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医療という仕事をもつこと―知識・心・技術でケアする

看護学生2008年2月号「特集・いのちの終わりに寄り添う」より

 正直に告白してしまうと、幼い頃から私は怖がりでした。幼い頃住んだ田舎の古い家の回廊式廊下の奥にあるトイレに行くことなどは、幼心にトラウマになるほど怖いことでした。お化け屋敷も肝だめしも、今も苦手です。オカルト映画などはポスターを見るのも嫌です。とても弱虫です。そんな私が「死」という、人間にとって最大の恐怖を抱える患者さんにいつも身近に寄り添う仕事一在宅ホスピスケアをこうして20年近くすることになるとは……。実はこれは、私にとってのライフレツスン(人生の課題)を学ぶ旅だったのかもしれません。まだ完全ではありませんが、私自身の死生観を得るための旅と言ってもいいかもしれません。幼い頃から「いのち」とは何か、「生と死」とは何か、知りたかったのです。
 どんな医療の専門分野の職につこうとも、病み、苦しむ人間に向かい合い、その人生を助ける仕事である以上、医療者が自分なりの死生観をもつことは、自分と相手にとってとても大切です。
 死生観-それはいのちの誕生から最期までの生きる姿勢。産声を上げてから、息を引き取るまでの人生を支える力のこと。

底なしの孤独

 幼い頃から文学少女だった私は、大学の医学部に入ってもほかのクラスメートより多感な感受性をもった医学生だったかもしれません。医学生の頃のことで、今でも思い出す光景があります。それは外科病棟でのことでした。
 個室に入院していた初老の女性は食道がん末期の状態でした。手術や抗がん剤も効果がなく、ただ点滴につながれて寝ているだけでした。
 「告知されていません。決して病名の話はしないように!」
 それが主治医からの厳命でした。年若く初心なインターンたちはそれだけでドキドキしました。
 ドアを開けたとたん、私はその病室の壁の白さ、それにも増して部屋の静寂に足がすくんでしまいました。その方は、殺風景な窓辺を表情もなく眺めていました。
私は恐る恐るベッドサイドに近づき、ひざまずきました。彼女がやっと私のほうへ顔を向けてくれました。生気のない顔。そのやせ細った腕にそっと触れました。
 「どこか苦しいところはありませんか?」
 それが何かの合図でもあったかのように、彼女は私の顔をじっと見つめたまま、突然さめざめと泣き始めました。私はその事態になす術もなく立ち尽くしました。彼女は一向に泣きやむ様子がありません。
 私は自分が何をしたのかよくわかりませんでした。この患者さんを困らせてしまったのだと思い狼狽しました。語りかける言葉も見つかりません。
ようやく泣きやむと、彼女はやっと人間の顔を取り戻したかのようにかすかに微笑み、一言□にしてくれました。
 「ありがとう」
 私は、何も感謝されるようなことはしていないのにと思いました。私があの病室のドアを開けたとき、あそこにあったのは救いようのない底なしの孤独だったのかもしれません。

死は敗北なのか
 卒業後、私は研修医として東京の病院に勤めるようになりました。大きな病院でしたし、名が知られていることもあり、多くの患者さんが最高の治療を求めて集まってきていました。治療によって治る患者さんのかたわらには、がんが再発して入退院を繰り返しながら、やがて亡くなっていく患者さんがいました。
 私が研修医として勤めていた20年ほど前は、がんの告知は「死の告知」と同じ意味をもっていました。たいていの場合、患者さんを恐怖に陥れることを心配し、家族も私たち医療者も患者さんに病名を知らせることはせず、沈黙を守りとおしました。最期まで本当のコミュニケーション、本当の問いかけができないまま患者さんを見送るしかなかっなのです。それは、私の心に大きな虚しさを残しました。
 どんなに豪華な個室に入っていても、患者さんは孤独でした。そして医療者はその孤独に手を差し伸べることができなかったのです。現代医療においては、死は敗北なのか―患者さんと共に泣くことすら許されない空気のなかで、私はふと目にしたある記事に心を打たれました。
 その記事には、13歳になるというアメリカの白血病の少年からの投稿が載っていました。

医療者のみなさんへ
 ぼくたちは「どうして死ぬの?」とか「死んだらどこへ行くの?」とか、山ほどの質問をするかもしれません。しかし本当は答えなんかいらないのです。ですから、ぼくから逃げないでください。ちょっと待ってほしいのです。ぼくが心から望み願っているのは、だれかそばにいてぼくの手を握ってくれる人なのです。ぼくは一人では恐ろしいのです。
 死なんて、あなたたちにとっては日常見慣れていることかもしれません。でも僕には、初めてのことだしまったく新しいことなのです。あなたたちにとって死なんて別段珍しいことではないかもしれません。でもぼくはまだ死んだ経験がないのです。あなたたちは廊下で小声で、ぼくのように若くして死ぬのはかわいそうだとか何とか話しているようですが、でも、人が死ぬっていうとき、若いとか年寄りとか重要でしょうか?
ぼくはもっとあなたたちと話したいと思います。そして、そうすることがそれほどあなたたちの時間をとることではないとおもうのだけれど・・・。
それに、あなたたちはかなりの時間病院にいるのですし。ただぼくは、あなたたちともっと正直に素直な気持ちでお互いの気持ちを話したい。心からの友達になってほしいのです。
もし、あなたたちがぼくのことを本当にケアするとしたら、あるいは、あなたたちが人間対人間として、ぼくとともに涙するようなことがあれば、あなたたちは医者や看護婦としての専門性を失うことになるのでしょうか?もし仮にあなたたちが、ぼくの手を握ってくれてともに涙を流してくれたら、友人や家族に囲まれて病院で死ぬことも、それほど困難でつらいことではなくなると思うのです。

清々しい悲しみ

 もう一人、忘れられない患者さんのことを話したいと思います。私が27歳の頃、病院で24歳の末期がんの女性と出会いました。私は、「何がしたいの?」「何が一番大切なの?」と問いかけました。すると彼女は、「家に帰りたい」と答えました。
 そのときの私には、教わる先輩も、見本となる人も、協力してくれる医療者も見当たりませんでした。しかし、私は彼女を家に帰し、彼女が家で過ごすのを手伝いました。「娘の望みが、私たちの望み」と話し、支えたご両親のお気持ちは本当に立派でした。
 医者が白衣を脱ぎ、一人の人間として患者さんの家に入っていく―それは、家で過ごす病人を支えるためには、病気に対する治療だけでなく、家族も含めたその人の人生に全面的に向かい合うことなのだと教えてもらった3か月間でした。彼女はお母さんの腕に抱かれて、家族に囲まれて育った家で安らかに昇天しました。
 ほかに代わってくれる人もなく24時間体制で彼女の様子をみる日々に、若かった私もさすがにへとへとになりました。しかし、彼女を見送った後、そこに敗北感はありませんでした。清々しい悲しみ、と言ったらいいでしょうか。そんな思いが胸にわいていました。「ゴールとしての死」を見つめる日々ではなく、「輝ける彼女の一日一日の生」を確かに支えたのだという充実感が残ったのです。
振り返ってみると、そのときの私の心はこのような思いで占められていました。
・真実を共有していのちに向かい合えた。
・患者の人生を支えることができた。
・本人や家族との信頼関係のもと、コミュニケーションがもてた。
・大変だけれど、やり甲斐があった。
 もちろん、課題も残りました。その一つは、仲間(チーム)がほしいということでした。絶え間なく一人で患者さんをみていくのには限界があると感じていました。

ホスピス運動に触れて
 人の最期について、医療者として様々な思いを抱きながらも、その後結婚した私はイギリスに数年間暮らすことになりました。しかしそこで、1980年代後半のホスピス運動にじかに触れるという幸運に恵まれたのです。それは、「目からウロコ!」という言葉どおりの体験でした。
 日本でみていた進行がんの患者さんは、病院に閉じ込められていました。ところが、イギリスでホスピスにかかわる患者さんのほとんどは、家にいて、がんの痛みはモルヒネなどで緩和されていました。在宅ケアの場で、スペシャリストナースとホスピスのチームが活躍していたのも印象的でした。ロンドンのセント・クリストファー・ホスピスには、世界中の末期がん患者の苦しみを緩和することに貢献し、「現代ホスピスの母」ともよばれる故シシリー・ソンダース女医がいて、多くの看護師たちに勇気を与えてくれていました。
 彼女の教えの一部を皆さんにも伝えたいと思います。
 ホスピスとは、建物ではありません。苦しむがん患者さんを、一人の人間として尊重し、家族とともに助けるチーム活動です。それは、トータルペイン(体・心・社会・魂)への対応です。

3つのH
 その後、日本に帰ってきた私は、緩和ケアを中心にしたクリニックを開き、15年以上一心にホスピスケアの啓蒙と実践を続けています。
 体の痛みを緩和するためには、鎮痛薬などの使い方の知識が必要です。そして、苦しむ患者さんのそばに寄り添い、「今、何が大事ですか?」と聞く勇気と、温かい心も必要です。また、技術者として看護の力(技術)も優れていなくては患者さんは救われません。それを、私は「3つのH」とよんでいます。
・Head 知識
・Heart 心
・hand 技術
 これをバランスよく身につけたとき、皆さんは患者さんに寄り添えるすばらしい看護師になれるのです。
 私は、今や死は敗北とは思えなくなりました。
  「何故生まれてきたのか」という問いにはそれぞれ答えがあると思います。またそれを探すのが人生の一つの意味かもしれません。
 人生の最期に、望んで家族や友人たちに「ありがとう」「さようなら」と言えたとき、またそれが言える環境づくりを私たちが手助けできたとき、限りある生を生きる平等な人間として深い学びを得て、私たちも人生を一歩前進できるのではないかと思うのです。


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