エッセイ

映画「100万カットの記憶」を見てきました

本日10月4日(日)、山梨県は快晴。東京は五月以来、久しぶりに雨にならない日曜日になりそうだと、気象予報士がやや興奮気味に朝のラジオで喋っていた。

気象の変動の中で、農家の皆さんも苦労をなさって、フルーツを育てている。
私は地元山梨県の葡萄を、今年ほど感謝をこめて食べた年はない。
そして、お世辞抜きでとても美味しい。

葡萄の美味しさを満喫しながら、夏以降の執筆活動の山を越えてホッとしているところだ。
いわば、マラソンの後のクールダウン。心身共に休養の時。

しかし!

そんな時にガツンと大きなインパクトを与えるドキュメンタリー映画「100万カットの記憶」を東京のポレポレ坐まで見に行ってきた。
この10年、私の在宅ホスピスケアの活動を、ドキュメンタリー映像にして下さった、高ヒヨン監督と、撮影のお仲間、金ソンミさん、金ヒョンソンさんの作品と聞けば、見逃すことはできない。

そして見終わり、深い感動に包まれている。
簡単に言葉に表せない感動。

日本、韓国、ベトナムなど、戦争や国の体制から受ける圧力と暴力。
それによって受ける傷のむごさ。
人々の抗いの力。絶望のはずなのに、その中で人々の見せるたくましく生きていくエネルギーの断片。
悲しみにひそむ希望の種の予感。

60年以上の桑原さんの活動の過去、現在をまとめ上げて伝える高監督と撮影チームの手腕は見事である。
そして、作品に添えられた音楽は、慎ましやかで、押し付けがましくなく、それでいて力強い響きに、涙がこぼれた。

桑原史成さんは、写真という「記録」に意味を持たせ、同時に芸術性も備えた作品を生み出してきた。
軽薄な言葉を必要とせず、その写真は命の自然な豊かな輝きに満ちている。
今回は桑原さんも被写体になっているが、彼の持つ強さとユーモアも自然体で映し出されている。
それは、桑原さんと高さん達の感性が、共鳴したからではないだろうか。
商業的目的ではなく、私利私欲にも駆られず、名誉欲にも無縁。なぜか、この仕事をひたすら続けたい、というがむしゃらに歩む静かな熱情の持ち主達。

謙虚で、穏やかで平和な人たち。
私も、その感性の仲間に入れてもらえたとしたら、本当に嬉しい。

ある時代の歴史の刻印のようなドキュメンタリー映画は生まれ、残された。
そのことに心からの感謝を捧げたい。