お手紙

「いのちの不思議な物語」を読みつつ

内藤さんの書籍を読む度に、不思議な想いにとらわれます。 これは、2003年に発刊された「あなたを家で看取りたい」を読んだ時にもそうでしたし、2010年の永六輔さんとの対談集に触れた折にも強く感じたことでした。

それは、この著者の患者と接する時のこの「まなざし」の優しさは、はたしてどこから来るのだろうという強い驚愕に通ずるものをいつも感じさせてくれるということでした。

そして、この想いは、最新刊の「いのちの不思議な物語」(2014.6 佼精出版社)を読んだ時、さらに強烈なものとして、私の心をとらえたのでした。

内藤さんは、自分を「在宅ホスピス医」として、世に紹介しています。 そして私も同じように、自分を「在宅ホスピス医」と意識して日常の診療活動をクリニック(姫路市)で継続し、在宅へ出向いて行っています。 そして、その場では、数多くの患者・家族とともに、きっと同じような悲嘆や喜びと遭遇しているに違いないのだが、どうもその場から受け取る苦しみや喜びを受け取る濃さが違っているとでもいうのか、いつも圧倒される想いを感じながら、ページを繰っていくのでした。

今回の「いのちの・・物語」は、在宅で亡くなられた患者と家族とその担当医・内藤さんのドラマです。13の物語が述べられています。

たとえば、第二話をちょっと開いてみよう。60才くらいの患者とその妻が内藤さんの外来にやってくる。上品な感じの実業家だという。

「先生、足が弱くなりました。余り歩けません。」 これに対し内藤さんは、「今、八十才くらいの体力かも知れませんよ」、 本人はがっかりした様子ながら「ふーん、八十才まで生きるとこんな患者なんだなあ・・」

この会話を読んで、はっとしました。私には欠けている話術だからです。患者と対話する時に内藤さんは、日頃の診療活動で、きっと、患者を様々なシチュエーションに置き換えて、さまざまな体験をさせながら、その置かれている現状を分析し、新しい生き方のキーを探りだすという手法を多用しているのではないだろうか。こんな風にして、患者を再生することの名手なのでないだろうか。

やがて、往診が開始され始めました。患者宅は、八ヶ岳の麓で、庭には、クリスマスロ―ズのたくさんの種類がそろっていました。それを見て、内藤さんは言うのです。         

(この花が)「咲くころに、見に来ていいですか?」「はい、どうぞ、ぜひ、ぜひ」

その方は、その頃には家にはいないのだと予感しながら、こんなに自然に患者との間に共通の世界を形成してしまう巧みさは、これはもう自然な優しさの発露だろうとしか申し上げられません。

病状は、速いスピードで悪化していきました。
「先生、起き上がれません。もう。九十才ですか」、「そうかもしれません」
(でも私はまだ) 「しゃべれる、水も飲める・・体も痛くないし・・。これは合格点です。先生ありがとう」 「 えっ?!」  目と目がしっかりと合いました。

こんなみごとな患者の感じ方、想いに発展していくのですね。こんな、素晴らしい患者の発見を引き出しながら、日常診療をしておられるのですね。

私も感激しました。こんな流れを形成しておられる内藤さんの診療活動の流れの中から、数粒でも、私も日常の活動に取り込んでいきたいものだと、激しく心を揺さぶられました。

大頭 信義さん(前日本ホスピス在宅ケア研究会理事長)


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