開催報告

内藤いづみのホスピス学校講演録 Vol.2

第1時限 家庭科
あなたのそばにいるということ。
一緒に食べよう!初女さんのおむすびの力

 2011年12月7日、10年前からのご縁が繋かって、山梨県清里の萌木の村に初女さんをお迎えした。念願のお話会。

寒い日だったが快晴で、冷たい空気も風のそよぎも自然の息吹を私たちに感じさせてくれた。イスキアの様子の分かるDVDも鑑賞した。

 90歳になる初女さんの静かで、穏やかで、凛としたたたずまいに私たちは表現できない感動を頂いた。それこそ、いのちのそばに居る(Bingビーイング)の力。その力の大きさを頂いて、どの顔も笑顔になった。

1部は講演と対談。2部はおむすびの実習。

いのちと「食べること」
10年前の対談も織り込みながら、初女さんのメッセージをお伝えしたい。

内藤 仮にいのちの最初が「誕生」で終わりが「死」だとしたら、私はいのちの最期に近づいた人、特に「がん」というむずかしい病気にかかった人が「自分の家にいたい」と望んだ時に、看護師さんと一緒に往診に訪れたりしながら在宅での生活をご支援しています。
そうした活動を続ける中で感じたのが、患者さんが病気と共存していくために、4つの大事な事柄があるということです。

一つはきちんと呼吸ができること。
もう一つは睡眠。あと、安定した精神と気力。
そして口から食べること。食べることは、生活の基本ですね。

佐藤 全くその通りだと思いますよ。私は女学生のころ、胸を患い長い闘病生活を送りました。その時に、注射やお薬ではさほど元気になったと思わないんですけれど、美味しいお汁を飲んだ時に、細胞が躍動するような感覚を味わいました。美味しいものを食べた時、注射よりお薬よりもずっと早く全身に沁みわたっていくような気がしたんです。
「食べ物ってこんなに大事なんだ」って実感しました。そして自分で病を治そうと決心しました。

内藤 今のお話を聞いていて一つ思い出したことがあります。イギリスのホスピスは、終末期の患者さんが生活しているのですが、そこではだれ一人として点滴を打っていなかったのです。日本の医療現場で点滴漬けにされた患者さんばかり見てきた私は、不思議に思って聞いてみました。
「ここではだれも点滴をしないんですか?」 つて。
そうしたら患者さん、すごく怒ってこういうの。
「点滴で私たちを何時間しばるつもり?点滴よりきれいな花が飾られた食堂で美味しいスープをひと口いただく。その喜びのほうが今の私たちには大事なの」
すごく反省して、私は点滴をしない医者に変身しちゃったんです。今、病院の多くは、いのちの最期に近づいた患者さんに対してチューブで栄養を流すんですよ。
薬も全部ミキサーにかけてドロドロにしてしまうんです。

佐藤 そうだってねえ。「味わう」ことってとっても大事なんですよね。それと、私は歯ごたえのあるものが一番美味しいと感じるんですね。ある時、映画『地球交響曲[ガイアシンフォニ]第二番』の龍村仁監督に聞かれたんです。「なぜ、固いものが美味しいんですか」 って。私、こう答えたの。「口の中で自分がもっとその味を深くしていくからですよ」って。

内藤 なるほど。かむという行為は、いのちをいただいている実感を味わうことでもあるんですね。
でも、「食べること」イコール「いのちをいただいている」という意識があまりにも希薄になっているような気がしませんか?

佐藤 本当にそう思いますよ。先ほど内藤先生かおっしやったように、病気の人はチューブで栄養を流されるでしょう。それに、減塩、減塩っていいますでしょう。塩分をどんどん減らしていく。体内から排出される涙や汗、血液はみんな塩分なのに、塩分を体内から減らしていったら体の中が腐ってくると思うの。どんなものも塩分がなくなると腐っていくものですからね。
内藤 初女先生のもとには心に悩みを抱えた方がたくさん訪れてくると思うのですが、美味しく手作りのお食事をいただくということは、精神的にはとても大事なことなのでしょうね。

佐藤 心に悩みを抱えた人に「ご飯食べてますか?」 つて聞くと、ほとんどの人が食べていないの。
のどに詰まった感じで食べれないのです。

内藤 そうなんですか。

食材のいのち
内藤 初女先生が料理をする中で、心がけていらっしゃることってなんでしょうか?

佐藤 まずは食材のいのちを生かすということです。自然の食材を目の前にした時、これを今、どのように調理したら一番生かされるかなって考えますよ。

内藤 伝わってくるものですか?

佐藤 仮に十の過程で出来上がるものであれば、その中のたった一つをおろそかにして美味しいものはできないと思うんです。最後の盛りつけまで気を抜いてはいけないって思っていますね。

佐藤 良材はすべて生きているもの、いのちをもっているものです。
その食材を心をこめて調理して。一番美味しいところをいただく。
そして、〈美味しい!〉と感じた時に、その食材は私たちのいのちとなって、生涯ともに生きていくんですね。今まではにんじんやもやしだったものが、口の中に入った瞬間に私たちのいのちになる。私はそのことを「いのちの移し替え」と表現しているんです。

内藤 素敵な言葉ですね。動物のいのち、魚のいのち、野菜のいのち、すべてをいただいて私たちは生かされているんですものね。菜食主義者といって「私は殺生していない」という方がいますが、野菜だっていのちですよね。いのちをいただかなければ生きていけない私たち人間なんですよね。もっともっと感謝しなければいけないですね。
あなたのいのちを私のためにいただきます、ということですね。

いのちに寄り添う仕事
内藤 初女先生が「森のイスキア」をお開きになって20年、訪れる人が急激に増えているのではないですか?

佐藤 そうですね。たぶんね、話を聞いてほしい人はいっぱいいるのに、聞いてくれる人がいないんでしょうね。全国各地には、美味しいものを食べさせてくれる場所や宿泊施設はたくさんできているのに、何か心が満たされないんでしょうね。心の深い部分での喜びですかね。『心の貧しい人は幸いである』という聖書の言葉があるのですが、欲望がなく今に満足することでしょうね。

内藤 自分が何か大きな存在によってこの世に生かされているという感覚でしょうね。一つお聞きしたいことがあるのですが、初女先生はここを訪れる方のお話をただじっと聞いていらっしゃるんですか?

佐藤 ほとんど話さないで聞いていますね。その人が話せるだけ話して、それを私が全部吸収したうえでないと、自分の言葉として出てこないんです。私の脳裏にすぐ浮かぶのは「死にたい」といって家を出だけれど、死に場所が見つからなくて訪れた人。ハンドバッグにボロボロになった新聞の切り抜きをしのばせて「最後はここにこようと思いました」 つて。最初はとても食事をとれるような状況ではないんです。でも、押しつけるようなことはしません。自然にただ寄り添っているだけです。そしてね、私は一緒に寝るんですよ。

一人で寝ると思い悩んでしまうでしょう。でもね、私はすぐ眠ってしまって、その寝方があまりにもすごいから「こんなに疲れていて、なおかつ人のために働いているのに、私の悩みなんてささいなもの」と感じてくださって、翌日帰られる方もいらっしやいました。こちら側も共感しながらその人の心に置き換えて聞きます。全てを吐き出した後、胸のつかえが取れて。

一緒におむすびを食べる。「おいしい」という言葉がでます。

内藤 私自身、がんの末期患者さん、そしてご家族の方とおつき合いをする中で、「きちんと聞く」ということが、どれほどむずかしいことか痛感させられます。看護師さんには「とにかく聞いてあげて、相手がいったことを評価したり道筋をつけたりしないでください」っていっているんです。特に死に近い人たちの場合、孤独なんですよ。

佐藤 人生の最後に、「この人のどこからこんな力がわいてくるのだろう」というくらい力強く人生を語る場合がありますね。その瞬間をつかまえる、出会えるということは尊いことだと思います。臨終の時には、話したいことをすべて話していってもらいたいという希望はありますが、そういう状況をつくるには、ふだんの心の交流が大切ですよね。そういう機会があった時、とてもほっとします。

 私はこの活動を続けてきて、 この「森のイスキア」を「癒しの場」とか「癒してる」という表現をしてくださることが多いのだけれど、私は癒してるつもりなんて少しもないの。癒しというのはもっと深いもので、私なんかにできるものではないと思っているんです。みなさんが「癒されました」といってくださるのは、ありかたいことですけれどもね。それは、みなさんが気づいて帰って行かれるのですよ。そしてね、食べ物くらいストレートに心に伝わっていくものはないと思うんですね。言葉も何もいらない。「美味しい」 って心に響く。だからこそ、ていねいに、心に響くように祈りをこめますね。

こんな詩を作りました。

いのちをいただく
今朝もふっくらおいしいそうに
炊き上がった
ごはんが輝いている
一粒一粒が呼吸している
毎日はおろか何十年も
食べているのに飽きもせず
食べるたび新鮮な気持ちで
味わえる幸せを
かみしめ今日も感謝で生きる

佐藤 思えば5歳ごろのことでしょうか。どこからともなく教会の鐘の音が聞こえてきて、とても神秘的なものを感じたんです。どこで鳴らしているのか見に行ったのがカトリック教会を訪れたきっかけです。
もう一つ、この活動をする動機となったのが神父さまの言葉です。

『奉仕のない人生は意味がない。奉仕には犠牲が伴う。犠牲の伴わないものは真の奉仕ではない』。

内藤 今日はこんなに楽しい講演会をありがとうございました。ずっと思い出にして心の支えにします。ありがとうございました。

佐藤初女さんからのメッセージ
私たちは今、混迷の時代を生きています。
気持ちがささくれ立つこともあります。
心がゆれ動く時もあります。
でもどうぞ逃れないで。自然のままに受けとめて。
芯が一本通っているのであれば揺れ動いてもいいのではないでしょうか。
結果ばかりを急ぐことはないで
今のあなたができる事をつづければいい。
小さいと思われることもひとつひとつ大事にすればいい。
今私が望むことは展開でなく融合です。
支え合ってとけあってこそ大きな流れはうまれるものです。
多様なものが多様なままともに生きていく生物多様性という言葉の意味を考えながら生きていく未来を切り開くことになると思います。
人にもものにもいのちがあって、そのいのちが響き合う中で私たちは生きています。人に自然に感謝することをわすれないで、それがわたしの願いです。
雪深い里から今日も祈りの鐘を鳴らし続けます。

放課後
「初女さんお疲れの様子だから、食事は優しい物をお部屋に届けるね」
講演会終了後、清里の応援スタッフからうれしいメールがありました。いつも細やかに的確にそして柔軟に応対して下さいます。
 これぞ。ホスピタリティー
 清里の父ポールラッシユ氏の「最善を尽くせ、そして一流であれ」の精神そのものかもしれません。ご縁のあった多くの方々から教えて頂く…私たちの学びのスタイルとなっています。