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「メメント・モリ」 死を想え、そして今を深く生きる秘訣

100407_29.jpg(ユーキャンやすらぎ通信2010年春号より抜粋)内藤いづみ先生は、在宅ホスピス医として活躍する一方、日本におけるホスピスの草分けのひとりとして積極的に啓蒙活動を続けています。多くの患者さんを看取ってきた内藤先生に、最期まで自分らしく生きた人々のいのちの輝きについてお話いただきました。本講和は、東京で行われた講和会の抄録です。


変わり者の医者
 まず簡単な自己紹介をさせていただくと、私は「変わり者の医者」です。なぜ変わり者かというと、私は病院にいるとどうも落ち着かず、納得した気持ちでいられないのです。
 私はまだ駆け出しの医者だったころ、最新の設備があり、優秀な医師や看護師がいる大病院で働いていました。しかし当時、その病院ではがんの告知がされておらず、患者さんはみんな孤独で「これからどうなるんだろう」という不安を抱えながら過ごしていました。そんな患者さんを目の当たりにして、私は医師であるにもかかわらず患者さんやご家族の心情に近寄り、「なぜ末期がんの患者さんは、孤独のまま放っておかれるのだろう」「どうしてあの医者はあんなにいばっているのだろう」「看護師なのに、なぜそんなに冷たいの~」などいろいろな疑問を感じていました。そして、病院の外に出るとほっとするのです。変わった医者でしょう?
 現在は在宅ホスピス医として、白衣を脱いで普段着で患者さんのお宅を訪問し、末期がんの方や老衰の方が人生の最期をご自宅で過ごせるように、看護師さんたちに協力してもらいながら二十四時間態勢でケアしています。
人生は勝ち負けではない
 私がまだ新米医師で大病院に勤めていたころ、作家の遠藤周作先生が「心あたたかな病院運動」をされていることを知りました。先生はご自身が闘病生活を送る中で、医療の現場に患者の心を無視する傾向があることを感じられていたそうです。そこで、医師や看護師が患者さんの視点に立ち、患者さんの心に寄り添う、あたたかな医療の実現を目指して、活動されていました。しかし医療関係者からは、「素人が口出しするな」と冷ややかに見られていたそうです。
 私は先生の考え方に大変感動して手紙を書きました。すると、「ぼくの運動にまともに反応してくれたお医者さんは、あなたが初めてだ」と返事をくださったのです。それがきっかけで先生と知り合い、その後先生は私の人生の師匠として、さまざまなことを教えてくださいました。
 先生は随筆集『かなり、うまく、生きた』の中で次のように述べています。
 「病気はたしかに生活上の挫折であり失敗である。しかしそれは必ずしも人生上の挫折とは言えないのだ。なぜなら生活と人生は次元がちがうからである。病気という生活上の挫折を三年ちかくたっぷり噛みしめたおかげで、私は人生や死や人間の苦しみと正面からぶつかることができた」
 先生は病気という生活上の挫折を味わったことで、人間や人生を見る目が変わり、それが『沈黙』をはじめとする名作の執筆につながったそうです。
 私が遠藤先生から学んだことで一番印象に残っているのは「人生は勝ち負けでは決まらない」ということです。今は勝つことばかりに執着し、「どうすれば勝ち組になれるか」について書かれた本が売れる世の中です。しかし人生は勝ち負けではなく、どんな人生にもかけがえのない価値があるということを先生から教わりました。それは私がいろいろな患者さんの人生と向き合っていくうえでの、大きな力になっています。
100407_28.jpg身のまわりの幸せに気づく
 私はこれまで多くの患者さんと関わってきました。その中で何よりも心掛けてきたのは「がんの痛みを取り除く」ことです。
 皆さんの中には「親戚や知人ががんになって、『痛い痛い』と苦しみながら死んでいった」という経験をもつ方もいるかもしれません。でも、それは過去の遺産として忘れてください。現在ではがんによる体の痛みは、モルヒネなどの鎮痛薬によってかなり緩和できます。
 私たちは体に痛みがあると、ほかのことに手がつかなくなってしまいます。薬で痛みがとれて、体が楽になってこそ、初めて身のまわりの幸せに気づくこともできる。愛する伴侶、家族、友人と向き合って、大切な時間を過ごすことができる。だから、まず、痛みを緩和することが必要なんです。
 そしてもう一つ、皆さんに知っておいていただきたいことがあります。もし、がんになっても最期まで家で過ごしたいとお思いなら、人の縁を大切にしてください。家族や親戚だけに頼るのではなく、たとえば、まわりから「あなたの息子さん?」と間違われるくらい親切なケアマネージャーやヘルパーさんを見つけるというのも一つの方法です。あるいは、隣近所の人、友人などの縁をつないでおくのもいい。今からそういうことを心掛けておくことが、最期まで賢く生き切るための秘訣の一つです。
「うまい天ぷらが食べたい」
 ではここで、私がこれまでに出会った患者さんたちの印象的なエピソードをご紹介したいと思います。がんになっても自分らしく生きられる道があることを、皆さんにも知っていただきたいのです。
 ある男性の患者さんがおられました。末期のすい臓がんでしたが、奥さまが献身的に看病して、何ケ月かを平和に家で過ごされました。だんだん病状が深刻になってきたころ、往診に伺うと「うまい天ぷらが食べたい」とおっしゃるのです。
でも、天ぷらのような油っこいものはよくありません。だから、往診のたびに彼が「先生、天ぷらはだめですよねぇ」と言っても「そうねぇ、天ぷらはちょっとねぇ」と答えていたのです。でも、何度もうまい天ぷらが食べたい」とおっしゃるので、私は考えました。「この方が人生の最期に食べたいのは天ぷらなんだ。それをかなえるのがホスピス医の仕事かもしれない。だけど、普通の天ぷらじゃだめだ。天才が揚げた天ぷらを食べていただきたい」。
 清里高原のお蕎麦屋さんに白羽の矢を立てて、電話をしました。「人生最期の天ぷらなの。しつかり揚げてね」。早速、車でお店に向かうと、まず、野辺山の初採りのアスパラガスを揚げてくれました。とても立派なアスパラだから、細かく切って食べてもらおうとナイフを用意しているうちに、本人がパクパクッと食べてしまいました。「うまい!」。すべて食べ終え、満腹になった彼は畳の上にごろんと横になって眠ってしまったのです。
 偶然、そのお蕎麦屋さんに、シスターがお料理の修業にきていました。そのシスターは私たちの様子を察して「皆さま、大切な時間を過ごしていらっしやるのですね。祈りを捧げてもよろしいですか」と声を掛けてくれました。そして、眠っている彼を取り囲み、ご家族と一緒に手をつないで祈りを捧げました。八ヶ岳のふもとの蕎麦屋さんの畳の上が、そのときだけ小さなホスピスになりました。たとえ立派な設備がなくても、「この人のために祈る」という気持ちがあれば、そこはホスピスになるのです。
 それから二週間後、彼は自宅でやすらかに亡くなりました。その間、奥さまに何度も「あれは生涯で最高の天ぷらだった」と話していたそうです。
最期まで自分らしく
 チューリップの花を孫やひ孫に見せたいと、球根を植えていた八十代の患者さんもいらっしやいます。「先生、花が咲くころ、おれはいないよね」とおっしゃっていました。けれども孫たちを喜ばせようと、最期まで一生懸命水撒きをしたのです。
 また、重病だったにもかかわらず、「家で孫と過ごしたい」と病院を逃げ出してしまった患者さんのことも思い出します。
この方は、天使のように愛らしいお孫さんたちに囲まれて、やすらかなお顔でお亡くなりになりました。
 それから、家で好きなジャズを聴いたり、マージャンをしながら過ごしたいと望んだ患者さんもいらっしゃいました。
この男性は「競馬もしたい」といろいろわがままです。「土日は往診しないで」と言われて、初めは理由がわからなかったのですが、土日は競馬のレースがあるので忙しいというのです。今では在宅でも競馬ができますよね。そんなふうにして、この方は望みを全部かなえました。
 もう一人、肺がんの患者さんの話をしましょう。五十六歳の男性です。いろいろな治療を試みましたが、病状は進行し、それでも「妻のために」と一生懸命に生きていました。「でもね、先生。おれ、二つだけやめられないんだ」「何?」「パチンコとたばこ」。
 私は厳しい医者ですけれど、ときにはすごく甘い医者になります。たばこはもちろん体に悪いけれど、いのちの質、いのちの深さを考えて、少しだけ許可しました。その方は大工さんでした。最期まで仕事をしたいとがんばって、くわえたばこをしながら釘を打っていました。そんな生き方のなんとすばらしいことか。
 もちろん、病気を治すためにいろいろなことを我慢して、ストイック(禁欲的)に生きるというのも一つの生き方です。でも、今ご紹介した方々のように、最期まで好きなことをして、自分らしく生きる人生もあるのです。
いのちは希望
 さて、今回の題名にある「メメント・モリ」とは「死を想え」という意味です。
ヨーロッパの教会などには骸骨など死をイメージするものが飾られています。それらは「おまえたちもいつかは死ぬんだよ」ということを常に思い出させるためのシンボルなのだそうです。
 私たちは、人間がいつかは死ななければならないことを知っています。でも同時に、死を見ないようにしている。とくに現代の日本社会では、戦争を体験した世代であっても、豊かで平和な時代を長く過ごしたせいか、死を身近に感じる意識は薄いように思います。そんな中にあって、末期がんの告知を受けた患者さんたちこそ、「メメント・モリ」を自覚した方々ではないでしょうか。死と向き合ったうえで、今を一生懸命に笑顔で生きる。
そんな患者さんたちに出会えて、私は幸せだと思います。
 よく「先生、ホスピスでは患者さんがみんな天国へ行ってしまうんでしょ。寂しくないですか」と質問を受けます。でも、今日、ご紹介したように、これまで出会った患者さんやそのご家族と一緒に、私は皆さんにいのちのメッセージを伝えることができます。そんなふうにご縁がつながり、いのちがつながっていくという喜びが私を支えてくれる。私がこうして働けるのは、亡くなられた人たちお一人おひとりが「いのちは希望だ」と信じさせてくれたおかげです。
 いのちはつながっていく希望です。私はこれからもそのことを伝えていきたい。そして、ひとりでも多くの人に「いのちは希望なんだ」と感じていただきながら、しっかりとした足取りで人生を歩んでもらいたいと願っています。