往復書簡

井上ウィマラ・内藤いづみ往復書簡Vol.3(復)


なぜこんなことになってしまったのか
書簡をいただきながら、ご無沙汰いたしました。
10月末にはなつかしいスコットランドの再訪の旅に出かけました。
30代の時に7年間、自分自身の家庭をつくりながら一生懸命生活をしていた街を訪れるのは不思議なうれしい体験でした。
旅行者としてではなく、かつてのくらしの視点がよみがえってきました。
拠点になったホスピスも健在でしたし、何よりもあたたかい心でもてなしてくれました。(もちろんそこはホスピタリティを学ぶ本山ですから!)
15年以上前、その街で長男も長女も産み育てたのは前にもお話しましたね。
イギリスではお産は集約的に地域の産科病院でとりあつかっています。
産むまでは、町のホームドクターのもとで助産師により健康チェックが定期的に行われます。
大安心でした。
日本ではこの山梨でも、お産のできる病院が減ってきていて問題は深刻です。
おそらくイギリス型を目指すことになるのでしょうが、いのちの最初のあり方も最期のあり方(ホスピス)も学ぶことのできるイギリスという国は不思議なほど、ふところの深い国です。
帰国後3人目の次女は山梨県韮崎市の助産院でとりあげてもらいました。
母子ともに順調で、健康なおかげで3回とも、お産に産科医師に登場してもらわず、助産師にいのちの誕生を手助けしてもらってせいいっぱい自分の力で産めたことは、私にとって大きな誇りです。
人生は体験しないとわからないことが多いです。(今ふと『体験し、学ぶために生まれてきたんだよ』、という声が聞こえた気がしました。)
私たちは、いのちの誕生、いのちを大切に育むこと、そして死をみとる、という自ら体験できる最大の学びのチャンスを与えられています。
しかしその学びのプロセスと向かい合い方が人生に深い影響と時には大きなトラウマを残すことも起きています。
この同封の新聞記事を読んで下さい。残されたご家族の気持ちがとても気になります。読者からの反響も大きかったそうです。


2007年11月20日 山梨日々新聞より抜粋
さよならのプリズム~がんになって~
余命半年。つらい現実を告げられなかった。広島市の田所誠二さん(44)は妻を見送って二年たっても、自分を責め続ける。「妻の死は妻のもの。残りの人生をどう生きるか、自分で決める自由があったのに・・・」
妻恵子さん=当時(41)=が子宮がんと診断されたのは2005年2月。妻は医師に「はっきり言って下さい」と頼み、一人で告知を受けた。電話を受けた誠二さんは職場から飛んで行った。
大学の1つ後輩で明るく頑張り屋。長女(15)と長男(11)を出産後、専門学校に通って簿記のしかくを取り、税理士を目指して「やりたい仕事が見つかった」と夜も布団の中で参考書を広げた。
071204_001.jpg入院3日後。誠二さんは一人だけ診察室に呼ばれた。「進行して治療が難しいあと半年かもしれない。覚悟してください」。ぼうぜんとしていると医師は続けた。「抗がん剤と放射線で治療はします。奥さんにはそれしか言いませんから」
残された時間を告げるべきか。でも絶望して自殺でもしたら。妻の母親に相談したが「かわいそうだから言わんで」と泣くばかりだった。「治して働くんだ」と前向きに治療に耐える妻が、ある日「隠していることがあったら正直に言うて」と不意に尋ねた。ドキッとした。病名を知らない長男は「あと何日で退院かな」と待っていた。
4月の日曜日。病室を抜け出し、家族4人で満開の桜が咲く神社へと花見に行った。恵子さんは花吹雪の境内をゆっくり歩き、さい銭箱の前で5分近く手を合わせていた。来年の桜は見られないんだな。胸が詰まった。
痛みにうめく声。おびえた目。仕事中に携帯電話に届く「苦しい。早く来て」という悲鳴のようなメール。思い出すと刃物で切りつけられるように心が痛む。7月上旬、危篤状態に。
酸素マスク越しに何か訴えようとする口元に耳を近づけた。「なんで言ってくれんかったの・・・」。かすかな声だが確かに聞こえた。全部間違っていたんだ。その時はっきりと悟った。
亡くなる前夜、お別れを言った。「今までありがとう。また一緒になろうな」。返事はない。医師は余命を言えば、心を閉ざして治療を拒んだだろう。これで良かったんです」と繰り返した。
あの日から時間は止まっている。妻の服や持ち物はダンボール箱に入れたまま。「よう手をつけられんのです。心にふたをしていくしかない」。
春、桜をまともに見られない。毎夜眠れず、甲状腺の病気を発症した。葬儀の間泣きじゃくっていた長男は、今も決して母の話題を口にしない。
あのころ、看護師から聞いた話がある。亡くなる数日前、病室を巡回中に目にしたという。夜中、ベッドにうつぶせ眠り込む誠二さん。夫の頭をなでていた。「奥さん、分かっていたんでしょうね」


置きざりにされてしまった子ども達。
目標として「治す希望」を与えたい熱心な医者。啓蒙が進んでいるはずなのに、緩和されていない体の苦痛。制度の充実だけでなく、人はひとり対ひとりの出会いと深いかかわりでしか苦しむ魂を救うことができないと感じてなりません。終末期に重要となるいのちとか魂の問題は実は医療の枠組みだけではとらえきれないのです。
医者が、いのちの哲学をどう広く育ててくれるのか、それが緩和ケアやホスピスの真の発展に大きく影響すると思います。
このご家族は深く傷ついています。なぜこんなことになってしまったのか。別の道はなかったのか。後悔の嵐の中で未来へ歩むこともできず、家族は立ち止まっています。この家族が回復し癒される道はあるのでしょうか?
ぜひウィマラさんのアドバイスを下さい。
内藤いづみ


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