ホスピス記事

忘れられない手紙

ハルメク3月号「私を支えてくれた、読むと元気が出る『忘れられない手紙』」より

ハルメク3月号表紙

「手紙でつながったご縁は、私の人生の宝物。命と向き合う日々、もらった言葉の数々が、背中を押してくれています」医師・内藤いづみさん(68歳)

医師・内藤いづみさんの山梨の診療所には手紙がぎっしり詰まった棚があります。取材の日も在宅診療に
向かい、戻ったばかりの内藤さんが、手紙の数々を見せてくださいました。

 まず、見せてくださったのは、当時小学校高学年だった男の子からの手紙。「私の患者さんのおばあちゃんがご自宅で亡くなるとき、孫のこの子は、学校を早退して一緒に看取りました。
私が死亡診断書を書いたとき、『あなたも幼稚園の卒園式を経験しているよね。おばあちゃんは今日、この人生を卒業しました。ご本人もあなたのお母さんもがんばって、私たちもお手伝いをして別の世界に出発しました。これは人生の卒業証書です』と渡したんです。そうしたら、その子が納得してくれたんですね。

私たちがじゃあ、さよならねと家を出たら、その子が走って車を追いかけてきたんです」と言います。その子は、「内藤先生、次はいつ会えるの?」と言い、「じゃあ、会える機会をつくろうね」と約束。
手紙のやりとりも始まりました。「私のことを尊敬してくれるようになったのか、私を“師匠”、自分のことを“弟子”と書いてきて。笑ってしまいましたが、ものすごくうれしかったですね。
私は医師だからと権威をふりかざすようなあり方は好きではなくて、在宅診療に行くときは作業しやすいよう普段着ですし、人間同士の付き合いをしたいと思っています。そういう姿を純粋な気持ちで受け止めてくれたのかな、と思うと励みになります」

 もともと子どもの頃から作文少女で、“筆まめ症”だという内藤さん。
読み返すたび、応援されている気持ちにこれまでの人生で、“手紙”でつながったご縁は数知れず。中でも、放送作家の故・永六輔さんとは、互いの住所を暗記するほど膨大な手紙の交流がありました。

「永さんは、在宅で最期を看取るという私の活動をいつも応援してくれました。永さんがパーキンソン病を患った後は長い手紙ではなく、はがきで短い言葉を書いてくださるようになって。
『多少の無茶はしても無理をしないように』とかパッと心に響く言葉ばかりで、読み返すたび応援されている気持ちになります。
“手紙なくして私の人生はなし”。私も誰かの心を明るくするような手紙を書き続けたいと思います」