米沢慧さんとの往復書簡

往復書簡(米沢慧様)Vol.8 復

5月の連休はいかがお過ごしでしたか。新型インフルエンザの水際防御作戦などの情報が飛び交うなか、行楽へのゆとりもなし、体や気持ちを休息に向かわせるゆとりもなしで過ぎてしまいました。


○緩和ケアから、ホスピス理念が遠のいていく
さて、今回のいづみさんの書簡はテンションが高いものでした。
前回、追伸として添えてもらった村上春樹の講演録。そこから「システム(と卵)」ということばに反応されて引き出されたのが、システムとしての「緩和ケア」批判でした。前々回も緩和医療をとりあげました。その際にわたしは「がん対策基本法」施行後の医療体制に繰り込まれたことによる「緩和医療の転位」という表現をしてみました。その内実は脱ホスピス、ホスピスケアを医療ケアとしてカットするそんな仕組みにみえました。今回の書簡は、それを臨床家の立場からさらに一歩踏み込んだものでした。システムはその機能運用だけで権力の目線に仕立て上げますね。
以前にもふれたとおもいますが、がん対策基本法はがん治療対策法です。がんの早期発見、早期治療、さらに国際標準の治療を唱っています。不満があるのはがんに罹る人が3人に一人という段階になっているなかでの、がん患者への配慮が二次的になっていること、その結果が緩和ケアの位置づけに現れています。
緩和ケア病棟PCU(palliative care unit)は集中治療室ICU(intensive care unit)の対極として提示されています。PCUからICUへ、あるいは患者に何か(急変)があったらPCUからいつでもICUに引き返し治療が可能なようにする、医療者が管理する病棟として想定されているようにみえます。
こうした状況を、意外なところで的確にとらえたアンケート調査結果があります。
そのひとつは「がん告知」に関するものです(日本ホスピス・緩和ケア研究振興財団)が、治る見込みがある・なしにかかわらず告知を望む人は7割を超えています。10年前には考えられなかった市民意識の高さです。
では、末期がんで余命が限られる場合にはどうするか。希望する療養先を「最後まで自宅」は16.91%だったのに対し「自宅で療養し、必要になれば緩和ケア病棟に入院」は40.2%、「早い段階から緩和ケア病棟」が11.7%で5割を超える人が緩和ケア病棟での療養を望んでいます。現在、緩和ケア病棟承認施設は全国で193施設・3770病床(2009年2月1日現在)ですから、十分応えられるところにきていないこともわかります。
ところが、ホスピス・緩和ケア病棟での療養を臨む人が5割を超えるという状況にあっても誤解や偏見はあいかわらずなのです。それも患者・家族のそれではない、医療者とくに医師のホスピス・緩和ケアに対する偏見と誤解が多いことです。
日本医師会が医師約10万人を対象に実施した意識調査によると、まず医師の4割が、がん患者らの苦痛を和らげる「緩和ケア」は麻薬の扱いや管理など診療の煩雑さの割に報酬が少ないといった理由で「かかわりたくない」と考えている(日本経済新聞2008年10月8日)のです。だから、緩和ケアということばを知っている医師も全体で8割。だから緩和ケアへの誤解も多いということです。
たとえば「医療用麻薬(モルヒネ等)を長期間使うと中毒が生じる」との誤った設問に「そう思わない」と正しく答えた割合は全体で47.6%。内訳も病院医師の正答率が60.8%だったのに対し、診療所医師は36.4%でした。
「がんの痛みを適切に取らない医療は犯罪と同じです!」とは在宅医山崎章郎さんが、私との対話(『新ホスピス宣言』)での発言でした。そうだとしたらがん疼痛ケアへの誤解は、臨床医として失格ではないかと思わず口にしたくなります。
今回のいづみさんの緩和ケアがシステム以上ではないという指摘は、鋭いものです。それは「イギリスでは、医療システムに閉じこめられたいのちを、自分たちの元に取りもどすためにホスピスが誕生した」という歴史的経緯が実体験としても押さえられているからです。
これまで何度か聞いてきたいづみさんの若き日の武勇伝? ホスピス医師としての無意識デビューのエピソードがあります。入院中の末期がんの23歳の女性の希望にそって密かに(ではなく堂々と)自宅に帰したという“(医師の)患者ドロボー”事件(笑い)のことですが、それこそ病気を治療する医師から末期患者の人生を支えるホスピス医への一歩! おっしゃるとおり直覚力の業にちがいありません。
そしてイギリスでホスピス運動を市民の立場で体験されています。だからこそ、ホスピスケアとは「医療の枠組みの中に取り込まれたいのちを、自分の手に取りもどした患者さんの自立へのトータルな支援」だと断言できるのです。
とても大事な、重要な指摘ですね。
この視点に立つ限りは、たとえ緩和ケア病棟であってもシシリー・ソンダースがいうように「ようこそ、○○さん!」と、よろこんで患者を受け入れる態勢は可能でしょうし、「どうすれば私がこの患者を理解でき、どうすれば私がこの患者を助けられるか」というホスピスケアの課題もコミュニティの力として受けとめることはできるはずです。
その基盤は日本のホスピス運動には当初からなかったからでしょう。むしろ死の過程にある患者を医療の枠組みのなかにどう繰り込むかという立場に立った、つまり「ホスピスの医療化」という軸です。1980年代のわが国のホスピス黎明期の動きをみると、死にゆく人のケアよりも死にゆく人の医療施設の確保が念頭にあったからではないでしょうか。
内藤さんが指摘されたように緩和ケアは闘う医療(往きの医療)の枠組みのなかで「治療とともに」という図式以上にはひらかれていないですね。少なくとも身体の痛みは早い段階からケアができるという話でしたが、それも先のアンケート結果でも分かるとおり現実にはできていないし、できそうにないですね。結局さいごは「あなたにしてあげられる治癒手段はもう何もありません」というシステムだけが残ったのですから、病院が患者を投げ出すことは公然化するにきまっています。
最近、こんな話をききました。1990年代にホスピスの鑑と目されてしばしばマスコミにも登場したカトリック系の施設ホスピスに、当初からボランティア活動をしているベテラン女性が「近年は入院してこられた患者さんの表情に怒りがある」というのです。
信じられない。「怒りがある」とはどういうことなの、と聞くと、こうです。
患者さんの部屋にはいると「どうして、わたしがホスピスにいるの」とおそるおそる訊ねる人がいる。さらに「どうして病院からここへ移されて来たの」「ここはどこですか。死ぬ人がくるところでしょう。わたしは騙された」と訴える患者の鋭い眼差しに出合うというのです。
ケア病棟の医療スタッフには言えず、周辺でお手伝いしているボランティアの人に患者さんは胸の内をひらいているのです。
「最近のホスピスは病院の受け皿。PCU、緩和ケア病棟になっています。治療がなくなって末期になったら、順番待ちで隣の病院から送り込まれてくる。以前のようなおもてなしができない。もう、以前のようなホスピスではなくなった」と肩を落としていました。
わたしたちの社会は病院で生まれ病院で死ぬという、ライフサイクルをほぼ定着させるところにまできています。いいかえれば、誕生と死といういのちのできごとが医療施設のなかの行事の一つになりつつあるということです。
そのためでしょうか。往きの医療はPCUの「死にゆく過程」とそのケアを課題にするよりも、集中治療室(ICU)での「終末期」に関心をおいているのはご承知の通りです。昨今の医療事故裁判ではしばしば、病院死が「終末期」の場面と重なるからです。そこで「終末期」の概念を合法化(制度化)してくれないかという話になるのです。ポイントは次の4点です。
①脳死と診断された場合
②生命が人工的な装置に依存し、生命維持に必須な臓器の機能不全が不可逆的な場合 
③他の治療法がなく数時間ないし数日以内に死亡することが予測される場合 
④回復不能な病気の末期であることが、積極的な治療の開始後に判明した場合など、
妥当な医療の継続にもかかわらず、死が間近に迫っている状況を指しています。医療技術が高度になったことで、生命操作の延長戦で、治療中止の判断が問われる時期を「終末期」と呼ぼうとしています。
そして終末期と判断した場合。主治医は家族に治療を続けても救命の見込みがないことを十分に説明し、理解を得るようにする。家族が救急医療に積極的である場合は、改めて救命が困難であることを平易な言葉で伝え、その後に家族の意思を再確認する。(それでも治療継続を希望する場合は、家族の意思に従うのが妥当であり、そのまま現在の治療を続ける)
家族の受容が得られると、死の受け止めの準備、すなわち治療を中止する方法を選択することになる。これも列挙されています。
①人工呼吸器、ペースメーカー、人工心肺などの中止または取り外す 
②人工透析などの治療を行わない  ③昇圧剤の投与など呼吸や循環管理の方法を変更する ④水分や栄養の補給を制限するか中止する 
ただし薬物の過剰投与や筋弛緩剤投与などの医療行為により死期を早めることは行わない。(いうまでもないが救命の可能性があるかぎりは終末期と定義しない)
だんだん荒みきった領域に話がいきそうですから、これ以上はよしましょう。
1980年に第1回ホスピス国際会議がセント・クリストファー・ホスピスで開かれた際の主題の一つに「ホスピスの成果・失敗そして未来」がありました。当時は日本ではホスピスはホステスと混同された時代です。この問いかけを日本ではいまこそ必要としています。要するにホスピスの原点を問いなおすことですが、いづみさんの指摘に絡めて言えば、「ホスピスケア」は、マザー・エイケンヘッドからシシリー・ソンダースへという医療ケアへの道で考えられてきましたが、ホスピスケアの本質はもうひとつ、マザー・エイケンヘッドからマザー・テレサへという慈愛ケアの系譜があること、この視点にエリザベス・キュブラー・ロスが加われば、深いものになりそうなきがします。
さいごに、ときおり緩和ケア病棟を取材したおり「ホスピスってどういうところでしょうか」と訊ねて医師に答えてもらったもののうち、印象にのこった数少ないことばから語り口のままにあげてみました。
その1 「身体の痛みは心配ありません。薬を使って痛くなく過ごせるようにします。痛みを止めることについては、私たちはプロです」
その2 「ホスピスは死を待つところではありません。最後まで精一杯生きぬくところで、医療スタッフがそれを援助するところです」
その3 「一般の病院の医師との違いは、患者さんとのコミュニケーションの中で、死という話題から逃げないということです。患者さんや家族にも最初にそう伝えます」
次回は梅雨時になるのでしょうか。ご自愛ください。(5月5日)