進化系の女たち
結婚後、夫の故郷の英国に渡った内科医の内藤いづみさんは現地で学んだホスピスを日本にも広めるために一家で帰国。一九九五年に甲府市にクリニックを開業し、在宅ホスピス医として「その人らしい命の最期」を支え続けてきました。
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結婚後、夫の故郷の英国に渡った内科医の内藤いづみさんは現地で学んだホスピスを日本にも広めるために一家で帰国。一九九五年に甲府市にクリニックを開業し、在宅ホスピス医として「その人らしい命の最期」を支え続けてきました。
ダンディーな山下勉さん(58)=仮名の膵臓がんの病状が深刻になってきた。腸閉塞の傾向があって、食事はなるべく軟らかいものに限られて味気なく、本人も不満そうだった。
意地悪な主治医の私は、診察の合間に「今、何が食べたいですか?」と聞くと、本人は間髪を置かず「天ぷら!」と返答した。
「死も命の一部」もしくは「生も暮らしの一部」。そう感じたときに、病人も家族も恐れから解放され、命のエネルギーを回復するのではないかと思っている。
この人が?いつも命の瀬戸際と向かい合っているドクターとはとても思えない柔和なたたずまいと穏やかな語り口。「私たちは、患者さんとご家族のお手伝いをするだけ」と、周囲に看取られながら過ごす末期がんの患者さんたちに勇気を与え続ける。
2008年10月13日の週刊医学界新聞に掲載された本の紹介、評者、内藤いづみ。
あなたが健康なら、在宅で命の最期を過ごすことを想像するのは、簡単ではないだろう。特に、がんという病気は、検査、診断、治療など、病院と専門医に深くかかわるから、病院から離れることに不安は尽きないだろう。
自宅で命を看取る「在宅ホスピスケア」について、20年近く、山梨県を中心に発言してきた。理解は進んだが、「もう治らない。余命が短い。助からない」というイメージは、患者さんと家族の心を打ちのめす。
「なぜ在宅ホスピスケアにこだわるのですか?」とよく聞かれる。
若き日には、最先端の病院で学んだ。患者さんの命が最期に近づくと、いつも、これでいいのか、と割り切れなかった。
ここでは信濃毎日新聞の読書のコーナーでも掲載された種山千邦さんの「最期の流儀」という新刊をご紹介します。
なんとなく日々を過ごしていせせんか? 家族や大切な人と向き合っていますか?
在宅ホスピス医として毎日命と向き合っている
内藤先生から、「生」について素敵なメッセージをいただきました。
(健康アイ2008年vol.05より抜粋)
昨年六、七月に高山市で開かれた「第十五回日本ホスピス・在宅ケア研究会飛騨高山大会」の内容をまとめた「ひびきあう生と死」(雲母書房)を同退会実行委が発行した。
末期がん患者のためのトータルケアとしてイギリスを発祥地に普及してきた在宅ホスピスケア。人間としてあるべき最期を家族と医療者がどうサポートしていくかなど、日本におけるこれからの在宅ホスピスケアを紹介します。
あなたは、最期をどう過ごしたい?~幸せな生と死をサポートする在宅ホスピス医、という見出しで、アントレ2008年8月号に掲載された記事をここでご紹介いたします。アントレは独立した起業家を目指す人向けの雑誌(リクルート社発行)です。
残された時問は家族と過ごしたい
内藤いづみさんは、山梨県甲府市で小さな診療所を営む内科医。絵が飾られ、季節の花が生けられた内藤さんの診察室は、クラシック苦楽が静かに流れ、医療機関とは思えない温かで家族的な雰囲気に満ちています。
前回、ハナさんという91歳のすい臓がんの女性のお話をした。普段は3人暮らしだったけれど、最後の10ヶ月はいつも孫やひ孫の声に囲まれて、大家族のように賑やかに過ごしていた。「ハナさんは、看てくれる人に恵まれて幸せですね。」という羨む声が聞こえてきそうだ。今はお年寄りのひとり暮らしや、老老介護がどんな地方に行っても多くある。
一昨年「美しい人」という映画が評判になり、私も観に行った。「美しい」とは何かを改めて問いかけられた。最近は、美しさを獲得するための情報や手段に溢れていて、確かにきれいな日本女性は増えたかもしれないが、「美しさ」とはやや違うようにも感じている。たとえば、昔のお母さんたちは、美しかったと私は思う。美しさとは、自己欲を越えて、忍耐力を持って、他者のために生きる、凛とした香りを持つのではないだろうか。
子どもにとって、母親は特別な存在です。
父親の愛情とは異なり、無条件に深い母の愛は、母性の発露というよりむしろ、生命の根源に関わる神々しさすら感じられるものではなかったでしょうか。
母からそんな愛情を受けて育った私たちが母親となって、そして思うのです。
「お母さん、私を生んでくれてありがとう」と。
出産や終末期医療などについて学習している茅野市などの住民グループ「Happy Life Lab」(藤森朋子代表)は十三日、ふじ内科クリニック(甲府市)院長で在宅ホスピスに取り組む内藤いづみさんらの講演会「産声をあげるとき 息をひきとるとき」を、茅野市民館(仲町)で開いた。県内外から約二百五十人が参加。死をみとることや出産の意味など、人間の「いのち」について理解を深めた。
人の生と死と自然について考える「産声をあげるとき 息をひきとるとき」(ハッピーライフラボ主催、長野日報社など後援)が十三日茅野市の茅野市民館で開かれた。産婦人科医の池川明さん、在宅ホスピス医の内藤いづみさん、ハーブ研究科の萩尾エリ子さんを講師に迎えた講演会とトークセッションで約二百五十人が来場。命と自然の神秘について語る講演に耳を傾けた。
「大人とは?」などと語る機会は今までなかったし、あらためてこの頃深く考えたこともなかった。しかし先日、確かに自分は大人になったんだ、と感じた瞬間があった。五十一歳にもなって、そんな自覚をするなんて不思議な話だ。
メタボリック症侯群に対する国を挙げての強力な指導体制が四月から始まるようだ。特に大企業では、目標に到達しないとペナルティーとして多額の負担金を課せられるので、かなり厳しい保健指導になることが予想される。
日本医事新報の「プラタナス」というコーナー向けにエッセーをご紹介します。
2008年3月14日の神戸新聞に掲載された連載記事「随想」より抜粋してお伝えします。
2008年3月17日 朝日新聞「ニッポン人・脈・記 みんな、その日まで⑦」に掲載された記事「痛いよね我慢しないで」を抜粋にてご紹介します。
独り暮らしの90歳近い女性と10年近く関わらせて頂いています。都会に住む息子さんは「そろそろ一緒に暮らそう」、とずっと誘っていますが、なかなか踏み切れません。「長年住み慣れた町から離れたくないんです。足腰が丈夫なので、当分このままでもいいかなと思ったり、頭の中がガラン、ガランと音を立てるように混乱して、物忘れがひどく探し物ばかりするときは、もうだめか、と心が揺れます。どうしたらいいのでしょう?」
最期の2か月を過ごした寝室の窓からは、甲府盆地のかなたに南アルブスの山並みが広がる。甲府市の郊外にある、山本真樹さん(66)の自宅で、妻の洋子さんが66年間の人生に別れを告げたのは先月12日午前1時24分のことだった。
NHKの対談収録が3月2日にあり、高史明さんとの対談が実現しました。
2月13日神戸新聞「随想」の連載記事より抜粋してお伝えします。
山梨県東部地区局長会広報委員会が発行する雑誌「山東」に掲載された記事「おたよりの重さ」を紹介いたします。
2008年1月28日の神戸新聞「随想」に掲載された話をここで紹介いたします。
シニア 50代からの暮しと生き方マガジン「毎日が発見」(角川・エス・エス・コミュニケーションズ )で、私が連載する「ひと休み村」というコーナーがはじまりました。連載記事をここでご紹介いたします。
共同通信で全国の地方紙に昨年末配信された特集「さよならのプリズム」より、抜粋にて記事をご紹介いたします。
准看護師試験のための学習誌「看護学生」2008年2月号に「医療という仕事をもつこと ~知耕・心・技術でケアする~」という記事が載りました。ここでご紹介いたします。
内藤先生は山梨県甲府市の「ふじ内科クリニック」の院長。在宅ホスピス医です。治癒の見込みのなくなったがん患者が、最期の時を自宅で過ごせるよう、家族と協力しながらホスピスケアをしています。
深夜であろうが、明け方であろうが、具合の悪くなった患者の所へ飛んでいきます。そんなスーパーマンのような先生にお話を伺いました。
在宅ホスピスケアといういのちの最期の過ごし方を日本で伝えて十五年。イギリスで学んできたものの、文化が違う、医療体制が違う、と医師たちからは反論された。
KY(空気がよめない)という略語が若い子の間ではやっているらしい。日本独自の「和」あんもくをつくる想像力のいる暗黙の働きに若い子たちも気がついている、ということだろうか。
内科の勤務医として活躍していたが、結婚を機にイギリスへ渡る。そこで「在宅ホスピス」に出あい帰国後、クリニックを立ち上げ、24時間体制で末期患者と家族のケアに奔走する
南アルプス市連合PTA主催の講演会の様子、山梨日日新聞2007年11月26日からの抜粋からご覧ください。
ふぁいんピープル「いい人 いい話」
1985年10月・11月号からの抜粋、文・遠藤周作様。
人工呼吸器取り外し問題に関連し、山梨日日新聞の取材にコメントいたしました。
あけぼの2006年10月号に掲載されました夫婦特集の記事、作新学院大学教授小林和男様との対談です。