生きる-いのちのレッスン-
(CS通信 2010年冬号より抜粋)
昨年7月,祖母が亡くなりました。99歳天寿を全うしての大往生でした。最期は,病院でひと月程手当を受けたのち静に旅立ちました。祖母の介護に寄り添い,いのちの歩みを多く学ばせてもらえたと思います。
また曾孫たちは,老いること,いのちの終わり,いのちのつながりなど,看取りを通して生と死の重さを感じ,学んでいたように思えます。
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(CS通信 2010年冬号より抜粋)
昨年7月,祖母が亡くなりました。99歳天寿を全うしての大往生でした。最期は,病院でひと月程手当を受けたのち静に旅立ちました。祖母の介護に寄り添い,いのちの歩みを多く学ばせてもらえたと思います。
また曾孫たちは,老いること,いのちの終わり,いのちのつながりなど,看取りを通して生と死の重さを感じ,学んでいたように思えます。
世界一の速さで高齢化が進む日本は、2038年には年間死亡者数が170万人に達する「多死社会」を迎える。終末期の医療、介護のあり方や看取りについて、国や専門家ばかりでなく、個人が十分な準備と覚悟を持たなければ、自分や身近な人の幸福な最期は望めない。
甲府市の医師、内藤いづみさん(53)は、約200人の末期がん患者をみとってきたベテラン在宅ホスピス医だ。内藤さんは「死を前にした患者に、突然幸せを感じる瞬間が訪れることがある」と話す。
「決め手は役割分担」と話すのは、ふじ内科クリニックの内藤いづみ院長。診療の傍ら、年間約40回の講演活動や執筆などで常に予定が埋まっていることから、診療所のスタッフなどに「郵便物の仕分け」「講演の資料準備・終了後の整理」「原稿のリライト」などの仕事を割り振り、任せている。
ゆいまーる 2009年Vol.40「連載ルポ・医療福祉最前線」より抜粋
●熱いハートのお医者さん
在宅ホスピス医の内藤いづみさんを甲府に訪ねた。ふじ内科クリニックは甲府駅からタ
シーで10分、こじんまりした町の病院である。
(在家佛教2009年11月号より抜粋)
医者という、いのちに向かい合う仕事に就いて二十五年以上が経ちます。どの分野でも医者の仕事は責任が重いものですが、在宅ホスピスケアの仕事は、暮らしの中で過ごす末期がん患者さんが自然体で平和に過ごせるために、私たちは目立たず派手ではない(時には影に隠れた)支援活動を続けます。
Yakushin 2009年10月号より抜粋
「人はなぜ生きるのか」「生きる意味とは何か」。人は死に直面したとき、その間いを究極にまで問い詰める。答えは一人ひとりが自分で見いださなければならない。実は、その知恵こそ私たちの生きる支えとなる。今回は、在宅ホスピス医の内藤いづみさんに、患者や家族とかかわるなかでのエピソードや医師としての気づき、大切にしている姿勢などについて聞きました。
なぜ今この記事を掲載するか?
在宅ホスピスケアで2ヶ月前に亡った患者さんの遺品を整理したらファイルからこれが出てきた、と家族が届けてくださった。17年前の新聞記事だ。こんな昔からご縁がつながっていたのだ。
寄り添える仲間を
つくっておきましょう。
(いきいき2009年8月号より抜粋)
「いきいき」の読者であり、在宅ホスピス医として20年近く往診を続けている医師の内藤いづみさんは、自宅での最期を希望する人を看取る中で、いま、変化を感じています。
「あいちホスピス研究会」会報 ほすぴす66号より抜粋
文章 森クリニック 森智弘様
内藤いづみ先生はイギリスでのホスピス研修の経験の後、故郷の山梨県で開業し在宅ホスピスケアを行っているわが国でも有名な女性の医師です。
(「清流」2009年7月号より抜粋)
「いのちにかかわる仕事」がしたい
出会った瞬間に、人の心をほどく両頼のエクボと柔らかな声。甲府盆地に今日ふんわりと吹いている春風のように心地よい。山梨県甲府市で「ふじ内科クリニック」を開業している内藤いづみさんは、在宅ホスピス医として一六年、進行ガンなどの患者たちの最期の日々に全力で寄り添ってきた。
激痛を伴う病を抱えながら創作活動を続ける尼崎市の絵本作家まつおかさわこさん(54)が、在宅ホスピス医内藤いづみさん(52)=甲府市=とともに絵本「しあわせの13粒」を出版した。内藤さんが患者の生と死に接する中で気づいた幸せになるための13のヒントをつづり、まつおかさんが張り絵で表現した。(2009年5月14日神戸新聞より抜粋)
「ETV2002 命を見つめて~在宅ホスピス医 内藤いづみ~」が、2009年5月1日より番組公開ライブラリーに収蔵・無償公開される事になりました。
障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」77号より抜粋
ススキや小菊、コスモス…花がたくさん置かれているセミナーの会場。山梨県甲府市。マイクを持って語りかける、やや低めの、とても柔らかい声…。色白の、頬の線のきれいな人だなあと思った。
在宅ホスピス医の内藤いづみさん(甲府・ふじ内科クリニック)が、十三の〝幸せのもと″を集めた大人のための絵本「しあわせの13粒」(1000円、コシカ発行)を出版した。在宅ホスピスにかかわって二十年あまりの内藤さんが、いのちと向き合いながら学んだことなどを踏まえ、どうすれば幸せになれるかをまとめた絵本。内藤さんは「絵本は在宅ホスピスの中で『笑顔でさよならを』という活動を行ってきた一つの到達点。患者さんらから教えてもらったことを、多くの人に伝えたい」と話している。
遺族のボランティアとともに命の文化を耕す在宅ホスピス医
1995年に故郷の山梨県でふじ内科クリニックを開業した内藤いづみ院長。在宅ホスピス医としてがん末期患者の外来診療や訪問診療の傍ら、英国で学んだホスピスの理念を伝えようと全国で講演、著書や新聞連載でも積極的に情報発信を続けてきた。
「在宅ホスピスを通して、命の文化を耕したい」と言う。医療の枠を超えた文化運動は、患者の遺族約50人がボランティアで支える。
本山よしさん(91)=仮名=は、私の診療所近くにお住まいだった。人生で入院したことはないという。30代で夫を亡くし、女手ひとつで3人の子供を育て上げ、老後は長女夫婦と穏やかな暮らしだった。
最新医療情報誌「アニムス」2009年冬号の特集・在宅医療より抜粋。
相川節子さん(89)=仮名=は、、外来に来るたびに「先生、あと、どのくらい生きられますか?」と聞く。血圧はは安定。甲州弁で「飛びっこ」(短距離走)」の得意だった人らしく、健脚で心臓は丈夫だ。「まだまだ先は長そうですよと答える。
在宅患者さんを引き受けている限り、24時間、完全にフリーな気持ちにはなれない。心はいつねも患者さんと繋がっている。
責任の重さにつぶされず、付き合うコツを習得するのも在宅医の修業のひとつだ。しかし、多くのことが重なると、気弱にもなる。
秋になると思いだす患者さんがいる。松下靖さん(59)=仮名=はある日、私の外来を奥さんとやっとのことで訪ねてくれた。皮膚の黄色みが増し、黄疸があった。顔もげっそりしていたが、どこか飄々と面白そうな方だった。
池田正さん(59)=仮名=は豪放磊落な性格だった。何よりお酒が大好きで、肝臓の障害が出てからも、たしなむことはやめなかったようだ。「治療を終了して、ふるさとに帰る」と決めてからは、不安ももらさず、ふるさとの生活をマイペースで楽しんだ。
エリザベス・キュプラー・ロス博士は約40年前、著書『死ぬ瞬間』で、末期がんの患者たちの心理過程を明らかにした。
告知されると、まず頭の中が真っ白になるほどショックを受け、「事実を否定する」。事実だと分かると、「猛烈な怒り」がわいてくる。やがて「取引」といわれる心理状態になる。たとえば「神様、どうか子供の入学式まで生かしてください」など。
全国での講演も私の大切な仕事のひとつ。と言っても、在宅の患者さんは24時間、いつ具合が悪くなるか分からないので、遠くに行くのは月1度くらいが限度だ。重症患者さんには、お土産を買って来ると約束し、重大事には必ず、病院が連携してくれるよう手配して出掛ける。
結婚後、夫の故郷の英国に渡った内科医の内藤いづみさんは現地で学んだホスピスを日本にも広めるために一家で帰国。一九九五年に甲府市にクリニックを開業し、在宅ホスピス医として「その人らしい命の最期」を支え続けてきました。
大学の教養課程で「死生学」の講義をすると、聴講した若者の胸にいろいろな思いが浮かぶことがアンケート結果で分かる。
数年前からいくつかの大学の教養学部で、若者に「死生学」を講義している。
「死」という字が入っているだけで、暗く怖いイメージを抱かれがちだが、彼らは私の子供と同世代。何となく相手の心切愁内が分かる気がして、私もおせっかいなおばさん口調になる。
ダンディーな山下勉さん(58)=仮名の膵臓がんの病状が深刻になってきた。腸閉塞の傾向があって、食事はなるべく軟らかいものに限られて味気なく、本人も不満そうだった。
意地悪な主治医の私は、診察の合間に「今、何が食べたいですか?」と聞くと、本人は間髪を置かず「天ぷら!」と返答した。
「死も命の一部」もしくは「生も暮らしの一部」。そう感じたときに、病人も家族も恐れから解放され、命のエネルギーを回復するのではないかと思っている。
この人が?いつも命の瀬戸際と向かい合っているドクターとはとても思えない柔和なたたずまいと穏やかな語り口。「私たちは、患者さんとご家族のお手伝いをするだけ」と、周囲に看取られながら過ごす末期がんの患者さんたちに勇気を与え続ける。
2008年10月13日の週刊医学界新聞に掲載された本の紹介、評者、内藤いづみ。
あなたが健康なら、在宅で命の最期を過ごすことを想像するのは、簡単ではないだろう。特に、がんという病気は、検査、診断、治療など、病院と専門医に深くかかわるから、病院から離れることに不安は尽きないだろう。
自宅で命を看取る「在宅ホスピスケア」について、20年近く、山梨県を中心に発言してきた。理解は進んだが、「もう治らない。余命が短い。助からない」というイメージは、患者さんと家族の心を打ちのめす。
「なぜ在宅ホスピスケアにこだわるのですか?」とよく聞かれる。
若き日には、最先端の病院で学んだ。患者さんの命が最期に近づくと、いつも、これでいいのか、と割り切れなかった。
ここでは信濃毎日新聞の読書のコーナーでも掲載された種山千邦さんの「最期の流儀」という新刊をご紹介します。
なんとなく日々を過ごしていせせんか? 家族や大切な人と向き合っていますか?
在宅ホスピス医として毎日命と向き合っている
内藤先生から、「生」について素敵なメッセージをいただきました。
(健康アイ2008年vol.05より抜粋)
昨年六、七月に高山市で開かれた「第十五回日本ホスピス・在宅ケア研究会飛騨高山大会」の内容をまとめた「ひびきあう生と死」(雲母書房)を同退会実行委が発行した。
末期がん患者のためのトータルケアとしてイギリスを発祥地に普及してきた在宅ホスピスケア。人間としてあるべき最期を家族と医療者がどうサポートしていくかなど、日本におけるこれからの在宅ホスピスケアを紹介します。
あなたは、最期をどう過ごしたい?~幸せな生と死をサポートする在宅ホスピス医、という見出しで、アントレ2008年8月号に掲載された記事をここでご紹介いたします。アントレは独立した起業家を目指す人向けの雑誌(リクルート社発行)です。
残された時問は家族と過ごしたい
内藤いづみさんは、山梨県甲府市で小さな診療所を営む内科医。絵が飾られ、季節の花が生けられた内藤さんの診察室は、クラシック苦楽が静かに流れ、医療機関とは思えない温かで家族的な雰囲気に満ちています。
前回、ハナさんという91歳のすい臓がんの女性のお話をした。普段は3人暮らしだったけれど、最後の10ヶ月はいつも孫やひ孫の声に囲まれて、大家族のように賑やかに過ごしていた。「ハナさんは、看てくれる人に恵まれて幸せですね。」という羨む声が聞こえてきそうだ。今はお年寄りのひとり暮らしや、老老介護がどんな地方に行っても多くある。
一昨年「美しい人」という映画が評判になり、私も観に行った。「美しい」とは何かを改めて問いかけられた。最近は、美しさを獲得するための情報や手段に溢れていて、確かにきれいな日本女性は増えたかもしれないが、「美しさ」とはやや違うようにも感じている。たとえば、昔のお母さんたちは、美しかったと私は思う。美しさとは、自己欲を越えて、忍耐力を持って、他者のために生きる、凛とした香りを持つのではないだろうか。
子どもにとって、母親は特別な存在です。
父親の愛情とは異なり、無条件に深い母の愛は、母性の発露というよりむしろ、生命の根源に関わる神々しさすら感じられるものではなかったでしょうか。
母からそんな愛情を受けて育った私たちが母親となって、そして思うのです。
「お母さん、私を生んでくれてありがとう」と。
出産や終末期医療などについて学習している茅野市などの住民グループ「Happy Life Lab」(藤森朋子代表)は十三日、ふじ内科クリニック(甲府市)院長で在宅ホスピスに取り組む内藤いづみさんらの講演会「産声をあげるとき 息をひきとるとき」を、茅野市民館(仲町)で開いた。県内外から約二百五十人が参加。死をみとることや出産の意味など、人間の「いのち」について理解を深めた。
人の生と死と自然について考える「産声をあげるとき 息をひきとるとき」(ハッピーライフラボ主催、長野日報社など後援)が十三日茅野市の茅野市民館で開かれた。産婦人科医の池川明さん、在宅ホスピス医の内藤いづみさん、ハーブ研究科の萩尾エリ子さんを講師に迎えた講演会とトークセッションで約二百五十人が来場。命と自然の神秘について語る講演に耳を傾けた。
「大人とは?」などと語る機会は今までなかったし、あらためてこの頃深く考えたこともなかった。しかし先日、確かに自分は大人になったんだ、と感じた瞬間があった。五十一歳にもなって、そんな自覚をするなんて不思議な話だ。
メタボリック症侯群に対する国を挙げての強力な指導体制が四月から始まるようだ。特に大企業では、目標に到達しないとペナルティーとして多額の負担金を課せられるので、かなり厳しい保健指導になることが予想される。
日本医事新報の「プラタナス」というコーナー向けにエッセーをご紹介します。
2008年3月14日の神戸新聞に掲載された連載記事「随想」より抜粋してお伝えします。
2008年3月17日 朝日新聞「ニッポン人・脈・記 みんな、その日まで⑦」に掲載された記事「痛いよね我慢しないで」を抜粋にてご紹介します。
独り暮らしの90歳近い女性と10年近く関わらせて頂いています。都会に住む息子さんは「そろそろ一緒に暮らそう」、とずっと誘っていますが、なかなか踏み切れません。「長年住み慣れた町から離れたくないんです。足腰が丈夫なので、当分このままでもいいかなと思ったり、頭の中がガラン、ガランと音を立てるように混乱して、物忘れがひどく探し物ばかりするときは、もうだめか、と心が揺れます。どうしたらいいのでしょう?」
最期の2か月を過ごした寝室の窓からは、甲府盆地のかなたに南アルブスの山並みが広がる。甲府市の郊外にある、山本真樹さん(66)の自宅で、妻の洋子さんが66年間の人生に別れを告げたのは先月12日午前1時24分のことだった。
NHKの対談収録が3月2日にあり、高史明さんとの対談が実現しました。
2月13日神戸新聞「随想」の連載記事より抜粋してお伝えします。
山梨県東部地区局長会広報委員会が発行する雑誌「山東」に掲載された記事「おたよりの重さ」を紹介いたします。
2008年1月28日の神戸新聞「随想」に掲載された話をここで紹介いたします。
シニア 50代からの暮しと生き方マガジン「毎日が発見」(角川・エス・エス・コミュニケーションズ )で、私が連載する「ひと休み村」というコーナーがはじまりました。連載記事をここでご紹介いたします。
共同通信で全国の地方紙に昨年末配信された特集「さよならのプリズム」より、抜粋にて記事をご紹介いたします。
准看護師試験のための学習誌「看護学生」2008年2月号に「医療という仕事をもつこと ~知耕・心・技術でケアする~」という記事が載りました。ここでご紹介いたします。
内藤先生は山梨県甲府市の「ふじ内科クリニック」の院長。在宅ホスピス医です。治癒の見込みのなくなったがん患者が、最期の時を自宅で過ごせるよう、家族と協力しながらホスピスケアをしています。
深夜であろうが、明け方であろうが、具合の悪くなった患者の所へ飛んでいきます。そんなスーパーマンのような先生にお話を伺いました。
在宅ホスピスケアといういのちの最期の過ごし方を日本で伝えて十五年。イギリスで学んできたものの、文化が違う、医療体制が違う、と医師たちからは反論された。
KY(空気がよめない)という略語が若い子の間ではやっているらしい。日本独自の「和」あんもくをつくる想像力のいる暗黙の働きに若い子たちも気がついている、ということだろうか。
内科の勤務医として活躍していたが、結婚を機にイギリスへ渡る。そこで「在宅ホスピス」に出あい帰国後、クリニックを立ち上げ、24時間体制で末期患者と家族のケアに奔走する
南アルプス市連合PTA主催の講演会の様子、山梨日日新聞2007年11月26日からの抜粋からご覧ください。
ふぁいんピープル「いい人 いい話」
1985年10月・11月号からの抜粋、文・遠藤周作様。
人工呼吸器取り外し問題に関連し、山梨日日新聞の取材にコメントいたしました。
あけぼの2006年10月号に掲載されました夫婦特集の記事、作新学院大学教授小林和男様との対談です。