最期のときを家族と 居心地のよさ

「なぜ在宅ホスピスケアにこだわるのですか?」とよく聞かれる。
若き日には、最先端の病院で学んだ。患者さんの命が最期に近づくと、いつも、これでいいのか、と割り切れなかった。


理由は、がん告知がされないことがほとんどで、患者さんの思いや希望を正面から聞けなかった。点滴のラインや酸素マスク、カテーテルで身動きできない患者さんも多く、医療的処置の時は家族は病室から出され、遠巻きに眺めるだけ。家族はなんだか手持ちぶさたに見えた。
死について率直に語ることもなく、私は正直、息が詰まるような気持ちになった。
 だから、新米のころ、入院中の23歳の女性末期がん患者と知り合ったとき、「この人が妹だったら…」と思い、「これからどうしたいの?」と聞いてしまったのだ。彼女は「家に帰りたい」と答えた.延命や治癒の可能性をわずかでも大病院に求めていたご両親は悩んだが、「娘の望みが私たちの望みです」と、帰宅を決心した。それから3カ月、彼女は病院に戻ることなく、最期まで家で平和に過ごした。24時間対応する責任は重かったが、往診すると、彼女も家族も居心地が良さそうで、私もうれしかった。
 家族はケアのすべてを負い、力を尽くして、思い出をひとつひとつ積み重ねた。暮らすことはエネルギーの交流だと思う。病室にした居間の隣の台所から、お母さんの鼻歌と包丁の音が聞こえる。みそ汁のにおい。
「先生、食べていかない?」と聞かれ、「喜んで!」と答える。夕方になれば、妹の声が「ただいま」と響き、パタパタとスリッパの音をさせ、姉の様子をのぞきに来る。洗濯機の音や洗剤の香り。窓を打つ風の音。晩酌しながら父老が話す声。彼女は五感に届くすべてを感じながら、3カ月を笑顔で過ごし、母親にしっかり抱きしめられて旅立った。25年前、私の初めての在宅ホスピスケアだ。
 日本中の病院に今、緩和ケア病棟が続々と作られている。私もときどきのぞくが、在宅での命のエネルギーの流れとはかなり違う感じがする。私には在宅で命を支える仕事が性に合う。
 「私、少しも怖くありません。家族も先生もそばにいてくれるから」
 最期の日々にそう言ってくれた彼女の言葉が今もよみがえり、私を支えてくれる。
産経新聞2008年10月1日から抜粋