佐藤初女さんを迎えて開校 内藤いづみホスピス学校
十二月七日、高根町清里の萌本の村ロックを会場にして「第一回内藤いづみのホスピス学校」(内藤いづみ校長)が開校し、約百五十人が受講した。
(八ヶ岳ジャーナル 2011年12月16日号より)
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十二月七日、高根町清里の萌本の村ロックを会場にして「第一回内藤いづみのホスピス学校」(内藤いづみ校長)が開校し、約百五十人が受講した。
(八ヶ岳ジャーナル 2011年12月16日号より)
北杜でホスピス学校 山梨日日新聞2011年12月8日より
帯広ふだん記の会 編集委員長造田誠様の記事より
十月十日、ふだん記の会の文友である内藤いづみ氏の講演会が、とかちプラザのレインボーホールで開催されました。
2011年10月14日 十勝毎日新聞より
在宅ホスピス医の内藤いづみさん(甲府・ふじ内科クリニック院長)を迎えた講演会「いのちのあいうえお」(ばらのおうち文庫主催)が10日、帯広市内のとかちプラザで開かれた。在宅で人生の終末期を迎えた末期がん患者と家族との触れ合いを紹介し、命の尊厳などを伝えた。
Medical Tribune 2011年10月13日号33ページ「第16回日本緩和医療学会」より
病院で死を迎える人が圧倒的に多い中,在宅ホスピスケアへの地道な取り組みが広がりつつある。札幌市で開かれた第16回日本緩和医療学会〔会長=十和田市立中央病院(青森県)・蘆野吉和院長〕の鼎談「コミュニティケアとしてのホスピスケア」(座長=青森慈恵会病院・小枝淳一緩和ケア科総括部長)では,わが国で在宅ホスピスケアの先駆的な取り組みを続けてきた,ケアタウン小平クリニック(東京都)の山崎章郎院長,ふじ内科クリニック(山梨県)の内藤いづみ院長,山口赤十字病院の末永和之副院長が,各地での在宅ケアの経験を基に,地域コミュニティーにおけるホスピスケアの現状と課題について話し合った。
2011年6月25日、甲府第一高校の学園祭で、3年7組が作成した新聞「破暁」が掲示発表され、新聞部門で優勝されました。内藤いづみ先生のインタビュー記事の部分を抜粋して掲載いたします。
産経新聞社 ラゼールタブロイドより
がん治癒の可能性が少なくなった患者さんを見守り続けて20年。山梨県甲府市の在宅ホスピス医、内藤いづみさん(ふじ内科クリニック院長)が、患者さんとの出会いのなかで耳にし、「心の宝箱」にしまっておいた言葉の数々を、「あ」から50音順に収録した電子書籍(1,000円)。
(毎日新聞2011年6月14日より掲載)
医者になって約30年、末期がん患者を支援する「在宅ホスピスケア」の分野に自分の学ぶべき道を見いだし今に至っている。
山梨県のような人口80万人余りの地方でも、家族力の低下に伴い、家での看取りはこの20年間、全国並みに減る傾向にある。だから、末期がんになっても安心して家で暮らせる体制の普及には、まだ課題が多い。
山梨日日新聞2011年5月22日より
在宅ホスピス医の内藤いづみさん(甲府・ふじ内科クリニック)が電子書籍「いのちのあいうえお」を出版した。末期がん患者や家族らのケアを通じて出会ってきた言葉を、かるたのようにあいうえお順に並べ、それぞれにコメントをつけている。
在宅ホスピス医の内藤いづみ医師はiPhoneアプリの電子書籍「いのちのあいうえお」をAppSTOREで発売します。
患者と家族、医療・看護・介護関係者、いのちに向かい合う方々にぜひ手にとっていただきたい作品です。
在宅ホスピス医として活躍する山梨県甲府市の「ふじ内科クリニック」院長、内藤いづみさんの講演会「いのちによりそうケアから学んだこと」がこのほど、糸魚川市寺町四のビーチホールまがたまで聞かれた。
市社会福祉協議会主催、市ボランティア連絡協議会共催。市内の医療機関や福祉施設、ボランティア団体の関係者、市民ら約百四十人が参加した。
(糸西タイムズ2011年3月19日より)
(じべた 2011年第36号掲載のインタビューより)
幸せな最期を迎えるために。
二十年前、日本にはまだなかった在宅ホスピスを始めた医師
内藤いづみさんは、死に方は、どう生きたかの集約だと語る。
常に命と向き合う医療現場の声をうかがいました。
2011年3月19日(土)毎日新聞 山梨版より抜粋
東日本大震災の長引く余震や計画停電、福島第1原発での相次ぐトラブル。被災地への支援には県民自身が平常心を保つことが欠かせない。しかし、県民の心にも大きな不安やストレスがたまり続ける。どう現実と向き合えばよいのか。多数の末期がん患者に医療面だけでなく、精神面のケアを続けてきたベテラン在宅ホスピス医 内藤いづみさんに聞いた。
2011年3月14日 毎日新聞 山梨版より抜粋
対談で映画と原発への思いを語る映画監督の纐纈(はなぶさ)さん(左)とホスピス医の内藤さん。東京電力福島第1原発1号機での爆発事故を受け、纐纈さんは「自然の力を人は想定できない。身の丈で大切なものは何なのか考えてほしい」と訴えた。
読売新聞2011年2月26日(土曜日)に掲載された広告記事「在宅医療と緩和ケア~がん医療のこれから~」。1月23日に開催された日本医師会の市民公開フォーラムが紙面からダイジェストで伝わる内容です。ご覧下さい。
集英社の「コトバ第3号」(3月5日発売)の特集、「超老人力」アンケート20人に聞きましたの中で、内藤いづみ先生の回答が掲載されました。
東京消防 平成23年1月号より抜粋
「在宅ケア」という言葉を最近よく耳にします。私かイギリスで学んだ「在宅ホスピスケア」という、いのちの最期の過ごし方を伝えはじめた一七年前、日本では「ホスピス」も「在宅ケア」も初耳の人が大半でした。「自分の家の畳の上で死にたい」という本音の気持ちはあっても、がんになれば病院で「治りたい」という希望のもとに最期まで入院しているという経過が当時はほとんどでした。
Juntos Vol.57 書評 武田和典が旅先で心をふるわせたこの一冊より抜粋。
人の出会いとは、なんて素敵でありがたいことか、と思い知らされる日々が重なる年頃を迎えました。一つでもお相手にお返しができるようにと思っているのですが、なかなか…人生の振り返りを強く感じています。そんななか、一冊の本が届きました。
男女共同参画情報誌「かけはし(2010年12月1日号)」より抜粋
男女共同参画社会の実現を目指した「女と男のフォーラム2010足利」が9月4日に開催されました。
昨年、在宅ホスピス医療の第一人者である内藤いづみ先生に「在宅ホスピスは、ありがとうとさようならがひとつになるところ」と題して、人はいかに自分らしい最期を迎えることができるのかというお話をいただき、たいへん好評だったため今年も講演をお願いしました。
毎日新聞2010年11月1日(月)特集ワイドより抜粋
いかにして幸福な死を迎えるか-。このことに、かつてないほど関心が高まっている。高齢化が進み今後「多死社会」を迎えるこの国で問われる「死の質」。幸福な死とは何か。そのためにどんな準備が必要なのか。在宅ホスピスと先端医療、それぞれの現場から患者や家族の死と向き合ってきた2人の医師を訪ねた。(文 山寺香様)
2010年10月28日(木) 山陰中央新報より抜粋
末期がん患者らの心身の痛みを和らげる「緩和ケア」をテーマにした公開講座「わたしの生きるところ~笑顔そして緩和の輪~」(松江市立病院主催)が、松江市内でこのほど開かれ、専門医による講演と対談を通して市民ら220人が理解を深めた。
2010年9月20日 北海道新聞より抜粋
末期がん患者らの療養を自宅で行う「在宅ホスピス」に取り組む山梨県の医師、内藤いづみさんの講演会(ばらのおうち文庫など主催)が18日、札幌市中央区の市教育文化会館で開かれ、内藤さんが「命の縁」と題して語った。
毎日が発見8月号の書評欄で「いい医者 いい患者 いい老後」が紹介されました。
(やくしん2010年8月号から抜粋)
本書で対談している永六輔さんと内藤いづみさんとは、二十年の親交の仲。日本の医療・老後・看取りについて、全国で永さんと対談形式の講演を行なってきた内藤さんに、講演での思い出や本書に込められた思いを語っていただきました。
少子高齢化が進む日本社会で、高齢者の皆さんがいのちのリアリティを失い不安を募らせ、自分の人生の最終章を生き抜く自覚を持てない様子にこの頃よく遭遇する。健康寿命には①血管年齢②骨年齢③腸年齢が関係しているという。
(大乗2010年8月号より抜粋)
永六輔さんと久しぶりにお会いすることができました。
ラジオの生出演という場であっても再会はとてもうれしい。
お声も元気で安心しました。
大切な私の人生の師匠です。
サブタイトルが「『いのち』を見つめる二人旅」
とある。放送タレントの永六輔と、在宅ホスピス医の内藤いづみが、岡山、福山、山梨、長野など患
者の家で、お寺で、小さなお店で、大きな会場で、医療、介護、老後、日本の未来のことなどを漫才のように掛け合い的に話したことをまとめた内容。笑いの中に本質をえぐり取っており、納得、共感が得られる。また間にそれぞれのエッセイが挟まれていて、それぞれの考えが示される。

病院2010年7月号 特集「死生観が問われる時代の医療」より
「もう治らない」と宣告された末期がん患者さんたちを前に、役に立てない敗北感と無力感に囚われた新米医師の私は25年前、ホスピスケアという分野に出会った。私自身が救われて、それ以来ずっといのちの学びの旅を続けてきた。
英国に1980年代末から数年暮らす間に、細分化された病気への対応ではなく、体・心・社会性・スピリチュアリティというトータルな存在としての人間のトータルペインを緩和するホスピスケアの真髄に触れることができたのは幸せだった。以後、帰国して15年以上、日本での在宅ホスピスケアの普及に努めてきた。
山梨新報2010年5月28日
甲府ワイズメンズクラブ(広瀬静男会長)はこのほど甲府市内で、ふじ内科クリニック院長で在宅ホスピス医の内藤いづみさんを招き「いのちは希望であるホスピスケアから学んだこと」と題した講演会を開いた。
東京新聞2010年5月13日より
日常生活の中で幸せになれる十三の方法を紹介した大人のための絵本「しあわせの13粒」(ひとやすみ村出版、千円)の原画展が、墨田区東向島三の和カフェ&ギャラリー「みづき」で開かれている。原画の切り絵は、進行性の難病で体に障害があるイラストレ一夕ー、まつおかさわこさん(55)も=兵庫県尼崎市=が担当した。(丹治早智子)
(たぶん今日だけ新聞2010年4月10日より抜粋)
内藤いづみさんとの出会いは、1996年の秋、甲府市内のホテルのロビーだったと記憶している。いづみさん(最初から「いづみさん」と呼んでいる。内藤さんでも、先生でもない)は、ピーンと背筋を伸ばし、スックと大地を踏みしめて立っている人、という印象だった。ネイティブアメリカン風に呼ぶなら、さしずめ「風に向かって立つ女といったところであろうか。
(ユーキャンやすらぎ通信2010年春号より抜粋)内藤いづみ先生は、在宅ホスピス医として活躍する一方、日本におけるホスピスの草分けのひとりとして積極的に啓蒙活動を続けています。多くの患者さんを看取ってきた内藤先生に、最期まで自分らしく生きた人々のいのちの輝きについてお話いただきました。本講和は、東京で行われた講和会の抄録です。
(CS通信 2010年冬号より抜粋)
昨年7月,祖母が亡くなりました。99歳天寿を全うしての大往生でした。最期は,病院でひと月程手当を受けたのち静に旅立ちました。祖母の介護に寄り添い,いのちの歩みを多く学ばせてもらえたと思います。
また曾孫たちは,老いること,いのちの終わり,いのちのつながりなど,看取りを通して生と死の重さを感じ,学んでいたように思えます。
世界一の速さで高齢化が進む日本は、2038年には年間死亡者数が170万人に達する「多死社会」を迎える。終末期の医療、介護のあり方や看取りについて、国や専門家ばかりでなく、個人が十分な準備と覚悟を持たなければ、自分や身近な人の幸福な最期は望めない。
甲府市の医師、内藤いづみさん(53)は、約200人の末期がん患者をみとってきたベテラン在宅ホスピス医だ。内藤さんは「死を前にした患者に、突然幸せを感じる瞬間が訪れることがある」と話す。
「決め手は役割分担」と話すのは、ふじ内科クリニックの内藤いづみ院長。診療の傍ら、年間約40回の講演活動や執筆などで常に予定が埋まっていることから、診療所のスタッフなどに「郵便物の仕分け」「講演の資料準備・終了後の整理」「原稿のリライト」などの仕事を割り振り、任せている。
ゆいまーる 2009年Vol.40「連載ルポ・医療福祉最前線」より抜粋
●熱いハートのお医者さん
在宅ホスピス医の内藤いづみさんを甲府に訪ねた。ふじ内科クリニックは甲府駅からタ
シーで10分、こじんまりした町の病院である。
(在家佛教2009年11月号より抜粋)
医者という、いのちに向かい合う仕事に就いて二十五年以上が経ちます。どの分野でも医者の仕事は責任が重いものですが、在宅ホスピスケアの仕事は、暮らしの中で過ごす末期がん患者さんが自然体で平和に過ごせるために、私たちは目立たず派手ではない(時には影に隠れた)支援活動を続けます。
Yakushin 2009年10月号より抜粋
「人はなぜ生きるのか」「生きる意味とは何か」。人は死に直面したとき、その間いを究極にまで問い詰める。答えは一人ひとりが自分で見いださなければならない。実は、その知恵こそ私たちの生きる支えとなる。今回は、在宅ホスピス医の内藤いづみさんに、患者や家族とかかわるなかでのエピソードや医師としての気づき、大切にしている姿勢などについて聞きました。
なぜ今この記事を掲載するか?
在宅ホスピスケアで2ヶ月前に亡った患者さんの遺品を整理したらファイルからこれが出てきた、と家族が届けてくださった。17年前の新聞記事だ。こんな昔からご縁がつながっていたのだ。
寄り添える仲間を
つくっておきましょう。
(いきいき2009年8月号より抜粋)
「いきいき」の読者であり、在宅ホスピス医として20年近く往診を続けている医師の内藤いづみさんは、自宅での最期を希望する人を看取る中で、いま、変化を感じています。
「あいちホスピス研究会」会報 ほすぴす66号より抜粋
文章 森クリニック 森智弘様
内藤いづみ先生はイギリスでのホスピス研修の経験の後、故郷の山梨県で開業し在宅ホスピスケアを行っているわが国でも有名な女性の医師です。
(「清流」2009年7月号より抜粋)
「いのちにかかわる仕事」がしたい
出会った瞬間に、人の心をほどく両頼のエクボと柔らかな声。甲府盆地に今日ふんわりと吹いている春風のように心地よい。山梨県甲府市で「ふじ内科クリニック」を開業している内藤いづみさんは、在宅ホスピス医として一六年、進行ガンなどの患者たちの最期の日々に全力で寄り添ってきた。
激痛を伴う病を抱えながら創作活動を続ける尼崎市の絵本作家まつおかさわこさん(54)が、在宅ホスピス医内藤いづみさん(52)=甲府市=とともに絵本「しあわせの13粒」を出版した。内藤さんが患者の生と死に接する中で気づいた幸せになるための13のヒントをつづり、まつおかさんが張り絵で表現した。(2009年5月14日神戸新聞より抜粋)
「ETV2002 命を見つめて~在宅ホスピス医 内藤いづみ~」が、2009年5月1日より番組公開ライブラリーに収蔵・無償公開される事になりました。
障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」77号より抜粋
ススキや小菊、コスモス…花がたくさん置かれているセミナーの会場。山梨県甲府市。マイクを持って語りかける、やや低めの、とても柔らかい声…。色白の、頬の線のきれいな人だなあと思った。
在宅ホスピス医の内藤いづみさん(甲府・ふじ内科クリニック)が、十三の〝幸せのもと″を集めた大人のための絵本「しあわせの13粒」(1000円、コシカ発行)を出版した。在宅ホスピスにかかわって二十年あまりの内藤さんが、いのちと向き合いながら学んだことなどを踏まえ、どうすれば幸せになれるかをまとめた絵本。内藤さんは「絵本は在宅ホスピスの中で『笑顔でさよならを』という活動を行ってきた一つの到達点。患者さんらから教えてもらったことを、多くの人に伝えたい」と話している。
遺族のボランティアとともに命の文化を耕す在宅ホスピス医
1995年に故郷の山梨県でふじ内科クリニックを開業した内藤いづみ院長。在宅ホスピス医としてがん末期患者の外来診療や訪問診療の傍ら、英国で学んだホスピスの理念を伝えようと全国で講演、著書や新聞連載でも積極的に情報発信を続けてきた。
「在宅ホスピスを通して、命の文化を耕したい」と言う。医療の枠を超えた文化運動は、患者の遺族約50人がボランティアで支える。
本山よしさん(91)=仮名=は、私の診療所近くにお住まいだった。人生で入院したことはないという。30代で夫を亡くし、女手ひとつで3人の子供を育て上げ、老後は長女夫婦と穏やかな暮らしだった。
最新医療情報誌「アニムス」2009年冬号の特集・在宅医療より抜粋。
相川節子さん(89)=仮名=は、、外来に来るたびに「先生、あと、どのくらい生きられますか?」と聞く。血圧はは安定。甲州弁で「飛びっこ」(短距離走)」の得意だった人らしく、健脚で心臓は丈夫だ。「まだまだ先は長そうですよと答える。
在宅患者さんを引き受けている限り、24時間、完全にフリーな気持ちにはなれない。心はいつねも患者さんと繋がっている。
責任の重さにつぶされず、付き合うコツを習得するのも在宅医の修業のひとつだ。しかし、多くのことが重なると、気弱にもなる。
秋になると思いだす患者さんがいる。松下靖さん(59)=仮名=はある日、私の外来を奥さんとやっとのことで訪ねてくれた。皮膚の黄色みが増し、黄疸があった。顔もげっそりしていたが、どこか飄々と面白そうな方だった。
池田正さん(59)=仮名=は豪放磊落な性格だった。何よりお酒が大好きで、肝臓の障害が出てからも、たしなむことはやめなかったようだ。「治療を終了して、ふるさとに帰る」と決めてからは、不安ももらさず、ふるさとの生活をマイペースで楽しんだ。
エリザベス・キュプラー・ロス博士は約40年前、著書『死ぬ瞬間』で、末期がんの患者たちの心理過程を明らかにした。
告知されると、まず頭の中が真っ白になるほどショックを受け、「事実を否定する」。事実だと分かると、「猛烈な怒り」がわいてくる。やがて「取引」といわれる心理状態になる。たとえば「神様、どうか子供の入学式まで生かしてください」など。
全国での講演も私の大切な仕事のひとつ。と言っても、在宅の患者さんは24時間、いつ具合が悪くなるか分からないので、遠くに行くのは月1度くらいが限度だ。重症患者さんには、お土産を買って来ると約束し、重大事には必ず、病院が連携してくれるよう手配して出掛ける。
結婚後、夫の故郷の英国に渡った内科医の内藤いづみさんは現地で学んだホスピスを日本にも広めるために一家で帰国。一九九五年に甲府市にクリニックを開業し、在宅ホスピス医として「その人らしい命の最期」を支え続けてきました。
大学の教養課程で「死生学」の講義をすると、聴講した若者の胸にいろいろな思いが浮かぶことがアンケート結果で分かる。
数年前からいくつかの大学の教養学部で、若者に「死生学」を講義している。
「死」という字が入っているだけで、暗く怖いイメージを抱かれがちだが、彼らは私の子供と同世代。何となく相手の心切愁内が分かる気がして、私もおせっかいなおばさん口調になる。
ダンディーな山下勉さん(58)=仮名の膵臓がんの病状が深刻になってきた。腸閉塞の傾向があって、食事はなるべく軟らかいものに限られて味気なく、本人も不満そうだった。
意地悪な主治医の私は、診察の合間に「今、何が食べたいですか?」と聞くと、本人は間髪を置かず「天ぷら!」と返答した。
「死も命の一部」もしくは「生も暮らしの一部」。そう感じたときに、病人も家族も恐れから解放され、命のエネルギーを回復するのではないかと思っている。
この人が?いつも命の瀬戸際と向かい合っているドクターとはとても思えない柔和なたたずまいと穏やかな語り口。「私たちは、患者さんとご家族のお手伝いをするだけ」と、周囲に看取られながら過ごす末期がんの患者さんたちに勇気を与え続ける。
2008年10月13日の週刊医学界新聞に掲載された本の紹介、評者、内藤いづみ。
あなたが健康なら、在宅で命の最期を過ごすことを想像するのは、簡単ではないだろう。特に、がんという病気は、検査、診断、治療など、病院と専門医に深くかかわるから、病院から離れることに不安は尽きないだろう。
自宅で命を看取る「在宅ホスピスケア」について、20年近く、山梨県を中心に発言してきた。理解は進んだが、「もう治らない。余命が短い。助からない」というイメージは、患者さんと家族の心を打ちのめす。
「なぜ在宅ホスピスケアにこだわるのですか?」とよく聞かれる。
若き日には、最先端の病院で学んだ。患者さんの命が最期に近づくと、いつも、これでいいのか、と割り切れなかった。
ここでは信濃毎日新聞の読書のコーナーでも掲載された種山千邦さんの「最期の流儀」という新刊をご紹介します。
なんとなく日々を過ごしていせせんか? 家族や大切な人と向き合っていますか?
在宅ホスピス医として毎日命と向き合っている
内藤先生から、「生」について素敵なメッセージをいただきました。
(健康アイ2008年vol.05より抜粋)
昨年六、七月に高山市で開かれた「第十五回日本ホスピス・在宅ケア研究会飛騨高山大会」の内容をまとめた「ひびきあう生と死」(雲母書房)を同退会実行委が発行した。
末期がん患者のためのトータルケアとしてイギリスを発祥地に普及してきた在宅ホスピスケア。人間としてあるべき最期を家族と医療者がどうサポートしていくかなど、日本におけるこれからの在宅ホスピスケアを紹介します。
あなたは、最期をどう過ごしたい?~幸せな生と死をサポートする在宅ホスピス医、という見出しで、アントレ2008年8月号に掲載された記事をここでご紹介いたします。アントレは独立した起業家を目指す人向けの雑誌(リクルート社発行)です。
残された時問は家族と過ごしたい
内藤いづみさんは、山梨県甲府市で小さな診療所を営む内科医。絵が飾られ、季節の花が生けられた内藤さんの診察室は、クラシック苦楽が静かに流れ、医療機関とは思えない温かで家族的な雰囲気に満ちています。
前回、ハナさんという91歳のすい臓がんの女性のお話をした。普段は3人暮らしだったけれど、最後の10ヶ月はいつも孫やひ孫の声に囲まれて、大家族のように賑やかに過ごしていた。「ハナさんは、看てくれる人に恵まれて幸せですね。」という羨む声が聞こえてきそうだ。今はお年寄りのひとり暮らしや、老老介護がどんな地方に行っても多くある。
一昨年「美しい人」という映画が評判になり、私も観に行った。「美しい」とは何かを改めて問いかけられた。最近は、美しさを獲得するための情報や手段に溢れていて、確かにきれいな日本女性は増えたかもしれないが、「美しさ」とはやや違うようにも感じている。たとえば、昔のお母さんたちは、美しかったと私は思う。美しさとは、自己欲を越えて、忍耐力を持って、他者のために生きる、凛とした香りを持つのではないだろうか。
子どもにとって、母親は特別な存在です。
父親の愛情とは異なり、無条件に深い母の愛は、母性の発露というよりむしろ、生命の根源に関わる神々しさすら感じられるものではなかったでしょうか。
母からそんな愛情を受けて育った私たちが母親となって、そして思うのです。
「お母さん、私を生んでくれてありがとう」と。
出産や終末期医療などについて学習している茅野市などの住民グループ「Happy Life Lab」(藤森朋子代表)は十三日、ふじ内科クリニック(甲府市)院長で在宅ホスピスに取り組む内藤いづみさんらの講演会「産声をあげるとき 息をひきとるとき」を、茅野市民館(仲町)で開いた。県内外から約二百五十人が参加。死をみとることや出産の意味など、人間の「いのち」について理解を深めた。
人の生と死と自然について考える「産声をあげるとき 息をひきとるとき」(ハッピーライフラボ主催、長野日報社など後援)が十三日茅野市の茅野市民館で開かれた。産婦人科医の池川明さん、在宅ホスピス医の内藤いづみさん、ハーブ研究科の萩尾エリ子さんを講師に迎えた講演会とトークセッションで約二百五十人が来場。命と自然の神秘について語る講演に耳を傾けた。
「大人とは?」などと語る機会は今までなかったし、あらためてこの頃深く考えたこともなかった。しかし先日、確かに自分は大人になったんだ、と感じた瞬間があった。五十一歳にもなって、そんな自覚をするなんて不思議な話だ。
メタボリック症侯群に対する国を挙げての強力な指導体制が四月から始まるようだ。特に大企業では、目標に到達しないとペナルティーとして多額の負担金を課せられるので、かなり厳しい保健指導になることが予想される。
日本医事新報の「プラタナス」というコーナー向けにエッセーをご紹介します。
2008年3月14日の神戸新聞に掲載された連載記事「随想」より抜粋してお伝えします。
2008年3月17日 朝日新聞「ニッポン人・脈・記 みんな、その日まで⑦」に掲載された記事「痛いよね我慢しないで」を抜粋にてご紹介します。
独り暮らしの90歳近い女性と10年近く関わらせて頂いています。都会に住む息子さんは「そろそろ一緒に暮らそう」、とずっと誘っていますが、なかなか踏み切れません。「長年住み慣れた町から離れたくないんです。足腰が丈夫なので、当分このままでもいいかなと思ったり、頭の中がガラン、ガランと音を立てるように混乱して、物忘れがひどく探し物ばかりするときは、もうだめか、と心が揺れます。どうしたらいいのでしょう?」
最期の2か月を過ごした寝室の窓からは、甲府盆地のかなたに南アルブスの山並みが広がる。甲府市の郊外にある、山本真樹さん(66)の自宅で、妻の洋子さんが66年間の人生に別れを告げたのは先月12日午前1時24分のことだった。
NHKの対談収録が3月2日にあり、高史明さんとの対談が実現しました。
2月13日神戸新聞「随想」の連載記事より抜粋してお伝えします。
山梨県東部地区局長会広報委員会が発行する雑誌「山東」に掲載された記事「おたよりの重さ」を紹介いたします。
2008年1月28日の神戸新聞「随想」に掲載された話をここで紹介いたします。
シニア 50代からの暮しと生き方マガジン「毎日が発見」(角川・エス・エス・コミュニケーションズ )で、私が連載する「ひと休み村」というコーナーがはじまりました。連載記事をここでご紹介いたします。
共同通信で全国の地方紙に昨年末配信された特集「さよならのプリズム」より、抜粋にて記事をご紹介いたします。
准看護師試験のための学習誌「看護学生」2008年2月号に「医療という仕事をもつこと ~知耕・心・技術でケアする~」という記事が載りました。ここでご紹介いたします。
内藤先生は山梨県甲府市の「ふじ内科クリニック」の院長。在宅ホスピス医です。治癒の見込みのなくなったがん患者が、最期の時を自宅で過ごせるよう、家族と協力しながらホスピスケアをしています。
深夜であろうが、明け方であろうが、具合の悪くなった患者の所へ飛んでいきます。そんなスーパーマンのような先生にお話を伺いました。
在宅ホスピスケアといういのちの最期の過ごし方を日本で伝えて十五年。イギリスで学んできたものの、文化が違う、医療体制が違う、と医師たちからは反論された。
KY(空気がよめない)という略語が若い子の間ではやっているらしい。日本独自の「和」あんもくをつくる想像力のいる暗黙の働きに若い子たちも気がついている、ということだろうか。
内科の勤務医として活躍していたが、結婚を機にイギリスへ渡る。そこで「在宅ホスピス」に出あい帰国後、クリニックを立ち上げ、24時間体制で末期患者と家族のケアに奔走する
南アルプス市連合PTA主催の講演会の様子、山梨日日新聞2007年11月26日からの抜粋からご覧ください。
日本在宅ホスピスケア研究会山梨支部(内藤いづみ代表)が主催する講演会がこのほど甲府市内で開かれ、「森のイスキア」を主宰する佐藤初女さんが「それはおむすびから始まった。」と題して講演した。佐藤さんはクリスチャンとして奉仕の道に生きることを決意。自宅を「イスキア」と命名して開放し、心の病に苦しむ人を手料理で迎え、共同生活している。
ふぁいんピープル「いい人 いい話」
1985年10月・11月号からの抜粋、文・遠藤周作様。
人工呼吸器取り外し問題に関連し、山梨日日新聞の取材にコメントいたしました。
あけぼの2006年10月号に掲載されました夫婦特集の記事、作新学院大学教授小林和男様との対談です。