婦人部長として演
説したこと。ご主人となる義太郎さんとの不思議な運命のめぐり合わせなど、「我が青春に悔いなし」という人生の華、そして誇りが、行間から飛び出します、著者が何を支えに生き、何を誇りに生きてきたのかが、伝わってきます。
受け継いだ大切な宝物
 感動したことの一つは、娘のいづみさんが前書きに綴った思い。「この自分史を読むまで知らなかった、輝くような母の青春。教え子の皆様や、お店を支えていただいた大勢の方々、友人や親類の皆さまのこと。何より、父のこと。きっと母はこの自分史で、自分のこと以上に、ともに過した皆さま方のことを語りたかったのかもしれません」。そして、「人の生き姿が何を伝えるのか、考え続けること、あきらめないこと、実践すること、伝えること。これらは父と母から受け継いだ大切な宝物の一つであり、心から感謝しています」との結びに、親から子へ大切なものが伝承されていることを感じました。この本が、自費出版で3版を重ねていることも納得です。
 果たして自分は何を伝えたいのか、何を残すのか…大学時代の卒論が自分史であったこ
とを思い出しました。本を閉じた瞬間、富士丸さんから「本当の卒論を書くように」との宿題を出された思いがしてなりません。