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誰かと一緒でないと不安なあなたへ

いきいき2014年6月号より
 第1回目のゲストは、舞踊家で映画「永遠の0」への出演でも話題を集めた田中泯さん。おふたりは山梨県在住。

共に尊敬する永六輔さんと、トークイベントで共演したことが出会いのきっかけでした。
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内藤いづみ(以下内藤) 私は永さんと20年来のお付き合いになるんですが、「僕が山梨に行くのは、内藤さんと田中泯さんに会うためだ」っておっしゃってくれて。それから田中さんはどんな方なんだろうと関心をもっていました。

田中泯(以下田中) 僕は永さんの歌詞とラジオ番組が若い頃から好きで。踊りの会をやるときには招待状をお送りしていたのですが、実際にお越しいただいていたのは知らなかったんです。いつもさーっと帰ってしまわれるから。

内藤 永さんは田中さんのこと、本当に惚れ込んでいらっしゃって。ふだんめったなことで怒らないんですが、私がまだ田中さんの踊りを生で拝見したことがないって言ったら「なんてことを言っているんだ」って怒られまして(笑)。
昨年初めて目の前で見せていただいて、本当にすばらしかった。体、心、人間、魂、この4つがぎゅっと凝縮して田中さんが存在している、そんな印象でした。踊りとの出合いは?

田中 原点は盆踊りです。僕は小さい頃、虚弱体質だったんですよ。中学2年までクラスでいちばん体が小さくて、吃音もありました。みんなでする遊びは苦手だったんですが、盆踊りだけは違った。熱気のある人の輪の中で踊っていると、だんだんと意識が薄れていって。そういう感覚に惹かれて盆踊りをやると聞くとすっ飛んでって、あっちで踊り、こっちで踊り。「盆踊り小僧」つて呼ばれていました。
 18歳の頃からバレエやモダンダンスを学んだ田中さん。しかし、決まったリズムや形にとらわれない、これまでの舞踊の概念をひっくり返す暗黒舞踏の創始者・土方巽氏の踊りに出合い、衝撃を受けます。以来、20代から独自の踊りを開始。ごみを埋め立ててできた「夢の島」での裸体舞踊に代表されるように、社会と対峙しながら身体と踊りの探求を続けてきました。

内藤 田中さんの踊りは国内外で高い評価を受けていますね。踊っているときはどんなことを思っているんですか?

田中 僕は今、神社や田んぼや街角や、そういう。場”を踊る。場踊り”というものに取り組んでいるのですが、僕のやってきた踊りは、言ってみれば「伝統」と呼ばれるものから外れています。この世界ではマイノリティーなダンサーなんです。

内藤 私もまだ日本の世の中が「病院で死ぬのが当たり前」という風潮だった30年前に「家での看取り」をし始めた人間ですから、医療界ではマイノリティー。これはマイノリティー同士の対談ということですね(笑)。

田中 そういうことになりますね(笑)。
「伝統」と呼ばれるものも始まりがあるわけですから、僕はある意味始まりであるような踊りを探しているということになります。そうすると結局、「人間はどんなふうにしてできたのか」「人間になった後、どんなふうに進化をしてきたのか」とかそんなことに関心がないと踊りはつくれないわけですよ。

内藤 つまり、人間の内側に目を向けるということですね。
どれだけ形がきれいだとか、どれだけ高く跳べたかとか、技術論にとどまらず。

田中 そういうことです。西洋の芸術舞踊などほとんどの踊りが「振り」というもので成立していますので、僕はそういうものに真っ向から反対してきました。

内藤 主流から外れて生きるのは生きづらいこともありますが、つまり裏を返せば自分の頭で考えながら生きているということだと思います。

田中 僕は、時代の波やテンポとかけ離れた人が生きていけなくなるというのは、社会そのものの欠陥だと思います。
いろんな時間をもった人が混在して生きていてこそ、社会だと思うんですね。今は本当に個性的な人が減ってしまったように思います。

内藤 私も同じことを感じます。インターネットが普及して余計に自分で考えられない人が増えましたし、これからますます増えていくでしょう。
自分の得られるルートの情報だけが情報だと思っている。

田中 こういう時代になったのは、やっぱり孤独になって考えていないからでしょうね。
人とああだこうだ言ってなんだかよくわからないけれどごちゃごちゃと考えている。そういうことが「考えている」という意昧だと思っている人が多すぎる。

内藤 おっしゃるとおりです。終末期の患者さんやその家族と関わっていると特にそのことの重要性を感じます。告知を受けた患者さんは、混乱する人、静かに運命を受け入れられる人、さまざまです。でも自分に残された時間を知るとみなさんちゃんと自分なりの答えを見つけて、納得いく最期を目指して進んでいく。
自分の人生とじっくり向き合い、考えるんですね。

田中 僕は踊りをやっているから、特に自分の体との対話を大事にしています。生まれて最初に僕という存在が得た世界は、体です。そして成長していく過程で僕という存在がこの体の中で何度も生まれ直す。そういう自分の体との対話をダンサーはしなくてはいけないと教えてくれたのが、私淑する土方の教えです。
 自分の手を見つめて、指1本1本にも僕が生きてきた歴史があるわけですね。土方は「この1本1本の指に、いつ何があったのかを聞き直さなければダメだ」と言っていました。茶摘みのおばあさんなんか節まで黒くなっている手を「恥ずかしいわ」って隠すんですよ。土方も言っていましたが、ああいう手こそ僕は本当に美しいって思うなあ。

 田中さんは30年前から踊りと農業の共存を目指して、山梨に移住。現在は標高1000メートルの山間で荒廃した畑や家屋などを借りて農作業をしながら、踊りの探求を続けています。
田中 自給自足で生活していて、育てた小麦ですいとんを作って食べたり、味噌を仕込んだり。自然を相手にしているといろいろ見えてきますね。
たとえば、とってもおいしい野菜を作る人たちがいて、彼らに共通しているのが独り言なんです。

内藤 端から見ると、ちょっと怖いですね……(笑)

田中 正しくは、野菜と会話している。もう自然と同格になってしまっているんですね。
 芸術家は自分の内側にはしごを深く深く下ろして、そして深く深く下りていく、そうやって表現するものだといわれます。僕は師匠の土方に「それじゃダメなんだ。体の外にもはしごを下ろさないと」と言われました。外側とは自然や歴史のことですね。自分を下げられる人、外側に駆け下りていける人は、芸術家に限らずいいものを生み出すのだと思います。

内藤 田中さんは生涯現役で踊り続けたいとおっしゃっていますね。

田中 僕は東京大空襲の日に生まれたので、69歳になりました。老いは感じていますよ。
ただし、踊るときに自分の何を使って踊りとして成立させるか、それによって死ぬ直前まで踊れるという確信はあります。

内藤 健康にご不安はないんですか?

田中 実は映画に出るようになった10年ほど前までは、30年間健診は受けたことがなかったんですよ。でも久々の人間ドックの結果は問題なし。
血液検査は20項目くらいやって、ひとつも悪いところはなかった。ひざとか外科的故障はあちこちにありますよ。これは職業病ですね。

内藤 それはすごい! 特別な健康法があるのですか?

田中 食生活は特にないです。撮影の減量時は3日間水分だけ、ということもあります。
アルコールは控えていますが、ほかは何でも「ありがたい」って感謝して食べています。あとは、関節を軽くたたくんです。そうすると緊張していた体が緩んで楽になります。
内藤 その方法、私の92歳の母もやっています。本当に軽くポンポンと。さすが、ご自分の体に何かいいのかよくわかっていますね。それにしても30年ぶりの健診とは(笑)。
実は恥ずかしながら私は医師なのに健診が怖くて。

田中 僕もすごく気が弱いんです。だから30年も何も検査していないと、ちょっとの体の不調にも敏感になるんです。
お医者さんに教えてもらおう、ではなくて自分でわかろうとするから。

内藤 自分の体の声に耳をすませる、というのは昔はみんなやっていたこと。でも、どんどん医療への依存度が高まり、日本の医療費は年間35兆円超と世界トップ。薬漬け状態の人が増えてしまいました。これは心と体が乖離してしまった結果だと思います。

田中 僕の母は骨髄腫で亡くなったのですが、息を引き取った瞬間、間違いなく体がすっと縮まったんです。「わあ、小さくなったあ」つてわかるくらい。あの瞬間、人間は一つ
ひとつの細胞から成っていて、その細胞たちが「終わったあ」って言ったように感じました。「死んだ」という言葉で形容されるけれど、それまでその人の中でうごめいていた感情や言葉はどこへ行ってしまうんだろう。僕はそんなことも思うんです。

内藤 田中さんのようなそういう体験を今はみんなできていないように思いますね。そんなお母様の姿を見た田中さんは、これからご自身の人生の後半戦、どんな生き方をされたいですか?

田中 作家の宮沢賢治は「永遠の未完成、これ完成」と言っていますね。僕もそのように生きたい。生きていることに飽きたくないんですよね。好奇心をもち続けて、好奇心が生まれたときには踏み出すこと。それしかないです。

内藤 「ピーター・パン」にこんなシーンがあります。フック船長との死闘を繰り広げ、あわや殺されるか、というときにピーター・パンは「死ぬのってとてつもないアドベンチャーだ」 って楽しそうに言うんです。私は医師としてそういう気持ちをもって生きましょうよ、と言いたいです。

田中 あまりに私たちは「人間とは」「人生とは」という問いへの答えを求めすぎているように思います。答えなんてないんですよね。一人ひとりの人生がこれからなんですから。こうして僕たちがお話ししていることも、みんな過去になっていく。こうやって感じたり考えたりしながら命は続いていく。それでいいと思うんです。