エッセイ

かき氷


「そろそろ、私が家に伺いましょうか?」
と切り出したのが、約1ヶ月前のこと。
Yさんは、本人も家族もとても穏やかで控え目な方々で、もう9ヶ月近く私の外来へ通って来て親しくなっているのにも関わらず、
「ぜひ、在宅ケアをお願いします!」
とはっきりと強い意志表示で、私に迫ってはこなかった。
ただ、ホスピスケアの専門家の私から見て、Yさんの病気の進行と体力は、外来へ通って来る限界に近づいていた。
「出来れば家に居たいです。病気になったことは仕方がないと思っています。往生しています。何処か旅に出るような気持ちです。」
84歳のYさんの言葉は、静かな決意を私たちに伝えていた。
「先生、遠いけれど大丈夫ですか?」
「Yさんの町は、私のふるさとへ行く途中なので、道に慣れているから大丈夫。
Yさんのご家族をずっと外来で見てきましたけれど、きっと在宅ケが出来ると思いますよ。」
地元の訪問看護師さんたちも一生懸命関わってくれて、在宅ケアが始まった。
「苦しくないですか?大丈夫ですか?」
と電話すると、
「はい、何とか。」
と答えるYさんの声の裏で、小学生の孫の弾くピアノが響いていた。
猛暑が続いて、往診車の外は暑さでゆらゆらと陽炎が立った。県道を甲府から南下していく。
笛吹川を渡る桃源橋は、この10年で整備され広くなった。橋から見える八ヶ岳は裾野広く雄大で、私の好きな景色のひとつだ。
お盆になり、Yさんの家族も休みになった。孫たちも次々と会いに来た。
「先生、近所の氷屋さんのかき氷です。」
なつかしい味のいちごのかき氷を、サクサクと皆で食べた。ご主人が静かに
「もう、そんなに妻は長くないですね。」
とつぶやいた。
「家に居れて良かった。」
と娘さんもつぶやいた。
息子さんも頷いた。
サクサクと音が続いた。
せみが鳴き、誰もが遠い夏を思い出した。
2日後、Yさんは静かに旅立った。